人の道を踏み外す分岐点となるものは?「鬼滅の刃」

今回は、思い切って漫画を取り上げてみました。漫画といえど、本、いやそれ以上にメッセージ性が強かったり考えさせられるものも多いものです。漫画だからこそ、絵をふんだんに使って表現することで伝わるものがありますし、漫画だからこそ思い切って現実とかけ離れたような内容で大胆に伝えることもできると思います。

こちらの「鬼滅の刃」という漫画ですが、人の心を保つこと、思いやりを持つこと、一見当たり前のことかもしれませんが、これらを大切にすることを考えさせられるものとなっています。

どのような内容なのかですが、一言でいうと「人」と「鬼」の戦いです。そして、その敵役となる「鬼」についてなのですが、元は人であり、食料を人とし、力が強く、また再生能力が異様に高くて傷つこうが腕を切り落とされようがすぐに治ってしまします。首を切り落とすか、太陽に浴びせない限り倒せません。また、何年も何百年も老いずに生きていくことができます。普通に考えて人の勝ち目はないのです。鬼殺隊というこの鬼を倒す専門の組織があるのですが、そこに主人公の炭次郎が入り、成長していく物語となっています。

この鬼というのが、(悪役らしいといえばそうですが)人を殺すこと、痛めつけることを平気でやって楽しみ、やってることがメチャクチャなのです。元は人間なので、心や身体が痛むことは知っているはずなのですが、それでもお構いなくできてしまうのです。(この漫画はまだ続いていて最後どうなるのかまだわかりませんが)まだそこまで力のない炭次郎ですが、勝ち目のない相手の鬼のそのやり方に対して激怒し立ち向かうシーンがあります。

「俺はきっと選ばれた使い手ではないのでしょう でも それでも 選ばれた者でなくても 力が足りずとも 人にはどうしても退けない時があります 人の心を持たない者がこの世には居るからです 理不尽に命を奪い 反省もせず 悔やむこともない その横暴を 俺は絶対に許せない」

筆者はこの「人」と「鬼」を「人の心を保つ者」と「人の心を捨てたもの」で分けると、実際の現実社会でもかなりリアルに当てはまるのではないかと思いました。現実でも、平気で人を痛めつけたり騙したりする人がいますよね。この保つ人と捨てる人、どこで分かれるのでしょうか。

それらを考える上でシーンを変えます。鬼を倒す専門組織、鬼殺隊の上層部にいるのが九人の「柱」となります。いわばエリートですね。その柱である煉獄という人と、こちらも鬼の上層部となる「上弦」の猗窩座という鬼の対決シーンがあります。

煉獄はさすがは「柱」ということで、鬼の上層部である猗窩座に対して傷をつけます。しかし、説明した通り首を切り落とさない限りすぐに治ってしまいます。対する煉獄は生身の人間、ぶつかるごとにダメージを負い、左目は潰れ、肋骨は折れ、内臓は傷つき、息も切れています。そのような姿をみた猗窩座は「鬼になれ」と勧誘しますが、煉獄は頑なに拒みます。そして、最後はみぞおちを貫かれ、これは鬼にならない限り助からないというような状況になるのですが、それでも戦い続けるのです。

結果としては、煉獄は動けなくなってしまい、猗窩座は太陽から逃げる為にその場から立ち去ります。ここだけみると勝敗は煉獄の負けになってしまうのかもしれませんが、煉獄が最後まで諦めずに戦い続けたおかげで、周りの200人余りの人達と、まだ鬼殺隊に入ったばかりである主人公の炭次郎含む三人の隊員を守ることができました。そう、煉獄は倒す為でなく守るために戦っていたのです。

最後まで鬼の勧誘を断り続け、戦った煉獄の気持ちの源泉はなんだったのでしょうか。まず、一つとして母の存在があったようです。煉獄の母は若く病気で亡くなってしまうのですが、まだ幼い煉獄に伝えていたことがあります。

「なぜ自分が人よりも強く生まれたのかわかりますか?弱き人を助ける為です。生まれついて人よりも多くの才に恵まれた者はその力を世のため人のために使わねばなりません。天から賜りし力で人を傷つけること私腹を肥やすことは許されません。(中略)私はもう長く生きられません。強く優しい子の母になれて幸せでした。」

一つは信じる人の存在が大きかったようです。この言葉を思い出しながら、守るために戦っていたのでしょう。で、もう一つ考えさせられるシーンがあるのですが、最期、戦いの場にいた主人公の炭次郎含む三人に言葉を残すシーンがあります。

「胸を張って生きろ 己の弱さや不甲斐なさにどれだけ打ちのめされようと 心を燃やせ 歯を喰いしばって前を向け 君が足を止めて蹲っても時間の流れは止まってくれない 共に寄り添って悲しんではくれない (中略)もっともっと成長しろ そして今度は君たちが鬼殺隊を支える柱となるのだ 俺は信じる 君たちを信じる」

この言葉を終えて「胸を張って」息をひきとりました。今は鬼殺隊のエリートである煉獄も、おそらく何度も何度も打ちのめされて立ち止まってきたことが伝わってきます。ですが、立ち止まっていたら何も変わらず辛い状況のままです。だからこそ、前を向き続けることを選んだのでしょう。鬼になれば、痛みを感じることなく長く生きられるのでそれだけ強くなれるチャンスもあります。ただそれは人ではありません。もう胸を張ることもできないでしょう。そして、信じる人がいることはそれを保つ為にどれだけ心強いか知っているからこそ、最後に「信じる」との言葉を使ったのだと思います。

今回は煉獄を例に出しましたが、他にも、過去に捉われながら、葛藤しながら、鬼と戦い続ける人達が登場します(今後もでてくるでしょう)鬼にならない(人の心を捨てない)理由はそれぞれなんなのでしょうか?今後も、こちらを読みながら、「人の心」について考えていきたいと思います。


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