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徹子の部屋の戦時中の記録特集(8月15日に寄せて)

本日の徹子の部屋終戦の日の証言記録の録画集。とても重い。でもこれを記録して、事実として伝え、重く受け止め、更に何が起こり、なぜ起こり、どうすれば防げるかを考えることが戦争を回避する第一歩だと思うので、ここに書きます。黙祷。

三波春夫(以下敬称略)は黒竜江のソ連軍との戦いについて

黒柳徹子も三波春夫も涙を浮かべながら、三波春夫が相手の兵士を銃でうつことをむしろ軽快に語るのが更に重い(1977年録画)。

鍛治直子は学徒勤労動員の看護師の体験

終戦の報を聞いた途端、上官は本土決戦用の軍事物資を横領して逃げて行った。取り残された負傷兵が杖をつきながら故郷へ帰って行った。

高峰秀子はロケ中の立山の体験

翌日特攻隊へと向かう兵士がずっと泣いていた。そしてかける言葉がなかった。しかし、終戦の日、多くの特攻隊の兵士が、攻撃する相手がないにも関わらず爆弾を積んで海に突っ込んで行った。多くが。それを聞いた遺族は....

江戸屋猫八は広島の爆心地2キロから被災者の手当の様子。

真っ黒な死体と瀕死の重症者が道端に永遠と置かれていた。重症者は水が欲しいと言った。上官は水を与えると亡くなってしまうから絶対与えるなと命令された。しかし与えなくても無くなるのは目に見えていた。なので、最後に希望をかなえるために命令を無視して水を与えた。ありがとうと言って数多くの被爆者が亡くなって行ったのを看取った。仇を取ってくれといいながら。

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