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1970年、バーンスタインは本当にウィーンで「マタイ受難曲」を振ったのか

 先日亡くなったピアニストのフジコ・ヘミングさんの記事を新聞で読んでいて、彼女がかつてバーンスタインに認められたという有名なエピソードを思い出した。しかし、実際、両者にどういう接点があったのか詳しいことは知らなかった。

 今さらながら興味が湧いて調べたら、すぐにそれについて言及した記事が見つかった。

1970年。その頃、ヘミングさんが住んでいたウィーンでバーンスタインの演奏会があった。曲目はバッハの大作『マタイ受難曲』。ヘミングさんは立見席でそれを聴いた。大きな感動だった。
たまらなくなって、ヘミングさんは楽屋を訪ねた。バーンスタインは快く会ってくれ、彼女のピアノを聴くという。温かみのある人間性に誘われて、彼女は弾いた。終わると、バーンスタインは彼女を抱きしめて言った。「君は素晴らしいピアニストだ」

【追悼】私の夢、私の人生——運命のピアノは鳴り響く:フジコ・ヘミング|人間力・仕事力を高めるWEB chichi|致知出版社

 彼女がバーンスタインに認められたということより何より、彼が1970年にウィーンで「マタイ受難曲」(!)を指揮したという記述に驚愕した。

 バーンスタインは確かに1962年、ニューヨークで「マタイ」を指揮して録音もしている(英語版でしかもカットだらけで世評は高くない)が、それ以降は同曲を指揮したことはなかったはず。そんな不慣れな曲を、まだ客演を始めて日の浅いウィーン・フィルの演奏会でとり上げるなんて、余りにもリスキーでにわかには信じがたい。これまで読んできたいくつかのバーンスタイン関連の本でもそんな記述は見たことがないし、海賊盤で出たという話も知らない。

  それに、ウィーン・フィルが「マタイ受難曲」を演奏する機会はかなり少なく、1954年、フルトヴェングラーが亡くなる少し前に演奏して以降、90年代にリリングが振るまで演奏していなかったはずだ。

 なので、ヘミングさんが件の演奏会を本当に聴いたのだとしたら、相当にレアで貴重な機会だったはず。

 そこで私が考えることは、ただ一つだけである。もし録音が残っているのなら、是非とも聴きたい、ということだ。気になって眠れなくなりそうなので、誤差を見込んで1969~1971年のいくつかの演奏記録を調べてみた。

 まずはウィーン・ムジークフェラインザール(楽友協会)。バーンスタインは以下の演奏会を指揮した。

1969.5.26-27(ウィーン芸術週間)
ベートーヴェン/ミサ・ソレムニス
(ヤノヴィッツ、ルートヴィヒ、クメント、ベリー)

1970.6.5-7 (6/5は2回)
ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第1番(弾き振り)
ブルックナー/交響曲第9番

1971.2.20-21
ハイドン/交響曲第102番
ラヴェル/ピアノ協奏曲ト長調(弾き振り)
シューマン/交響曲第4番

1971.2.26, 3.13
マーラー/交響曲第9番

Archive - Musikverein Wien

 次に、ウィーンのコンツェルトハウス。

1970.4.4-5
ベートーヴェン/交響曲第9番

1970.6.10 フリーメイソンのためのコンサート
ベートーヴェン/序曲「レオノーレ」第3番
ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第1番(弾き振り)

Wiener Konzerthaus - Database search

 もう一つ、アン・デア・ウィーン劇場でもオペラを振っている。

 1970.6.9ほか
ベートーヴェン/歌劇「フィデリオ」
(ジョーンズ、キング、アダム、ポップ、ダラポッツァ、クラスほか)

レナード・バーンスタイン>ディスコグラフィー(録音順1970~1974) (itscom.net) 

 念のため、ウィーン・フィルの演奏会記録も調べたが、1964年の初登場から1990年の最後の共演に至るまで、バーンスタインが「マタイ」どころかバッハの音楽を指揮した記録は見つからなかった。また、1950年代以降、ウィーン・フィルで「マタイ」を指揮したのは、ワルター、フルトヴェングラー(1954)からずっと空いてリリング(1998)、アーノンクール、ハーディング、メストの6人だけだ。

 因みに、この時期、ベートーヴェンの作品が多くとり上げられているのは、1970年が生誕200年のアニバーサリーイヤーだったからだ。

 あともう一つの可能性はウィーン交響楽団だが、そもそもバーンスタインはこの楽団を欧州デビュー時に振って以来指揮していないはずだし、演奏会場となり得る楽友協会、コンツェルトハウスで記録が見つからない以上、このオケで「マタイ」を指揮したとは到底思えない。オーストリア放送交響楽団は1986年にしか振っていないし、トーンキュンストラー管(厳密にはウィーンのオケとは言えない)を振ったとも考えられない。

 以上を総合すると、1970年ころにバーンスタインがウィーンで「マタイ受難曲」を指揮した可能性はほぼゼロに近いということになる。同時期にウィーンの主要なコンサートホールで「マタイ」が演奏されたという事実も確認できない。

 何だか雲行きが怪しくなってきた。そう言えば、ヘミングさんはバーンスタイン以外にも、ブルーノ・マデルナにも認められたそうだが、あの泣く子も黙る作曲家・指揮者が、彼女と同じ場で演奏している図がなかなか想像できなかったりもする。正直、「ほんまかいな」という気もしないでもない。

 また、いくつか情報を得た中では、彼女はバーンスタインと35歳のときに出会ったとのこと。彼女のバイオグラフィからすると、ウィーンで「マタイ」を聴いたという1970年にはもう38歳になっているはず。数字がいろいろ合わなくて、さっぱり訳が分からない。

 日本のジャーナリズムは、大丈夫か。彼女のプロフィールをちゃんと検証したのか。言い値で無条件に垂れ流してはいないか。私の頭の中で、緑の服がトレードマークの自治体首長の姿がチラついてしまう。

 だが、私はフジコ・ヘミングさんの発言の信憑性について問うつもりはない。重要なのは、彼女がヨーロッパでどんなキャリアを築いていたかではない。帰国以来、ピアノの演奏でたくさんの人たちの心をつかみ、クラシック音楽へと導いたという事実こそ、かけがえのない真実である。
 
 考えるのだが、ヘミングさんは本当は1969年のウィーン芸術週間に「ミサ・ソレムニス」を聴いたのだが、彼女の記憶違いか、何か別の記憶が混濁してしまったんじゃないだろうか。こちらも「マタイ」に負けず劣らず偉大な宗教音楽なので、あり得ない話ではなさそうだ。あるいは、1962年にニューヨークに赴き、「マタイ」に取り組んでいたバーンスタインと会ったのかもしれないが、そこまで行くと思い違いにもほどがありすぎる。

 以上より、ヘミングさんがバーンスタインに会ったのは、実際には1969年の「ミサ・ソレムニス」でのことで、1970年の「マタイ」云々という話は彼女の記憶違いであると結論づけたい。それでいいんじゃないか。

 それにしても、ウィーン・フィルの当時の演奏記録を見ると、いかにバーンスタインが特別扱いされていたかがよく分かる。

 何しろベートーヴェンの創作活動の核心とも言える「第9」「ミサ・ソレムニス」「フィデリオ」の指揮を任されたばかりか、ブルックナーとマーラーの9番という大作まで振っているのだ(後者は演奏旅行前後で2回とりあげ、ベルリンでの公演が映像版マーラー全集の第一弾として収録・商品化された)。しかも、ベートーヴェンだけでなくラヴェルの協奏曲で、得意のピアノ弾き振りまで披露している。また、当時のオーストリア首相ブルーノ・クライスキーが参加するコンサートにも出演しているのも目を引く。どうもこれはフリーメイソンと関わりのある企画らしい。ヨーロッパの歴史、奥が深い・・・。

 もしかするとフジコ・ヘミングさんが聴いたかもしれない1969年のバーンスタイン指揮による「ミサ・ソレムニス」は、翌年にベートーヴェンの生誕200年を控え、セル指揮の「第9」と並んでウィーン芸術週間で演奏されたものだったはず。カラヤンでもなくベームでもないアメリカ人指揮者が選ばれ、しかも演奏も素晴らしかったとのことで大きな話題となり、70年代末に福永陽一郎だったか黒田恭一だったかが雑誌で書いた記事を読んだ記憶がある。

 この演奏はFMでも放送されたらしく、セルの「第9」は海賊盤が存在するが、まだ一度も聴いたことがない。「マタイ」が聴けないのは音源が存在しない以上仕方がないが、もし「ミサ・ソレムニス」の録音が残っているなら是非聴いてみたい。歌手陣も豪華だし、「ベネディクトゥス」でソロを弾いたというボスコフスキーの演奏も聴きたいところ。

ベートーヴェン/交響曲第9番(1970.4 コンツェルトハウス)

ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第1番(1970.4 コンツェルトハウス)

ドキュメンタリー「ベートーヴェン生誕200年」(第9、ピアノ協奏曲、「フィデリオ」抜粋)


マーラー/交響曲第9番 (1971.3 ベルリンでの収録)

ハイドン、ラヴェルのCD(1971.2 ムジークフェライン)


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