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仮面的世界【23】

【23】仮面の記号論(基礎)─パースのパースペクティヴ・後段

(2)瀬戸賢一『認識のレトリック』(1997年)・承前

 その2.記号の三つ組
 瀬戸氏はさらに、「メトニミー/メタファー/シネクドキ」の比喩の組合せ(瀬戸氏はこれを「認識の三角形」と呼ぶ)をパースによる記号の三分法に対応させて、「換喩=指標記号(インデックス)=隣接関係」、「隠喩=類似記号(イコン)=類似関係」、「提喩=象徴記号(シンボル)=包摂関係」の三つ組へと展開していく。

        《イコン》
         【隠喩】
         類似関係
          ┃
          ┃
     意味世界 ┃ 現実世界
          ┃
《シンボル》    ┃   《インデックス》
 【提喩】━━━━━┻━━━━━【換喩】
包含関係           隣接関係

(3)前田英樹『言葉と在るものの声』(2007年)[*]

 その1.パースの記号分類
 パースは記号を三つの在り方(記号それ自体・対象・解釈)によって分類する。これらはそれぞれに三種類の記号を成り立たせる。(102-104頁、119-123頁)

Ⅰ.それ自体で捉えられた在り方(第一次性)
 ①性質記号(qualisign):声が持つ潜在的な「質」の前個体的現存
 ②個物記号(sinsign) :私の声
 ③法則記号(legisign) :私の声が言語的に獲得する同一性の絆

Ⅱ.対象との関わりにおいて捉えられた在り方(第二次性)
 ①類似記号(icon) :肖像(→人物)
 ②指標記号(index) :動物の足跡(→獲物の進んだ方向)
 ③象徴記号(symbol):「人」の字(→「ヒト」という言語音や言語観念)

Ⅲ.解釈との関わりから捉えられた在り方(第三次性)
 ①名辞(rheme) :ある物をAだと名指す
 ②命題(dicisign) :AはBだと断言する
 ③論証(argument):AがBであるは真だと言明する

 私的な註。──瀬戸氏による「隠喩=類似記号(イコン)=類似関係」、「換喩=指標記号(インデックス)=隣接関係」、「提喩=象徴記号(シンボル)=包摂関係」の三つ組(いわば認識=存在の三角形)における「イコン/インデックス/シンボル」の三つ組は、パース・オリジナルの(第二次性における)記号の分類を「狭義」のものとして含む、より「広義」の記号の存在様式を示している。少なくとも私はそのように捉えている。
(たとえばイコンは、第二次性のレベル(狭義)ではインデックスやシンボルと相並ぶが、「広義」では第一次性のレベルの記号の在り方を包括的に併せ持ち、第三次性のレベルにおける名辞(名=徴)のうちに含まれる。)

 その2.記号と実相
 パース的な意味での「記号」は、空海の「声/字/実相」における「字」に近い。「「声」は、このような記号を意味に向かって収縮させ、現働化させる力そのものであろう。「声」のそとでは、「字」すなわち記号一般は、潜在的状態のなかで弛緩したままである。「声」は「実相」から発し、「声字」となって「実相」を表現する」(141頁)。

《「声」は「字」を引き寄せ、「字」のなかに「実相」を顕われさせる。「声」は、万物、万象の動きから生じる。「内外の風気、わづかに発すれば、必ず響くを名づけて声といふなり。響は必ず声に由る。声すなはち響の本なり。声発[おこ]つて虚しからず。必ず物の名を表するを号して字といふなり。名は必ず体を招く、これを実相となづく。声と字と実相の三種[さんじゅ]、区[まちまち]に別れたるを義と名づく」(『声字実相義』)。「声」が起こらなければ、「字」は沈黙している。起これば、「必ず物の名を表する」。物の名となることに向けて、言語記号は収縮する。「名は必ず体を招く」。つまり、収縮した言語記号(「名」)は、質料世界の内側に入り込み、そこで効果を持つ。
 「声」と「字」と「実相」との存在論的区別(「義」)は、なくてはならないものである。「声」の力と質料世界の生命的な力(実相)とは、互いに異なる。前者だけが、言語と生との両側に直接に通じ、二つの弛緩と二つの収縮を結び付ける。生は、それ自体において収縮と弛緩とを繰り返す。言語は、「声」の力の緊張と共に収縮し、その弛緩と共に弛緩する。「声」が弛緩の果てに達すれば、言語は潜在的なシニフィアンの不確かな連鎖となり、言語単位はその区分を融解させていく。「声」の力が緊張していけば、言語の収縮は、生の収縮に重なり合い、そこで生にとっての意味や効果を引き起こすのである。》 (『言葉と在るものの声』237-238頁)

 私的な註。──広義の「声」(力)は狭義の「声」(インデックス)と地続きであり、広義の「字」(記号一般)は狭義の「字」(シンボル)を包含する。そして広義の「実相」(質料世界の生命的な力)は狭義の「実相」(意味、言語観念)を生産する。私はそのように考えている。

     [メタフィジカルな実相]

          ┃
          ┃
          ┃
          ┃
          ┃
 [字]━━━━━━╋━━━━━━[声]
          ┃

      [マテリアルな実相]

[*]以下の議論は「韻律的世界」の最終節で取りあげた話題とほぼ重複する。いや、精確には瀬戸氏の「認識(=存在=表現)の三角形」をめぐる議論、そして次節で論じる第四の比喩・記号をめぐる話題を含めて、「韻律的世界」の最終段階における論点と完全にオーバーラップしている。それは究極的には「韻律/仮面/文字」の三つ組の概念に関する考察の果てに‘到達’するであろう「伝導体」の理論(私論)に通じている。

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