時間割、出勤時間、お友達

「普通」って言葉はみんなそれぞれの頭の中にある自分独自の基準ラインで、ちょっとずつみんな違うと思う。

「あ!そこ普通でお願いしまーす!」って来られたら、その人と私の中で普通の認識が取れていたら「シャース!(了解)」なんだけど、初対面や基準が定まっていないものだと「しゃ~ス…?(とりあえずこんくらい?)」もしくは「シャッス!わからなイッス!」かな。

そして、見当違いなものを自信満々で出してしまった時は「面白い(次回有)」か「うん...(次回なし)」な感じで時は流れていくのでしょうね。


高校卒業時、いろんないい思い出もあったけど

!解放!って感じで、もうムリくり他人と生活を共にしなくて良いのだな、毎日毎日、制服着なくてよいのだな、○○ちゃんが~とか○○君が~とか私らのグループが~とか、めんどくっさい事、終わりだヒャッホウ☆ とも思った(と、思う)

狭い教室に机が40個あって、すわり心地もたいして良くないのに幼稚園から高校までよく座ったな、と。大学の机椅子は割とよいものだったし、今、事務職系してる椅子はコロコロもついてて座りやすいし、なによりクッションとかのカスタムも可能。

大人は色々と自由だな、と感じるのです。大変なことも多いけど、もう一度、月~金に、朝課、全校集会、1~6時間割、委員会、部活動、土日の自主練。できるかって言われたら同じように、あの時のように素直に「そんなもんだ」って鼻から疑いもせずに行動をとれる気がしない。


なんて、ぱさーっと今の自分のフリーダムさを満喫しつつ、「中学のころは最高だった」「高校時代は超楽しかった」って手放しで言える人にモヤットしつつもうらやましかったり。

「いつに戻りたい?」とか、なんとはなしの会話がなされるとき。私は「う~ん」となりつつ「今がいいかなぁ~?」って言って、彼らは「えぇっ!」となって上記の話を始める。素敵な思春期をおくれてよかったね!私は、未来はもっとよくなるよ!ってことにしてとりあえず生きてる。


今になって思うこと。

時間割やらクラス分けやらでどんな人とも一緒に空間を共有せざるを得なかった。大人になった今、そこらへんはある程度自由。ムリして関わる必要はない。でも、圧倒的に2回目のチャンスが回ってくることは少ない。初対面とか特に。

普通の基準の相違、そこでちょっと受け答え間違えたり違和感があったりすると挽回するチャンスが少ないorない。だから、あの学校の共有空間の中は貴重な空間だったのだとも思える。

大人になって友達になるのは少し難しくて、たまにちょっとした賭け事のように内面をさらして、より深く付き合っていけるかさぐってみたり。

大人の距離感にホッとしつつもちょいと寂しい自分もいる。


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