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介護で検索するとよくみかける愚痴について思うこと

わたしが
特養とよばれる老人ホームで働いていた頃のお話

『老人ホーム』
簡単に言うと
お年寄りが終の住処として生活している場所

そこには
お年寄りと
そこで働く職員
いろいろな考えかたをもった人達がいます

そこで暮らすお年寄り全てが
認知症ではないのですが
物忘れ程度の方もいれば

見た目には
認知症ではない方だと感じたお年寄りが
1~2分おきに同じ事を質問されたり

日中はほとんどトイレ行かないのに
就寝後しばらくして
朝まで1時間に何度もトイレに行くお年寄り

夜の決まった時間に
廊下をぐるぐる回るお年寄りがいて
夜勤の時に
そのお年寄りが
何を探しているのか
何が気になるのか
知りたくて
一緒にぐるぐる歩いたり

その他
叩かれたり噛まれたり罵られたり
ツバを吐かれたりetc・・・・

それはとてもとてもユニークな職場でした

これらの話は
snsなどで介護職の方が愚痴っておられるの
見た事があるんじゃないかなぁと思います

確かに
愚痴りたくもなりますし
お気持ちはよぉっーく理解できます
労働環境が良くならないこと
何かや誰かのせいにしたくなること・・・・

『わたし』自身

『失敗は人のせい』
にして生きていた時期がありまして

でも
そんな生き方してたら
まわりに誰もいなくなってしまった

そんな経験があります

人のせいにして生きる
その『習慣』から
なかなか抜け出せず
もがき続けている時

辿り着いた介護の仕事

男であるわたしから
入浴や排泄の介助をうけても

嫌な顔一つせず

『ありがとう』

って笑顔をくれるお年寄り

そうかと思えば

自分の置かれた境遇を呪うかのように

不平不満愚痴をこぼし続けるお年寄り

どちらも
同じ年齢で同じ性別

そんな
同じようような感じのお年寄りと接するたび

わたしが
いずれ辿る道は

この両者の道のどちらかだよね・・・

この両者の違いは何なのかと考えるように・・・

個人の物事の捉え方や考え方が

認知症発症後の性格変化に

どれくらい影響しているのか?

全く影響はないかもしれません

それは
わたしにはわからないのですが

わたしが思うに


自分自身に起きていること

それを
自分自身で受け入れないと

いつまでも
誰かのせいにしなければならなくなる

失敗や情けない自分を受け入れることは

かなり苦しい辛いしね

だから
誰かのせいにして『楽』になりたがる

でも
その『楽』に心を委ねると

『悪い習慣』を身につけてしまう

今からでも遅くない
少しでもしっかりと
今の自分と向き合う事・・・

そのような考えに到るきっかけ
それは

働いていた
老人ホームで

認知症の症状が日々進み

苦悩の表情
辛く哀しく苦しい

そんな表情を浮かべ過ごしていたお年寄り

旅立ちの日が近くなるにつれ

少しずつ少しずつ
表情が穏やかになっていき

旅立ちの日を迎える朝には

仏様のようなお顔で穏やかに旅立たれました

そのお年寄りは

やっと
最後の最後で

自分自身の不遇を全て受け入れて

『楽』になられたのだと思いました

命の時間
進む速度は平等ですが
いつ果てるかわからないものです

『死を想え』
とまでは言わないまでも

ほんの少し意識する事で

わざわざ使わなくてもよい事に時間を使わず

自分自身の為に使ってあげられる時間が

手にはいるのになと

介護って
最高なサービス業だと
わたしは感じているから

尚のこと
こんなに愚痴や不満が横行するのは
不幸な事だなと

思います

偉そうなこと
書いてしまいましたが

介護で働く皆さん
とても愛してます!

共に頑張ろう!!

最後まで
読んでくださり
ありがとうございました!!


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