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令和元年 新井天神北野神社例大祭と「ちびナカノさん」

「ちびナカノさん」と一緒に過ごした新井天神北野神社例大祭 2019年9月21日(宵宮)22日(本祭)が無事終わりました。
御祭時に撮った写真の投稿もほぼ終わり、ようやくひと段落…ということでまとめさせて頂きます。

そもそもの始まりは、神社が建て直しとなるのでどうにか記録に残したい…と思っていたのですが、個人が写真に撮るだけでは意味がありませんし、公開を目的に個人が撮影するというのでも問題が生じる可能性がありました。
そんな時にこの「中野大好きナカノさん」プロジェクトを知り、これなら「ちびナカノさん」との撮影を理由に御祭を撮る事ができる〜!と思いついたのです。
町会へ撮影のお願いをしたところ、事前に中野区から「ちびナカノさん」についての説明が行われていたそうで、簡単に撮影のOKがでました。
何も知らない町会の長老方に「中野区の人形を借りて撮影したい」とゼロから説明しなければならないのは大変な事だと覚悟していたのですが、大きなハードルが最初から無かったので、とても助かりました。
区役所の方々の働きかけが大きかった事について心から感謝申し上げます。

今回、宵宮・本祭と2日渡り「ちびナカノさん」と一緒に御祭りを巡りましたが、実はなんと…私が本神輿の宮入や宮出しを神社で拝見したのは初めての事でした。
というのも、御神輿の休憩時にちょっとした料理を振舞わせて頂いているので、その準備が慌ただしくいつも余裕がなかったのです。
今年は万灯神輿が250人だったので、例年30個だったプレートを当日急遽40個に変更するなど準備は綱渡り状態でしたが、義妹やお手伝いに来てもらった親戚などの尽力もあり、全てが手際良く進み丁度間に合う素晴らしさでした!!

まず第一に、お天気には本当に恵まれたという事。ある意味奇跡的〜!
晴天だったら良いのか…といえば実はそうではありません。この時期に天気が良いと真夏かと思われる程気温が上がるので、食べ物の傷みを考えると直前の準備に迫られるのです。
宮出し=子ども神輿時の準備/宮入り=万灯神輿時の準備に重なるので、気温によっては撮影が難しくなる事も考えられ、あの天候だからこそ撮影が可能だったと言えます。(もちろん準備ができた料理は最低気温に設定したクーラーをガンガンに効かせた部屋で保存)

そもそもこの2日間は前日まで雨・雨の予報だったのですから、雨なら現社殿最後の御祭りを撮るという目的自体が達成できなかったのですよね。。。
が、神様が全て私の都合の良いお天気にして下さった〜!!と思うほど、最適な気温とお天気で本当に奇跡的に「ちびナカノさん」と撮影を予定していた内容は全て行う事ができました。
家を万灯神輿が出発した時から雨が本降りに変わるという、、、本当に北野神社の氏神様に感謝感謝!!本当にありがとうございます!万灯神輿を最後まで担がれた皆様は雨の中最後まで本当にご苦労様でした。


以下はTwiterの文字制限で書ききれなかったことの補足を記載しているのですが、私的とは言えSNSに誤った事を書くと後々困った事になる可能性もあり、軽く事前に調べてからUPしていました。
で、これが本当に面白かった!!
今まで当たり前のように思っていた事も、新しい事実を知ったり、これまで知っていた事との関連性が理解できたり、、、こういう感覚を味わったのは久しぶりで、とてもとても楽しい時間でした。

●力石
https://twitter.com/nakano_member/status/1174347064701939713

立て札の説明を見ても「なぜ大きな石を神社に奉納するのだろう」「新井薬師の石垣に使った?」とか、当初はトンチンカンな事を考えていました。
調べてわかったことは、奉納したのは奉納相撲や奉納芸能と同じで「力比べ」そのものなのです。石を奉納品として残しているのは、単にその証というだけ。
今の私たちの感覚だと「奉納=ものを捧げること」と考えがちですが、神様にとっては人々の賑わいそのものがパワーの源、だからその賑わいを生む行為(芸能)を神様の前で披露することが奉納になるという事です。
奉納相撲や奉納芸能は知っていたのに、「石」という物質が関わると勘違いしてしまうほど、「奉納=物品・金品」が現代人として染み込んでいるのでしょうね。
ちなみに、これを文字数制限の中でどう表現するのか半日近く悩み、「相撲・応援」という言葉で行為そのものの奉納を表現してみたのですが、伝わったでしょうか。伝わったていたら良いなあ。。。笑


●もどき面をひょっとこ面と間違えたこと
https://twitter.com/nakano_member/status/1175406365109436417
https://twitter.com/nakano_member/status/1177624767223877633

これは痛恨の間違いでした。
最初の投稿は「ちびナカノさん」目線での文章を気楽に書いたため、事前調べを怠った結果のミスです。
とは言え、なんとなく違和感が残っていたので、二度目にお囃子についてUPする際に調べたら、あああ〜〜〜!!!!
昔、神楽をレポートに書く為に調べたのに、すっかり忘れていました。
「もどき」は日本の芸能の原点!能楽=猿楽も田楽(伝承されていない)のもどき芸から発展したと言われますし、古い形式の壬生狂言もセリフなしのもどき芸。
ネットで調べられる「ことばバンク」「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」に出ている「江戸里神楽(さとかぐら)のおかめ・ひょっとこは好例であるが」とあり、「おかめ」「ひょっとこ」ももどき芸なのですが、写真に写っている面(おもて)としては「もどき」が正しいです。
ちなみに、江戸里神楽で唯一無二の至芸をほこった故・松本源之助師に、わずか5枚のレポートを書く為1時間近くお話を伺えた事がありました。
もどきについてもご説明下さったのに…本当に申し訳無い気持ちでいっぱいです。
立っているだけで笑いが起き、ただ手先を動かしただけで大爆笑してしまう、そんな至芸は西の四世故・茂山千作師と東の故・松本源之助師のみだった…と、当時を思い出しこの文章を書きつつ念のためにお二方についてネット検索したら息子さんの五世の千作師が9月21日に亡くなっていて、さらに驚きました。。。。
という事で、気のゆるみではなくて私の記憶が抜け落ちていた事が原因の間違いです。すみません。


●祓串(はらえぐし)と錫杖(しゃくじょう)
https://twitter.com/nakano_member/status/1180175070997540864

昔から地元の御祭りには錫杖があるのを当然に思っていたのですが、念のため神道も錫杖を持つのか調べてみたものの、見当たりませんでした。
ネットでは誤りを指摘する人もいるようなので、この写真を公開するか悩んでいたのですが…錫杖はお遍路さんでも持っているとの記載を見つけ、ああ!と解決。
新井薬師は真言宗ですし、修験道(権現などの神道と真言宗との関連性が深い独自の宗教)も錫杖を持って修行していますから、神仏習合だった真言宗新井薬師内の天神様の御祭りならば、錫杖を持つのはかえって当たり前!
実は、本社御神輿には露払いの高張提灯の後に祓串(大幣)を持った方はいらっしゃるのですが、錫杖はありません。
専門に歴史・文化を学ばれた方によると、本流はその時々の事情(政治や社会情勢)で大きく変化するのに対して、亜流は影響が少なく古い文化が残っている事が多いそうです。
その解釈でいくと、明治期に独立した北野神社の本社神輿では祓串のみになったのに対し、各氏子地域(=町会)による御神輿の渡御では神仏習合時代の仏教的な錫杖も巡行したスタイルが残されていると考えるのが妥当ではないでしょうか。
また、祓串は町会長が持ち、錫杖は祭典委員長(その祭の責任者)が持つというのも、理にかなっているように思います。
錫杖は修行が無事に終えられるように、知恵を授けて頂く助けのようなもので、あくまでも自己の修行が行為の主体です。
町会長は氏子の代表として神社主体の祓串で清めますが、祭の責任者としては自ら町を歩くことで、祭の安全を願いつつ祭を司る氏子としての責任・祭に対しての主体性も感じられますね。


●御神輿について
https://twitter.com/nakano_member/status/1176567284761935872

今年は2基の万灯神輿の渡御が行われました。
担ぎ手は約250人ということで、多くは氏子以外の方々にお世話になった渡御です。

NGワードにひっかかるかもしれないので読みづらいかもしれませんが、、、ちょっと江戸時代までの身分差別的な事についても触れさせて頂きます。
文楽では(歌舞伎はセリフが変わりますが、文楽は変わらないので古来の風習・文化がそのまま残っている)「やつしもの」といわれる身分の高い人がわざと身を落として仇討ちやお家復興を果たす物語があります。女性は遊郭に身を落としますが、男性は非・人(ひ・に・ん)になる事が多いのです。
実は、祭の山車は氏子が引くのに対して神輿は「非・人」などその土地の氏子以外の者を氏子が銭(ぜに)で雇っていた様です。
だからこそ、「非・人」に身をやつすことで全国を自由に往来でき、情報を集め、仇討ちを果たす物語になりました。
この「非・人=移動民」と「修験道=遊行僧」は独自のコミュニティーを持ち密接な関わりがありました。収集がつかなくなるので書きませんが、真言宗と修験道と神道は今のように分断されておらず深い関わりがあったと考えられています。

ですが、なぜ氏子は「非・人」に神輿を担がせたのかというのが一番の問題になる訳で……実は日本の身分は大きく考えると三すくみ(じゃんけんの様に立場によって勝者が変わる)になっているのです。

神様からご加護を受けている人(氏子)。その氏子達は「非・人」を銭で雇い、彼らの生活を支えます。そして、神様は「非・人」の人間を超越したカオス的パワーによって、一年で衰えた神の力を復活させるのです。(他所から来た者へのマレ人信仰も)
神様の力を復活させる事ができるのは、人知を超えた(善悪を超えた)「非・人」のパワーしかありません。
神社の御霊を移した神輿を「非・人」が荒々しく振る事で、その神様はまた一年、神として復活する新たな力を得られると考えられていたのです。

なぜこんな事を書いたのかというと、御神輿を担ぐのに氏子に限定するような風潮があったり、御祭りなのに渡御でのお酒が禁止されたりと、安全性・健全化のために本来の祭の意味から外れていく事象を時々見聞きする事があるためです。
北野神社の御祭りではその様な事はありませんが、文化背景を知らずいると、時代を経る事で祭の本質を損なうという危惧は持っています。
もちろん、だから何をやっても良いという事とは違うのですが、、、
大切な事は、祭は氏子だけが頑張ってもダメで、外部からの力があってこそ!という事。
外から来られた多くの担ぎ手の方々が、北野神社の氏神様の御霊復活のためにそのパワーを授けて下さったのですから、神様にとっても氏子にとっても本当に本当に有難いことでした。銭をお支払いできないのに…しかも雨でビショビショになってお帰りになられたのですから、その大変さを思っても申し訳ないくらいで…重ねてお礼申し上げます。

祭も文化も時代によって形が変わっていくことは必然です。
ただ、その時代の理性で杓子定規に解釈することは、文化の理解をあやまるリスクがあります。
若い頃、御祭りはもっと神聖であってほしいと神社の神楽殿でカラオケ大会をすることが嫌でした。
他所からの担ぎ手の方が多いのも変なのではないか…と思っていた事もありました。
ですが、御祭りの本質を考えると、それらのどれもがかえって神様の力を復活させる御祭り本来の姿である事を実感できます。
社殿が立派に建て直されても、小さい祭だからこそ残っているものを氏子として大切にしていきたいと思っています。

御祭りの写真は大量にSNSにUPしていますが、実はそれでも半分位。というのも、撮影の途中から最終的には動画にまとめたいと考え始めたからです。
今では現・北野神社の姿を残したいという事からさらに一歩広がっているのですが、その話はまた動画がUPできた時に。


●オマケ 新井小学校鼓笛隊について
https://twitter.com/nakano_member/status/1177957699578806273
途中で、今年で閉校となる新井小学校の鼓笛隊の動画もUPしました。
今ではフォーメーショに凝った鼓笛隊は行われていないので、いつか誰かに知ってほしい、記録として残しておきたいと思っていましたが、「ちびナカノさん」と一緒ということで公開させていただきました。
当時指導された先生のコメントは、今年どなたかがお会いになった際に伺ったという内容で、たまたまそういう機会があったというのも大きいですね。