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韻律的世界【8】

【8】日本語詩の韻律論─川本皓嗣『日本詩歌の伝統』

 萩原朔太郎の韻律論を概観するなら、「和歌の韻律について」をはじめ『詩の原理』や『郷愁の詩人 与謝蕪村』[*]を素通りするわけにはいきません。が、ここは網羅的な悉皆調査の場ではないので、というかそのような方針で臨んではいないので、今回と次回、和歌や俳句の韻律構成をめぐる若干の‘素材’を蒐集したうえで、九鬼周造の押韻論へ向かうことにします。

     ※
 川本皓嗣著『日本詩歌の伝統──七と五の詩学』に収められた「七と五の韻律論」から、「日本語韻律」の「条件」と「基本」について書かれた文章を引きます。

《ごく些細な例外を除いて、七と五の枠を守りさえすれば、何を書いても韻文になる。日本語韻律の条件は、やはり字音の数を整えることに尽きる。だが一方、この事実からまっすぐ大西[祝]の主張するように、七五の大枠だけで満足しようという結論に飛びつく理由もない。なぜなら七字句が「三四」で切れるか、「四三」で切れるかの違いは、明らかに聴き手に異なった印象を与え、それが偶然によるものであれ、意識的に作り出されたものであれ、ともかく七五調や五七調の単調なリズムに、微妙なリズム上の“あや”をつける働きをするからである。そうしたこまかな区切りの詮索は、詩を散文から区別する役には立たないが、ちょうど七五調と五七調を区別するのと同様、七字句や五字句内部の韻律パターンの種類と性質を判別するために、必要不可欠な手段なのである。
(略)ここであらためて断るまでもなく、韻律とは基本的に、語句の音声面に表われるリズムのパターンを律するものである。あるいはリズムという語があいまいに過ぎるのならば、それは自由な時間の流れに一定の人工的な秩序と制約を課する「拍子」を規定するものと言い換えてもよい。そこでは語の音声にかかわる何かの特徴(長短、強弱など)が、ある周期にしたがって繰り返される必要がある。》(245頁)

 それでは、内部の韻律パターンを刻む微妙なリズム上の“あや”、つまり自由な時間の流れに一定の人工的秩序をもたらすものは何か。──「日本語詩の韻律」の基本的な「要素」と、その微妙かつ潜在的な韻律パターンが顕在化される場をめぐる文章を引きます。

《拍子のリズムや韻律的強弱アクセントの存在を抜きにして、日本語詩の韻律を語ることはできない。二音一泊の等時的な音歩や、そこから生じる義務的な休止とともに、それらは伝統的な七と五の大枠や、あるいは旧来の「四三」や「三二」の句切りといった詩句のパターンを、音声的に支えている基本的な韻律要素だからである。(略)
 日本の詩の韻律は、和歌の朗詠にみられるように、それぞれの字音や休止の相対的な長さにじゅうぶん注意を払って行なわれる朗誦のなかで、はじめて明確な形をとってあらわれる。逆にいえば、百人一首の読み手にみられるようなわが国独特の朗誦法は、何よりも、音数律という特殊な制約をもつ日本語詩の微妙な韻律パターンを、もっとも鮮明に具体化するように工夫された読み方なのである。》(279-280頁)

 文中の「二音一泊の等時的な音歩」や「韻律的強弱アクセント」「義務的な休止」は、川本皓嗣による日本語詩韻律論(音節的韻律)の基本をなす概念群ですが、ここではこれ以上踏み込まず、「むすび」の文章の引用をもってこの回を終えます。

《「一個の詩人、長篇なくして止むべけんや」という[岩野]泡鳴の抱負にもかかわらず、もともと日本語詩の韻律は、長詩にぜひ必要な緩急と起伏に富むリズムの動きを支えるだけの、強固な骨格をそなえていない。(略)
 これまでくわしく検討してきた韻律的アクセントや四拍子リズムの働きも、例えば英詩の強勢などのめざましい活躍にくらべれば、しょせんはつつましい蔭の功の域にとどまるものである。韻律要素としてのそれらの役割は要するに、とかく安定を欠きやすい音節的韻律にいく分頑丈な枠組みを与えることで、リズムの変化に対する休止の強力な締めつけを、多少なりともくつろげるということにつきるだろう。
 おそらく日本語による長篇詩は、「やはり古体の」七五調に即しつつ、随時にその企画をふみ越えて、いわば七五音数の周囲をおずおずと、あるいはのびのびと遊び戯れるような、自由詩の形で書かれるのがもっとも自然であり、また事実、そのように書かれてきたように思われる。》(321-322頁)

[*]『郷愁の詩人 与謝蕪村』附録「芭蕉私見」における「韻律」の定義。「「調べ」とは西洋の詩学で言う「韻律」のことであり、言葉の抑揚節奏する音楽のことである」。以下、芭蕉と蕪村の比較論からの抜粋。

《芭蕉と蕪村におけるこの相違は、両者の表現における様式の相違となり、言葉の韻律において最もよく現われている。芭蕉の俳句においては、言葉がそれ自身「咏嘆の調べ」を持ち、「歌うための俳句」として作られている。(略)故に芭蕉も弟子に教えて、常に「俳句は調べを旨とすべし」と言っていたという。「調べ」とは西洋の詩学で言う「韻律」のことであり、言葉の抑揚節奏する音楽のことである。そして芭蕉の場合において、その音楽は咏嘆のリリシズムを意味していたのだ。
 蕪村の俳句においては、この点で表現の様式がちがっている。蕪村は主観的咏嘆派の詩人でなく、客観的即物主義の詩人であった。(略)。即ち蕪村の技巧は、リリカルの音楽を出すことよりも、むしろ印象のイメージを的確にするための音象効果にあった。例えば
  鶯のあちこちとするや小家がち  蕪村
  春の海ひねもすのたりのたり哉  蕪村
 の如く、「あちこちとするや」の語韻から、鶯のチョコチョコとする動作を音象し、「のたりのたり」の音調から春の海の悠々とした印象を現わしているのである。蕪村が「絵画的詩人」と言われるのはこのためであり、それは正しく芭蕉の「音楽的詩人」と対照される。つまり蕪村の場合では、言葉の聴覚的な音韻要素も、対象をイマジスチックに描写するための手段として、絵画的用途に使用されているのであって、本質上の意味でのリリシズムとして――即ち音楽として――使用されているのではない。》(岩波文庫『郷愁の詩人 与謝蕪村』109-11頁)


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