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ツイッターにおける“UG(ウザガラマー)”とは何か?

たった一つのアイテムが人々の暮らしの流れを変えてしまう事がある。

スマートフォンが世に出回ったここ数年はネット上のコミュニティがデスクを離れる事を意味し、それは同時にいつでも繋がる文字や画像・映像のネットワークを一般人が携帯する時代がやって来たということをつぶさに我々に告げたんだと思う。

SNSの爆発的な拡がりもスマートフォンの存在無しには成し遂げられなかったよね。
そんな中で数多くのSNSが誕生したんだけれども、個人的にはツイッターほど賑やかに言葉が行き交い、喜怒哀楽が激しいハタ迷惑な愛すべきツールは世の中にないのではないかと感じているんだ。

今回のお話はその中にあって特異な集団としてUG(ウザガラマー)と呼ばれる迷惑集団が発足されて早いもので一年が経過されたことについて焦点を当てるね。

UGってなに?

知らない方にとっては何の話かと思われることでしょうけれども、命名者はツイッター界の偉人 "田中泰延(たなかひろのぶ)"さんで、元はと言えば2017年2月10日に作成されたツイッター上のリストの一つ。

UGとは簡単に言えば、知り合いでもないのに田中泰延さんにツイッター上で頻繁に絡みに来る人たちのことだ。
特に当初はハンドルネームを使用する身元がいまいち不明なアカウントが多く、人との接し方の距離感がおかしい人達という侮蔑的な意味合いが強かった様に思う。

UGとは"Undesirable Guest(招かれざる客)"の略語であるという説もあったんだけれども、それについては本人の口から「ウザ絡みをする人(ウザガラマー)という造語である」ということが発表されている。

この話の前提として多くのフォロワーを抱える有名人(アルファツイッタラー)の方は日々悪意のあるリプライ(クソリプ)に悩まされがちという背景がある。
まぁ酷いものについては即ブロックする事で自分のタイムライン(フィールド)を綺麗にお掃除する事がシステム的に出来るんだけれども、中には「いまいち悪意がないのでブロックするのも気が引ける。」という無数の善意から来るリプもあって、アルファの方にとっては悩ましい存在みたい。

ツイッターというのは自身の発言(ツイート)に対して反響があれば基本的に逐一通知が本人に届く仕組みになっている。反応があるのは嬉しいことなのだけれども、あんまり反響が大きいとただただ通知が膨らみ続け、結果としてありがた迷惑になると言うシステムの欠陥を含んでいる。

そんなある日、クソリプとウザ絡みに業を煮やした田中泰延さんが「クソリプじゃないけど やっぱり迷惑だからあまりに酷いウザ絡みはリストとして世に晒す。」と宣言すると共に突如としてツイッター上に可視化されたのがUGリストというわけ。

いきなりスポットライトを当てられた無数のいまいち自覚意識の薄いアカウント達は大いに驚いた。それまで私達UGはお互いの存在を確かめることの出来ない透明人間の様な存在だったから。

ここで私達と言ったのは初めに挙げられたUGリスト11名の中に私の名前があって、一番トップに踊り出ていたから。衝撃だった。「こんなに居たの?!そりゃ ありがた迷惑だわ!」とまず自分のことを棚に置いて驚いたのだった。

その時のツイートがこれ。

その後リストインされたメンバーはうなぎ登りに増え続け、如何に多くのリプライが田中泰延氏に降り注いでいたかが明るみに出たんだ。そしてリストインされた日から私はUG観察者 兼UGの一員としてタイムラインを眺め続けることになった。

◇◇◇

そもそも何故ツイッターでこんなに田中泰延さんに絡んでしまう様になってしまったんだろうか?

私の場合は自身のブログがその入り口だった。2012年の結婚を期に在宅で家族と共に愉しめる趣味が欲しいと私が選んだのが木工で、具体的には自宅の家具などを作るdiyと呼ばれるカテゴリが好きになった。そして日々腕を磨く中でその技術をいつしかブログで綴る様になったんだ。

こんな感じのブログなんだけど、書いて発信してみると思いのほか面白く、どうせなら多くの人に読んでもらおうという欲が芽生え、色々と画策した結果、どうやらツイッターと呼ばれるSNSを使うと良いらしいという結論に辿り着き、自然とツイッターアカウントを作ることになった。

家で発信しても多くの人の目に触れるチャンスがあるという理屈が何だか魅力的にうつったんだ。
しかしアカウントを作ってみたは良いけれど、ツイッターの仕様上、アカウントを作成した直後はフォロワーゼロで、例えるなら荒野にいきなり一人で降り立つみたいな状況になってしまうのに困惑したんだ。

もちろんネット上に知り合いもいなかったので情報発信したところで誰の目にも止まらない。ツイッター上のお友達も欲しかったんだけど、何のツイートもしていないアカウントはただただ身元不明の不審なアカウントにしか見られないって事に気付いたんだ。そんなわけで私はしばらく独り言の様に誰も聞いていない荒野に向かってツイートすることになった。

コレでせめて人間として意思を持ったアカウントとして認識されるだろう。

とても寂しかった。時折facebookに逃げ込んでたんだけど、やはり親戚や友達だけのコミュニティで小さく発信していても意味はないだろうと真剣にツイッターに取り組むことにしたんだ。

◇◇◇

しかし、何をしていいのか全く分からない。
途方に暮れていたところTwitter社のおすすめユーザーの欄に糸井重里さんの名前を目にする事になった。

運営側から色々と有名人を薦められたんだけど、覗いてみるとTwitter社がおすすめするユーザーの中で一番私の肌に合っているような気がしたので、とにかくしばらくは読み耽ることに徹したんだ。

それがはじめてのツイッター研究だった。

すると とにかく糸井重里さんとその周りを取り囲む人達のツイートが眩しくて、その面白さに我を忘れた。当初の発信という目的を忘れてただただ流れてくるタイムラインに身を委ねる日々が続いた。
もうはっきり言ってそれだけでも私は充分に幸せだったのだ。

そしてほどなく一ヶ月経過した時にある事に気が付いた。それは百万人を超えるフォロワーを持つ糸井重里さんですが頻繁に言葉のやり取りをしているのは本当に一部の人達だけであるという事実だった。

そしてその心を赦している人達との交流が力強い渦を作り出していることに私は感動をおぼえた。

◇◇◇

その中で特に異彩を放っていた人物が田中泰延さんだった。

はじめはどんな方なのかも分からずフォローもしていなかったので、糸井重里さんとのやり取りだけを眺めていたんだけど、そこにはいつも笑いと冗談があった。
面白いおじさんだと思った。

エイプリルフール事件2016

ところがある日のこと、こつ然と田中泰延さんは姿を消してしまった。いつも居るのに今日だけ見かけない。後から気付いたんだけど、その日は2016年4月1日のエイプリルフールで田中泰延さんは悪戯でアイコンと名前を変更してツイッター遊びをしていたんだ。

それに驚いたのが糸井重里さんで、自分のタイムラインに知らないアイコンと名前の人が出てくる事を訝しげに思い、擬態した田中泰延さんを事もあろうかブロックしてしまったんだ。

一昨日のエイプリルフールで別人を名乗ったところ、2時間で462人が「誰やこのおっさん?こんなやつフォローしてへんわ」と反射的にフォローを外した事件だが、その462人になんと糸井重里さんも入っていて、本当に自分のふざけ方を反省した。
by 田中泰延【2016年4月3日のツイートより】

はっきりいって事故である。

ちなみにその時アイコンに使っていたのがショーン・Kの経歴詐称問題で使用されていた謎の外国人の画像だった。

そんでもってその時の名前は"碓井信一"。

そのからくりが分かった時「名前とアイコンがチグハグ過ぎるやろ!」と私は端末の前で大笑いしていた。

聞くところによるとその時の悪戯が原因で何千人というフォロワーが減ってしまったそうなんだけど、その流れに逆らうように私は田中泰延さんをフォローする様になったんだ。

◇◇◇

さて田中泰延さんをフォローしてはみたものの当初は泰延(ひろのぶ)という名前の読み方もよく分かっていなかった。分かっていたのはその頃はまだ電通のクリエーティブとしてコピーライターやCMプランナーとしてのお仕事をしていたという事だけ。

ある日を境に田中泰延さんは長い文章をネット上に発信する様になります。名前の読み方を知ったのもその頃。「ひろのぶ と読んでください」としつこいぐらいに書いていましたから、いつしか"泰延"という漢字は"ひろのぶ"と読むのだと頭の中にインプットされていた。

ただ一つ勘違いしていたのがずっと「ひろのぶ と読んでください」を「Call me(呼んでください) ひろのぶ」と読み違えていた事。呼んでくださいとは一言も言っていない。「読んでください」と毎回記述されていたんだけれども、ずっと「呼んでください」と思っていたので、いつの頃からかツイッター上で話し掛ける時は「ひろのぶさん」と呼ぶようになってしまいました。

ひろのぶさんはよく「SNS上で距離感を間違えるなよ」と口をすっぱくして発信していたんだけれども、私に関して言えばここが距離感を間違う一番のきっかけになったのではないかと分析している。

そして今なお「ひろのぶさん」と平仮名で呼び掛ける方をツイッター上で多くお見掛けするが、確率的に同様の勘違いをしている可能性が高いんじゃないかな。
心当たりのある方は自分の胸に手を当てて よく揉んでみてくださいね。

言葉の沼

そしてそのひろのぶさんのツイッターワールドですが、そこには知れば知るほど のめり込んでしまう沼の様な言葉の世界がひろがっていた。
実はずっと以前からひろのぶさんを慕う人達は何万人もいて"ひろのぶ党"という架空のネタ政党があり、ひろのぶさんを党首として応援する人達がいることを知ったのも程なくしてから。

ひろのぶさんのツイートは冗談とネタと含蓄に溢れた言葉と一見 他愛もない適当な言葉で日々紡がれていた。それは一日も休むことなく延々と繰り広げられているのである。

その頃には他にもアルファツイッタラーという呼ばれる人達が多数いることを知ってはいたんだけれども、私は脇目も振らずにひろのぶさんのツイートを追いかける様になっていた。何だかひろのぶさんのツイートには正体不明の隙の様なものがあったからだ。
そしてその星の数ほど こぼれ落ちているツイートには完成された言葉の結晶であると同時にそれを材料として好きに言葉を発信しなさいと言われている様な錯覚に陥る魔力の様なものがあった。

私はひろのぶさんのツイートを引用して、自身のフォロワーのいない空間に言葉を発信し始める。今までは自分の言葉を誰もいない空間に投げ掛けていたのに対し、ひろのぶさんに通知がいく世界で初めて言葉を発信したんだ。

まずフォローもしていない人からの通知はもちろん切っているだろうと私は考えていたんだけれども、ここでびっくりすることが起こった。
凄いスピードで返事がきたと思ったらこちらをフォローしてさっさと去って行ってしまったんだ。

まさか全部のリプに目を通している?!
嘘でしょ?!

それが正直な感想だったし、ひろのぶさんの温かさと処理速度の異常さに触れた瞬間だった。
フォロワー数ゼロのアカウント(私)を何の迷いもなく即座にフォローするのは今思い返すと凄いなと思う。

ひろのぶさんはよくTwitter上で大喜利を開催していたので、その都度時間を見つけては勝手に参加していた。参加と言ってもひろのぶさんのツイートに引用ツイートで被せて勝手に通知が届く様にしているだけ。
的外れで読む価値が無しなら何もなし、既読したならハートマーク、それなりに面白ければRT(リツイート)されるという単純な仕組みだけど、膨大な量を正確無比に返してくるひろのぶさんのライブ感にいつしか喜びを感じる様になった。
絶対迷惑だよねと思いつつも「ブロックされていない限りは良いか」とツイートを交わすうちに凡そ10ヶ月もの時間が経過していた。

ある日 次のツイートが投下されました。

UGは甘んじて受ける。ただし言葉の精度が低いものは添削して指導料の請求書が届くからそのつもりで。ふざけるには精度が必要なのだ。
by 田中泰延【2017年1月19日のツイートより】

君たちはふざけるにしても言葉の精度が低い。これからビシビシしごくから覚悟せよとのお達しだった。
その後程なくしてUGリストなるものをお作りになられた。

そして2017年2月10日にUG宣告を受け、私はUGリスト入りしてしまった。赤面すると同時に私以外にもこんなにもたくさんの方がリプを飛ばしているのだなと改めて感心した。

まま今でも不思議思うんだけれども、ここで私は突拍子もない行動に出る。
とりあえずリストインしているメンバーに挨拶してまわろうかと思い立ったんだ。

誰かが、別に期待せずに、たまたまバッタリ会った者に今やってる仕事の話をする。そのときボールはコロコロとそいつの前に転がされているのだが、ほとんどの者は無視だ。どういうわけか猛然とそのボールを蹴り返すやつだけが仕事を掴んでいる。
by 田中泰延【2013年1月7日のツイートより】

上のツイートに触発されたのかどうなのか分からないんだけれども、私は目の前のボールを猛然と蹴り返した。

何故そんなことをしたのか今でも分からないんだけれども、みんなも今頃恥ずかしさのあまり赤面しているだろうと想像すると何だか親しみの様なものを感じてしまったんだ。

UGバトンリレーの開催。
やはり想像通り皆さん戸惑っていた。

いきなりUG(ウザガラマー)という烙印を捺され、あまつさえシベリアに飛ばして人格矯正プログラムを組むと宣言された人たちはやはり「何々これどうなってるいるの?」と戸惑っていた。
そこに私は「挨拶お願いします」と持ちかけた。

見ず知らずの木彫りのフクロウのアイコンの人(私)から「とりあえず自己紹介お願いします」などとバトンを渡されたのですからみんな戸惑わないはずがありません。

メンバーは渡されるバトンを投げ捨てるが如く即座にまわし、無事に一周することができたんだけれども、私の触れた感触ではそこに悪人は居なかった。

ひろのぶさんが意図した事なのかどうなのかは本人が語らないので分からないんだけれども、その時からUG達はお互いにその存在を知ることで認めあうことになり、自然と交流を持つ様になったんだ。

すると今までひろのぶさんが一人で抱えていたリプの嵐をUG同士がお互いに投げ合い、ひろのぶさんの負担が少し和らぐという不思議な現象が確認された。

この時からUGとは単に田中泰延さんにウザ絡みをする人という括りから社交好きのちょっとお節介な人達というフェーズに突入する。そしてUGはウザガラマーという固有名詞から"ウザ絡みをする"という動詞の意味合いを濃くしていく事になった。

ただ仲が良くなり過ぎて、時として波状攻撃の様に徒党を組んで ひろのぶさんにウザ絡みをするイナゴの群れの様な行為も確認されており、これだけは完全に田中泰延氏の誤算の範疇であったかと思われる。

いつの頃からか一部のUG達はハンドルネームをやめ、本名を名乗り出すようになった。これは ひろのぶさんが呼び掛けた事が大きかったと思われる。

言葉を発する以上、私はこの顔と本名で生きています田中泰延です実在です、というのがあくまで私のスタンスです。あくまで私の考えですが、そうでないと言葉を発する意味が、すべて、「暇つぶし」になってしまいます
【2018年2月16日のツイートより】

こちらは比較的直近のツイートですがこのスタンスはずっと変わっていない。芸能人でもない以上、源氏名の様にハンドルネームで発言していてもそこに人格は認められないとする主義主張。
そして「ソーシャルネットワークと言えども一つの社会ですから、本名で言えない事は発信すべきではありません」と何度も発信し続けている。

天に唾したら自分にかかると言う現象を可視化したのがTwitter
by 田中泰延【2014年9月29日のツイートより】

全て自己責任で発信せよと諭されていると私は感じたし、ハンドルネームであろうとなかろうと汚い言葉は最終的に自分へ返ってくることを肌身に感じて以来、心にそっと留めている言葉だ。

私もブログではずっと本名を名乗っていたが、いつの日からかTwitter上でも本名を使おうと決めたのだった。

未だに少し違和感を感じるのが、本名を隠すことで仮面舞踏会の如く愉しんでいらっしゃる方も多い中、何食わぬ顔で本名で愉しんでいるという状況が多少アンバランスであると感じるぐらいだろうか。

泰延bot(非公認)の存在について


少し話は変わる。実は田中泰延さんのツイート発言を収集発信しているbotは歴代で3つあった。

初代のbotは既に存在しないので現存するのは2つなんだけど、この泰延bot(非公認)はその中でも一番最後に作られたもので、白状すると実は私が作ったものだ。

作られた背景としては初代botのアカウントがひろのぶさん御本人とので間でどうやらトラブルになってしまい、アカウント削除(もしくは自らのアカウント消去)になったという事実がまずあって、それでもひろのぶさんの過去ツイート発信装置としての存在を惜しむ声があまりに多く、管理者を変え有志で立ち上がったというのが事の発端。

(どなたが作ったのか存じ上げないのですが)2番目の田中泰延botが作られると、嬉しくなり すぐに周りのメンバーと共に私もフォローし始めた。ただ、2番目のbotアカウントはアイコンにbotの文字が入っていなったので御本人との識別が少し難しいという点があり、作られた当初はツイート数のストックが少なく比較的直近のツイートしか登録されていなかった為に、何回も最近のツイートを発信してしまうという事態になっていた。

残念に思った私は「それなら識別しやすいアイコンを用いて、古いツイートばかりを集めたbotを自分で作れば良いではないか」と、独自に行動を始めた。

もちろん無断で行動していたので、出来上がったアカウントの名称も泰延bot(非公認)としたのでした。

試運転でbotを起動させた時は上手くいくかどうかドキドキしたけれども、無事に一定時間で登録ツイートを発信するのを確認できるとたった一人で大いに盛り上がった。

でも無断でしたから罪悪感があったんだ。作るのには苦労したが、やはり消してしまおうと思い、それでも何だか名残り惜しく1回だけbotを作ったことをツイートした。

するとまたたく間にUG内で盛り上がってしまい、「怒られたらみんなで謝ってしまおうよ」というUG内の自分勝手な後押しを受け、アカウントを消さずにちょっとの間だけ運営してみようという事になった。

その後、2番目の田中泰延botのツイート登録数も着実に増え、過去から現在に至るまでかなりのボリュームのツイートを網羅するまでに成長したので、私の非公認botは当初の存在意義を薄め、ひっそりと陰でたたずむ様にひっそりと発信する事になった。

ここだけの話、というほど大した話ではないのだけれども、実は私が作った泰延bot(非公認)は他のbotと違い、一日に発するツイート数がとても少ない。これは作成した当初からの設定。

およそ半年を掛けて700ほどある登録ツイートを一周するという設定となっている。これは説明し辛いのですが、botとはいえ名言ばかりを消耗するが如く矢継ぎ早に機械的に発することは制作者として何となく避けたかったんだ。

そこにはbotのツイートとはいえわざわざ無碍に消耗される必要はなく、ゆっくりとした時の流れの中で静かに発信してくれるだけの存在で良いじゃないかという親心にも似た感情が私に芽生えていたのだった。

田中泰延さんの偉大さの本質

さて、UGの話とbotの話は全く関係ないのではないかと思われる方もいらっしゃるかと思いますが、bot運営をしていますと肌で感じる事があって、同じアイコンから派生した絵面から、これまた御本人と同じ内容の言葉を発しているにも関わらず、圧倒的な力の差をまざまざと感じる事がある。

これは非常に重要なポイントなんだけど、いくら御本人から発せられたツイートをコピー登録して発信しても決して本物にはならないという事実を突き付けられたんだ。

時にそのツイートの懐かしさや再発見からbotのツイートを引用される方はいらっしゃるんだけれども、みんなbotに対してはウザ絡みは決してしない。
「そりゃプログラムに対して話し掛けるヤツはおらんやろ」という真っ当な考え方もあるかもしれないけれども、そういう些末な話ではないのです。

例えばbotではない生身の人間がひろのぶさんのツイートをもそのままパクってツイートしたとしても同じ様にウザ絡みをする人が現れるかどうかを想像してみて。

私の直感では「なり得ない」という結論が出ている。

コピー(模写)に芸術の再現性がみられないのと同じく田中泰延氏のツイートのコピー(模写)に人と人との呼吸の往来は決して再現されない。(にわかなバズがあったとしても一過性のもの)

「どうしてか?」と考えた時に私の中で思い浮かんだのが次のツイートだった。

書け言われたらすぐに10個の嘘書いて人を泣かせる、これプロの物書きとして当たり前。読ませてみんながワンワン泣く9本捨てて、あんまり泣かへん1本を残す。そこにホンマの事が書いてあんねん。そやけど、あった事そのまま書くほど落ちぶれたらアカン。これプロの物書きとして当たり前(田辺聖子)
by 田中泰延【2013年5月29日のツイートより】

これは ひろのぶさんの恩師である田辺聖子先生からのお言葉なのだそうですが、おそらく ひろのぶさんはこの教えを忠実に守っているのではないかと私は思い至った。

"爆笑ツイート、名言ツイート"、おそらくコピーライターとして優秀なクリエーターである田中泰延さんは語弊を承知で言えばいつでも作れるのではないでしょうか。

実際 皆 ひろのぶさんの言葉に共感し、時に笑い、時に自分を重ね合わせ、心を動かされている。

現実にひろのぶさんのツイートは今まで数多くリツイートされ、ファボ(いいねボタン)が押され、人々の目に触れられている。しかし、私は感じたんだ。そういった現象が巻き起こる際、その時発せられたツイートは実は単なるきっかけにしか過ぎないと。

そこに到るまでにはそれまでに温められた何かがある。

それはみんなの記憶にはあまり残らない様な何気ないツイートで不意にこぼす余韻だとか、もしくはそこに語らなかった言葉の裏側に何かの存在がある様な気がしてならないんだ。

リツイートやファボの入っていない、見過ごされがちな一見くだらないような大量なツイートに いつの間にか皆 温められて、おでんの様にシュンだ状態にさせられている。

その正体がきっと"ホントに大事なこと"

名言だけを集めたbotにはその要素は欠落する。

くだらなさも必要なのかもしれないとbotにあえて くだらないツイートも登録してみた。でもそこに血は通わなかった。教科書的な履歴のみ、、

残り香でもない。
近いものを求めれば求めるほど本質からかけ離れていく。
好きで始めたことの突き進んだ先にあったのは畏怖と嫉妬に似た感情だった。

脱線したね。
私の個人的な感情はひとまず棚に上げます。

なにせですね、正体不明な一見 隙とも言える何かに皆 温められていることは確かだと思う。
そして、それを感じるからこそ田中泰延さんに惹かれた人は「ひろのぶさん、あのね 私ね、、」と自然と語り出すのではないだろうか。
たとえそれがウザ絡みだったとしても。

そして「うるさいな」と思われているかもしれないけれども、何故か"知らん人"から来るメッセージをひろのぶさんは今もずっと聞いている。

10万ツイートを超えて今も ひろのぶさんは発信し続けていますが、本当のところ 田中泰延さんの偉大さの本質は"ずっと他人の言葉を聞き続けている人"ということなのだと私は思っている。

◇◇◇

さて、最後にUG(ウザガラマー)の今後の行く末について。

何故かUGは結束力の強い集団になりつつあるけれども、人間の集まりですからいずれ離れる人もいれば、新たに仲間に加わる人も出てくるでしょうね。
もし不意にUGリストに放り込まれて困惑している方がいらっしゃったら、リストに載っている他のメンバーに是非目を向けて欲しい。

そこには草の根の様に張り巡らされた賑やかでちょっと迷惑な人達が居てるよ。

それぞれ有名人でもないですし、有益な情報を出し惜しみなく提供しているわけでもない。どちらかと言えば無駄口ばかり。フォローしても目に見えてプラスに働く事はないでしょう。お金が儲かる訳でもない。
逆に言えば貴方も有益な情報を無理に出す必要はないよ。ただ一つルールがあるとすれば、必ず自分の言葉でツイートを発信してということ。

それは有益であろうと無かろうと いずれ必ず 誰かの目に留まる。そして誰かから何らかの反応が返ってくる日が来る。
それは貴方の言葉が誰かの心を揺らした結果であり、いずれ言葉と言葉の往復が始まります。それが正しい言葉の往復であれば、資本主義の理想型の様に その価値は無限に膨らみ続けるんだ。

言語とそっくりな道具としては、貨幣、つまりお金があります。その流通性において、貯蓄性において、利殖性において、交換性において、使われる目的において、これほど似たものはありません。
by 田中泰延【2013年3月21日のツイートより】

経済活動において物と貨幣の交換がいろんな人と行き来する事で無限の価値が生じるのと等しく、言葉と言葉をいろんな人とラリーする事は本当は経済活動と同等の価値があることなんだ。

昨今 日本の国全体が極度にマナーに厳しい社会になってきた様に感じる。
マナー違反する者は拒絶・排除されて行く社会。

しかし究極のところ どれだけマナーを守ろうが礼節を重んじようが、人が生きるという事は誰かしらにほんの少しの迷惑を掛けながら日々を暮らしていくということ。

日本で古くから使われている言葉を見渡してみれば良いでしょう。
「お邪魔します」「お世話になります」
これらは最たるもので、どうしても多少の迷惑を掛けてしまうことは避けようがないという人と人との交流を前提とした言葉まわしなんだ。

ウザ絡みを完全に肯定する訳ではないけれども、ウザ絡みが肯定されるとすれば、その根底にあるのは多少の迷惑の許容なのかもしれない。
本当に酷い迷惑のものについては拒絶・排除で良いんだろうけれども、人と人との交流において大切なものはどちらかと言えば多少の迷惑の許容じゃないかと思う。

UGは今やインターネット上の付き合いを離れ、実際に人と人とが行き交うコミュニティになりつつある。それは良い言葉を往来させてきた積み重ねであるし、何となく迷惑を許容してきた結果でもあると私は思うんだ。

人はね、きっと心を持つかぎり誰かに言葉を投げかける様にできているんだよ。

仲 高宏より

◇◇◇
10,000文字を超える文章に付き合ってくれてありがとうございます。
本音を言葉で発信することは本当は本名がネット上に流出するより恥ずかしい事かもしれないですね。

【この文章は2018年3月25日に個人のブログで発表したものを加筆修正したものです。】


ここのコメントを目にしてくれてるってことは最後まで読んでくれたってことですよね、きっと。 とっても嬉しいし ありがたいことだなー