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魚屋4代目の話 13話

 私は卒業研究の単位を取って、何とか5年で卒業することができました。卒研のことは社会人になっても、しばしば夢に出てきました。後に就職して仕事した時も卒研ほど辛い事はなかったかもしれません。
 国鉄がJRになった昭和62年、私はIT会社に入社しました。もちろんその当時ITという言葉はありません。入社人数は大学卒50人、専門学校卒20人くらいでした。本社は市ヶ谷にありました。
 コンピュータの専門学校卒の人は、サラリーマンのマナー知識を一か月研修して現場に、それ以外の人はコンピュータ知識をもう一ヶ月研修して現場に出ることになりました。
 ここでの研修期間はとても楽しいものでした。モノマネが上手い人がいたり、公務員試験の勉強をしてる人がいたりと、いろんなユニークな人がいました。研修後はビル一階に酒を飲む人は集まり、夜な夜な呑んでいました。私はあまり呑んでませんでした。これ頃もまだビールは苦かったです。本当に毎日会社行くのが楽しかったです。これで給料がもらえるなんて。
 初月給の日の夜、同期の千葉組で西船OS劇場に行きました。スーツに昨日の蝋燭のろうをつけて、次の日会社に行くと、何故か私だけが劇場に行ったことになっていました。同期の女子社員の反応は想像の通りでした。

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