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つながる いのち

オギャアー

と産声をあげ

僕は生まれた

父と母を選び

この世を選んだ

輪廻転生という概念が科学で実証されている

そんな素敵な世界なら

僕は

自らの選択で

この地球そしてこの日本を

そして両親を選んだ

魂の器となる身体に

命を宿し

魂の器となる身体が

命を運ぶ

これが真実なら

この世は

とても生きていきやすくなる

何度でも

やり直せるのだから

今世の失敗は

後の魂の研鑽に繋がる


少し
仏教的な考えの話をだしてしまいましたが

わたしには
大東亜戦争で亡くなった父の兄
所謂
わたしの叔父さんがおりました

日本の西の外れ
漁業が中心の小さな島
そこに父とその家族は住んでいました

叔父さんは
学校を出てすぐに
山口県の酒造に就職
そこで職人の道を歩んでいたのですが

さきの戦争が始まる前に士官学校へ入り
さきの戦争が始まり
あちらこちらの戦地へ赴いていたそうです

戦局が激しさを増す前の時期に
南方(東南アジア?)から内地(日本本土)へ
帰途の海路
敵船の奇襲を受け船は大破

海に投げ出された後
同郷の方が共に泳いでいたそうなのですが

その同郷の方が
気付いた時は姿がなかったそうです

その方いわく
『オイより政行は泳ぎのうまかとにおらんごとのうなったとさ…』(わたしより政行は泳ぐ事が上手なのにいなくなってしまった…)


(このような話は
日本に限らず
たくさんあるのだと思います
あの戦争に関わらされてしまい
戦う事を選択した全ての国に…)

遺体もないのだから
骨も拾えないはずなのに
骨壷が日本国から親元や妻の元へ送られる事自体が不思議だと考えるのが当然だと思います
わたしの父は当時
叔父の骨壺が送られてきたことを不思議に思い
骨壺を開けてしまったらしく
中に砂糖菓子が入っていて
呆然としたそうです

あの当時
息子を亡くした親は
夫を亡くした妻は 
それを理解したうえで
骨壺を受け取りはするものの
納得なんてできなかったのだろう…

少し
話がそれてしまいました…

叔父さんとわたし

わたしは
幼少の頃から
水やお湯が張ってあるところが
キライ
というか
恐怖だったようで

例えば
砂浜に寄せては返す波打ち際
兄姉はその波で
フツーに遊ぶのですが

わたしは
波が近ずいてくることに
異常に恐怖し
足を動かす事ができず
足が波にすくわれそのまま倒れ
泣き叫んでいたこともありました…

その後も
小学校のプールの時間がキライ
銭湯に連れていかれても
お湯には浸からない

そんなこんな
繰り返しながらも
なんとか水を克服し普通と言われるレベルまでは
辿りつきましたが

理由はわからないし
何が原因かもわからないけど
やっぱり海は何故か怖い

原因がはっきりしないまま
もやもやした気持ちは残ったものの
年月が過ぎていき
いつしか忘れてしまいました

わたし自身
家族をもち
日々の忙しさに流され生活していた時期
父がなくなり
実家に残された膨大な物品整理の際に
アルバムに挟むことなく現像後に
無造作に紙袋に入れられていたモノクロの写真
その中のたった一枚に
叔父の写真が

叔父の顔を初めて見たのですが

初めて見た感じがなく

どこか懐かしいような

昔から
知り合いだったような

『不思議』

という感覚でした

(言葉では
こんな感じでしか表現できない
自分がもどかしいのですが)

もしかしたら
わたしの海嫌いは………などと………

わたしがこの世で生きていられる時間

それを命というなら

魂は

その命をつなぐ

役割なのかもですね

ナゼか
クドカンの

『TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ』

思い出しちゃいました

てへ(笑)




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