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脱・「あとでガッカリ」

 策家(さっか)のないとうです。名古屋を拠点に企画者として活動しています。策とは企画、企画とは「誰かの手助け」。動画・音楽・ウェブや印刷物などのクリエイティブやイベント、販促、組織の体質改善など、ノンジャンルで企画を立てております。

 知らないことはヤバいことですね。

 今回のテーマ「脱・あとでガッカリ」は、新社会人に読んで欲しいだけじゃなく、個人活動している方でも、そして社会人経験がそれなりにある人にも割とあてはまる。それと、「あの人は仕事ができるなぁ」というのを、どこを見て思うのかという線引きでもあります。

 わかりやすいように、逆説で書きます。

 題して「あとでガッカリシステム」が次のような症例です(笑

 ①時間を早めに言って、あとで延期する
 ②金額を高めに言って、あとで下げる
 ③できないことをできると言って、あとで謝る
 ④合計金額を言わずに月々の支払額の低さで売る
 ⑤大事なことを記録じゃなく記憶でやる

 ワタクシのXにも書いたんですが、もうちょっと詳しく書いておきたいなと思った次第です。

[①時間を早めに言って、あとで延期する]
 「なるべく早い時間を伝えることが優秀に思われるコツだ」と言わんかのごとく、これを繰り返す人がいます。スケジュールの変更なんて少ない方がいいですから、何度もあとで延期するくらいなら、最初っから確実性の高い時間を伝える方がいい。
 ついでに書くと、会議や打ち合わせも開始時間だけじゃなく終了時間も伝えるとなおいいです。要するに「配慮」の問題ですね。

[②金額を高めに言って、あとで下げる]
 いますよねー、わりと(笑)
 見積りでも、口約束ギャラでも同じですが、時間と同じく金額とは数字ですので、金額を聞いたらやっぱり後で変更されることを望んでいる人はいません。あとで自分のメリットが増えるのは歓迎ですけどね。
 ワタクシは見積もりを作る場合でも、予め予算枠が決まっていない限りは「安全圏の数字で出して、実際に始まってから費用を圧縮する努力をする」という方針です。たとえ正当な理由があって追加料金を請求できたとしても、やっぱりあとで追加されることを喜ぶ人はいないんです。
 ギャラをもらう場合は見積りとは逆に、「最低でもこれくらいは払えます」と最低価格を担保する言い方をします。もらえるお金があとで下がるときのガッカリ感は、ただでさえ実入りが減るのにやけ酒代までかさんでしまうくらい深いもので、不快なものです。

[③できないことをできると言って、あとで謝る]
 間髪入れずに「できます」と言われると逆に不安になりませんか? それです(笑)
 未確定事項は正直に言わなければ、ただでさえ失ったことを気づきにくい「あなたの信用」が音もなく失われていきます。
 あとね、動画制作や音響の現場で実際にあったことですが、プロなのに予備の機材を用意してなくて、当日に機材トラブルがあったときに「機材トラブルなので仕方がありません」と堂々と言う人がいました。これはもう、プロじゃないです(笑
 安い機材を一式だけそろえて、本格機材を予備までそろえているところと同列で営業をかけて「安くやりますよ」って、ホントにおかしな話ですし、この場合の目的は「撮る」や「ライブ」であり、その実現を損ねたのだから責任は大きいと思うんです。それを謝罪の言葉もなく「機材が悪いんであって私は悪くないです」ってよく言えるなー、と(笑

[④合計金額を言わずに月々の支払額の低さで売る]
 これもめっちゃ増えましたね。特に自動車。ワタクシの若かりし頃は、「購入する側がローンで見積もりを取って値引き交渉をして、その上で理由をつけて、そのままの金額で一括に変更してもらう」という荒業が行われていました。今横行しているのはこの逆です。販売する側が「月々この金額だけでこんなクルマに乗れますよ」と押してハンコを押させるという。
 一括購入と分割購入の合計金額の差をちゃんと説明して、その上で「分割してでも乗りたい」と希望した場合以外はめっちゃ黒いグレーゾーン。
 英語圏では支払いのことを「ダメージ」と表現します。お客様ファーストを謳っているのであれば、「無理して分割で購入させる」ように誘導するなんて、「売上金ファースト」の間違いでしょ?

[⑤大事なことを記録じゃなく記憶でやる]
 正直に言えば、若いときはワタクシも圧倒的に記憶で仕事をしていました。当時は携帯電話も普及し始めで、雑誌編集のときに取材対象になる拠点の電話番号をへたをすると100件以上記憶していました。先輩が重宝がって、「〇〇の電話番号って?」とワタクシに聞いていたくらいです。
 それでもね、やっぱり記憶でやっているとどこかで必ず「記録しなかったことでのミス」が起こるんです。仕事は野球のバッターじゃないので「3割打てば優秀」なんて線引きじゃあない。「確認していなくて起きたミス」は「自分(やチーム全体)のミス」になるんです。
 ここ3年ほど指導している人がいますが、何度も「書かなくて大丈夫?」とツッコミを入れているんですが、それでも書かない。コンビニで300円ほどで手に入るノートとペンでやることを推奨したんですが、頑なにマックブックを開いてそこにメモは取る。そして自分でそのメモを再び開くことはない(笑
 書くことを作業だと思っているうちは、書いても意味がない可能性も高いです。「忘れずに確実に遂行するため」に書きましょ。

 信用を失うということは、何をするにもデメリットしかありません。

 承認欲求の深さは人ぞれぞれだとしても、「今より良くなりたい」という思いはおおむね誰でも持っているんじゃないかと思います。少なくともこういうnoteを気になって読んでいる人はね。

 余談ですが、最近じゃ「あいさつしなくてもいいだろ論争」とかもあるようですが、ワタクシの見解は「したくないならご自由にどうぞ」です。「たかがあいさつ」と軽んじている人が、あいさつしないことで信用を失っていく姿はもうコメディーでしかありません(笑

 ということで、逆説で書きましたが、どうでしょうか?

 どういう仕事をしたら喜ばれて信用が深まり、どういう仕事ぶりだと信用を失っていくのか。自分と、自分の周囲の人にも当てはめて観察してみるといいと思います。立場上、ヤバい人と仕事をしなくてはならなくても、少なくとも心の準備はできますし、できるだけ距離をあけることもできるでしょう。

 参考になれば幸いです。

 


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