仮面的世界【31】
【31】仮面の記号論(広義)─アレゴリーとアイロニーと伝導体
広義の仮面記号とは、「インデックス/イコン/シンボル/マスク」の記号の四つ組によって設えられた「場(フィールド)」そのものである。──前回も書いたように、私は、そのような広義の仮面記号を「アレゴリー」と、そして、そこにおいて稼働する記号作用の特質を「アイロニー」として考えています。
そう名づけることによって、哲学や文芸の世界において、過去累々と蓄積されてきた先達の議論を参照し、今後の考察のためのヒントを入手することができるのではないかと期待したからです。累々たる遺産は膨大なものなので、そこから切り出し援用できるのは、たまたま私の目に触れ、かつ私の琴線に触れたもののうち、私自身が朧気にイメージを描きかけている着地点へとダイレクトに導いてくれる(都合のいい)素材に限られてはいるのですが。
先へ進む前に、いま述べた「着地点」について書いておきます。すでに何度か言葉として出てきた「伝導体」(“conductive field”とでも英訳しておこうか)の概念がそれです。仮にアレゴリーと総称してみることで、既知の体系への接続を図ることができないかと模索している広義の仮面記号を、「伝導」[*1]という推論過程が作動する「場」あるいは(代数学の語彙を借用して、四元数「a+ib+jc+kd」が稼働する)「体(field)」に属する一事例とみなしてみようということです(広義の仮面記号⊂伝導体)。
伝導体という概念で私が想定しているのは、たとえば時空、たとえば身体、たとえば物語といった、物(身体)の領域と言語(精神)の領域、マテリアルな界域とメタフィジカル(メタフォリカル)な界域、あるいは液体と固体、父と子、生と死といった異なる世界を「通態的(trajective)」(オギュスタン・ベルク『風土の日本』)に結合するメカニズムを体現する装置です。
ひらたく言えば、ある小説を読んで感動し、生き方はおろか人格までもが更新される経験をしたとしたら、その時生じているのが「伝導」の現象であり、そのような以前には存在しなかった新たな現象をもたらす機構と過程と媒体と担い手を含めた全体が「伝導体」です。
(広義の仮面記号は伝導体の一事例にすぎないが、おそらくその原型もしくは原器の位置を占めている。時空や身体や物語といった個々の伝導体は、必ず「仮面的なもの」であり得るということだ。あるいは広義の仮面記号に対して言えることは、必ず伝導体にも妥当するということである。)
私が構想している伝導体には、三つの特質があります。動態性と創造性と推論性です。
狭義の仮面記号である「マスク」が他の記号との関係性のうちに静的に位置づけられていたのに対して、広義の仮面記号(伝導体)はそのような制約を受けず、自在にダイナミックに稼働する。それはオクシモロンの論理詞表現のうち「¬A⇒A」が示す運動性を基礎としています[*2]。
そしてこの運動性、動態性がもたらすのが、物質的なもの(見えるもの)であれ非物質的なもの(見えないもの、たとえばクオリア、心、観念、等々)であれ、あるいはそれらのハイブリットであれ、およそこれまで存在しなかったもの、考えられなかった新奇のものの発生、創設、流出、創造の出来事です。何かが何かとして存在する、そのような出来事が成立する場そのものを産出すると言ってもいい。
最後に、物やイメージ、型、振る舞い、言語、意味、概念といった諸々の要素が伝導体の内部を伝わっていくプロセスである推論。それは、「概念操作または言語活動としての(狭義の)推論のことだけではなくて、時空構造を織り込んだ物質世界(宇宙)や生物の進化、精神世界における(言語以前の、もしくは言語の外における)観念の運動、はては、神の存在の直観、あるいは、永井均氏の「独在性の〈私〉」の実在をめぐるメタフィジカルな論証、等々を含めた、およそ物質と生命と精神と意識、つまり森羅万象の存在者の運動全般をつかさどる理法(ロゴス)のようなもの」(「哥とクオリア/ペルソナと哥」第7章)のことです(「受肉」や「憑依」を加えてもいい)。
[*1]「伝導(conduction)」とは、「帰納(induction)」「演繹(deduction)」「洞察(abduction)」「生産(production)]」に次ぐ、「推論」の第五の形式のこと。
アブダクションは、かのパースに由来する──アリストテレスの「アパゴーゲー」(還元法)をパースが訳した──もので、仮説形成法あるいは遡行推論(「アパゴーゲー」のいま一つの訳である「レトロダクション(retroduction)」)などど和訳される推論形式のこと。
プロダクションは、コンダクションとともに私が勝手に導入した推論形式で、「たとえば、芸術に関する理論や理念について多くを語るより作品一つ創ってみせる、あるいは、生命誕生の機序を云々するより人工生命を現に造ってみせる、もう一つ例を挙げると、天地創造は神の思惟=推論の具現である、といったかたちで遂行される推論のこと」(「哥とクオリア/ペルソナと哥」第7章)。
コンダクションは「振る舞い(conduct)」という語との音声的な隣接関係のもとにあって、他の4つの推論形式を総括する推論形式(「翻訳(traduction)」という語をあてていいかもしれない)。
一点補足しておくと、「生産」と「伝導」は共に新規のものを造り出すことで共通するが、生産があらかじめ設計もしくは直観ないし想像されたものを生み出す推論であるのに対して、伝導の創造性は無からの創造に匹敵するもの、つまり創造の前後の世界の連続性が断ち切られるほどに奇跡的な出来事である点で異なる。
[*2]「韻律的世界」最終節の註で「伝導体」の理論のラフスケッチを描いた際、4つの記号に対応する推論形式ごとに論理記号を割り振った。若干手を入れ、簡略化して再掲しておく(「A=B」は「死んだイコン・メタファー」に対応)。
【Ⅰ】指標記号[INDEX]:換喩[metonymy]:帰納[induction]:A∧B
【Ⅱ】類似記号[ICON]:隠喩[metaphor]:洞察[abduction]:A⇒B(A=B)
【Ⅲ】象徴記号[SYMBOL]:提喩[synecdoche]演繹[deduction]:A∨B
【Ⅳ】仮面記号[MASK]:逆喩[oxymoron]:生産[production]:¬A=A
仮面記号の世界における推論の論理形式が¬A=Aから「¬A⇒A」に転じることを契機として、仮面記号は狭義から広義へと変質する。
【〇】仮面記号[allegory]:寓喩・反語[irony]:伝導[conduction]:¬A⇒A
実在性のレベルにおける「虚」から現実性のレベルにおける「空」へ。──図式的すぎるが、私は、およそ以上のような見通しのもとで広義の仮面記号の概形を描いている。
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