「作品」と「製品」の区別。
実はかつて、ある若き作曲者の彼と数時間もこの件で激論を交わしたことがあるのです。
それが最近になって、動画クリエイターやほかの作曲者、イラストレーターのみなさんとお話していて、特に「うまくいかない」系の話題のほとんどが、この「作品」か「製品」かの区別ができていないことが大きな要因だったので、一度整理して書き記しておこうと思います。
策家(さっか)のないとうです。名古屋を拠点に企画者として活動しています。策とは企画、企画とは「誰かの手助け」。動画・音楽・ウェブや印刷物などのクリエイティブやイベント、販促、組織の体質改善など、ノンジャンルで企画や作戦を立てたり、相談や対話をしております。
つい先日のことです。
「できると思ってオーダーしたら、こちらの要望とは方向性もズレていて、品質も低くて参った」という話題が飛び込んできました。
詳しく伺ってみると、発注する相手がそれなりにキャリアがある方だったので、簡単な箇条書きの発注条件を送ったのみだったとか。
ありますよねー、そういうの。
その方は人格者で「こちらの発注時の対応も足りなかった」と自己反省を含めて話していたんですが、お相手、つまり受注した方は正反対だったのです。
納品したらそれでOKだと思った。
ってヤツです。
ちょいと遡りますが、ワタクシが社会に出た1990年代に電話以外の伝達手段としてFAXがあり、徐々にEメールへと変化していきました。携帯電話でもメールが送れるようになり、世の中グッと便利になりました。
ってことはね、
まず「人が文字でやり取りするのを日常的にするようになって、まだたったの30年ちょっと」ってことなんです。
それまでの人類の歴史を見ると、個人間だろうが国家間だろうが、ちょっとした言葉のかけ違いで数限りない争いが行われてきているわけで、それが便利だからといって文字のやりとりで済むなんてーのは甘いと思うんですよね。表情とか声のトーンとかなーんにもないわけで。
ワタクシも簡単にメールでお送りした内容が反映されず、原因は「伝達する情報の少なさと不確かさ」だと痛感して以来、次のように使い分けています。
①金額や日時、住所などの確定情報はメール
②ニュアンスやこちらの思いなどを伝えるのは電話(会話)
という具合に。
おおむね、「言った/言わん」問題というのは日時などの数字の聞き間違いなどで起きるので文字情報としてメールで。ニュアンスや思いなどは少しでも多くの情報を伝えるために電話、あるいは対面での会話にしているんです。
今回お聞きしたお話も、制作物へのリクエストを箇条書きでメール送付しただけだったことが、制作者さんとの間に「認識のズレ」を生み、満足できない状態になったということですね。
こういう認識は発注側も、そして受注側も理解しておく必要があって、仮に箇条書きだけでリクエストが来たとしても、ニュアンスや方向性、思いなどを電話で確認するのがベター。
それも格段に差が出るベター。
「そんなことは言わなくてもわかるだろう」ってセリフは、問題が起きた時にしか出てきません。
今回の話はさらに、作り手側に大きな課題を残していました。
それが「作品」と「製品」の区別ができていないこと。
みなさんはどう区別しますか?
ワタクシの意見が正解だとは言いません。でも、クリエイティブの現場でいわゆる「顧客満足度が高い人」というのは、明らかに区別できているように感じるのです。
「作品」とは?
自分だけの考えやアイデアでモノを作り、世に問うもののこと。
「製品」とは?
誰かに依頼を受けてモノを作り、満足していただくことでギャラをいただくもののこと。
ざっくりいうとこういうことです。
個人で活動しているクリエイターさんの多くは「自分が手掛けたものはすべて作品だ」とよく主張されます。だから過去の実績を「作品集」に入れたりしますよね。
もちろん、発注する側は「自分で作れないから発注する」とか「その人の撞くる作品が好きだから発注する」などさまざまな場合があると思うんです。
頼まれて作る「製品」は、「相手に満足していただいてギャラをいただく」という設定なので、お客様が「アナタが作った作品が素晴らしいからお任せします」とオーダーすれば、それは製品であり作品でもあるわけです。
あるいは「こことここだけはこうして欲しいけど、あとはお任せします」というハイブリッドな感じもあると思います。この場合は、与えられた条件を守り、残りは自分の「作品性」を発揮して構わない、ということです。
ただね、そこに「ここはこうしてください」というお客様の意見が少しでも入るのであればやはり「製品」だと思うんです。「作品」とは自分だけで作り上げ、世に問うわけなので。
それを仕事で請けるとなれば、納期や予算という条件も加わるでしょう?
まったく「自分だけで作り上げる」わけじゃないってことです。
で、
「製品」が「相手の満足」という必須条件があると仮定しますと、納品した際に「どうですか?」という声掛けがないのが実はかなりヤバイ。
たとえば、これが料理だったとしましょう。
アナタが個人料理店のシェフだとして、初めてのお客様に「どんなものが食べたいですか?」と聞き取りして料理を出すわけです。
「お口に合いますか?」
って聞きませんか?
つまり、それが大事なんです。
制作物であれば、オーダーいただいて、作って、一時納品時に「いかがでしょうか? オーダーと違う点などあればなんでも言ってください」という歩み寄りとすり合わせが必須なんですよ。
ところが今回のお話のように「満足いかない件」系の話題の場合、ほぼこういう歩み寄りもすり合わせもない。
まさに「どうだ!うまいに決まってるだろ?」と相手に迫るパワハラです(笑
リピート受注につながらないとか新しいお客様を紹介されたりしない理由の上位はこれであることがとっても多いのです。
動画なら完成形に近いものをサンプルで見せたり、音楽も形がないので近しいイメージの参考曲を聞いてもらったり、イラストもタッチとか色遣いがあるでしょうからサンプルを用意して見てもらう。
こういうすり合わせを最初にしっかりやらず、納品時にも歩み寄らなかったら、そりゃ満足を追っているとは到底言えません。
悪いパターンの場合は受注側が「オーダーの仕方が悪い」だとか「お客様がわがままだ」と言ってしまう。反対に発注側も「言ったとおりに作ってこない」と言ってしまう。
こうなるとなかなか解消が難しくなります。
つまり、誰も喜べない結果です。
ワタクシは個人的に「元請け下請け」なんて不必要な上下感を感じるのでのキライです。
あえてその言葉を使って書くと、元請けは下請けなしじゃモノが作れない。下請けは元請けが発注してくれるから仕事になる。対等にやったらいいじゃないですか?
所属会社がどこであろうとも、「いいモノを作ろう」という認識がすり合わせてあり、そのための工夫や努力を怠らなければいいモノはちゃんとできます。
あとね、
「自分は作品だけで生きていきたいんだ!」と主張される個人クリエイターさんにも出会うことがあります。もちろんそんなの自由です。
ところが実際には「製品の発注がなければ食べていけない人」の方が圧倒的に多いわけで、作品だけで食べていくのは「ダメなら死ぬ」と言わんばかりの侍ばりの覚悟が必要だと思うんです。あくまでも傾向ですが、「製品」を作ってきたキャリアがない人ほどこのセリフを口にします。
「製品を作る」には、実は「自分の引き出しを増やすチャンス」も含まれています。自分の発想だけじゃないし、自分ではあんまり気乗りしない内容だとしても、実際にそれを自分が手を動かして作ることで、少なからず技術が磨かれたり、新しい視点を発見したりします。
人は一人では生きていけません。
誰かに頼ってもらうことは、ある意味で「試されている」ので、自己成長にもつながっています。
どうでしょうか?
「作品」と「製品」の区別できました?
先述しましたが、これが正解だと思って書いているわけではありませんので、アナタなりの区別でいいので、ちゃんと区別ができている方がなにかといいと思いますよ。