4年遅れでニーア・オートマタ
プロセカで新イベントが始まり、一回だけガチャを引いたら新しい星4の彰人を引き当て、プロセカもやめられそうにありません。
さて、今頃になってニーアオートマタを始め、本日クリアしました。以下、感想を書きます(多少のネタバレありますので、未プレイの方はプレイした後で、読んでいただければ幸いです)。
休みにがっつりPS4でゲームするのは4年前のドラクエ以来でしたが、非常に印象深い体験となりました。なるべくネタバレは避けたいという気持ちと、周辺の話題を知りたいという気持ちが混ざり合っていて、動画や攻略サイトをチラ見していたせいもあって、展開に死ぬほど驚いたということはないがそれでも心を揺さぶられたし、Eエンドを迎える前はうるっときた、、、いや正直いうとほとんど泣いていた。
これ発売当初になんの情報もなく始めたら、結構衝撃なレベルだと思います。しばらくゲームから遠ざかっていた紳士などにとっては特に。
これまで、一般にゲームにはネガティブな評価も常に付き纏ってきたようなところはあり、ゲームとともに育った初の世代である私もそういう実体験は少なからずあるわけです。プレステのせいで留年したとか、それってプレステのせいではなくて自分のせいなんだけど、気持ちは分かりました。今でも、たとえば「逃げ恥」なんかで無職で実家で過ごすところを妄想するみくりが自室でゲームしている、というかゲームしかしてない生活を連想させる場面なんかが演出されるのを目にしますから、そういう偏見はまだ世の中に残ってるように思います。
近年では、若くて綺麗な女の子(本田翼など)がゲーム実況やったりゲームの話題を出すから、偏見は少し是正されてきているようにも思えますが、単に世の風潮、時代の流れでオタク文化への風当たりが弱まったというだけではなく、コンテンツ自体に社会的な評価を変えてしまうくらいの質の転換があったんだろうと今更ながら気づかないわけにはいかない感じです。
まず、最近のゲームにはメッセージ性の強いものがあるのと、CG技術の発展で、芸術と呼べるようなものを作れるようになってます(パックマンもニューヨーク近代美術館にコードが収蔵されているというから、昔からゲームは芸術と認める人たちもいたようですが)。それで業界に多様な人材が集まるようになったということも背景にあるのかな。
ファミコン世代のおじさん達が、あぁテレビゲームね、俺も子供の頃はハマったもんだよ、ワハハ、というゲームとは同じゲームに分類されるものながら別物といってもいいくらい変質しているように思います。
PS4のドラクエ最新作(当時)はノスタルジーが主な動機でやったわけだが、ニーアは面白そうなゲームというのを超えて面白そうな体験ができそうという気持ちで始めました。そしたら、見事に面白かったのでした。正直、これまでの人生でRPGで本当に面白かったのは初代ドラクエ、FFは4から6までで、あとはドラクエだから、FFだからという感じでやったりやらなかったり、ここ数年はほとんどやっていなかったし、ゲームなんて暇人のすることで、よほどストーリーがよければ本を読む代わりにやってもいい程度のものだった。ニーアオートマタはストーリーもさることながら、ゲームというプラットフォームが最も適していたのかもしれない特別な体験をさせてくれるものでした。
虚構の方が、より現実を表現できるということなんでしょうか。絵画だって、音楽だって、映画だって現実そのものではないという意味では虚構と言えるかもしれませんし、それらが作品と言われ、芸術と分類されるなら、ニーア・オートマタも芸術でいいと思います。ドラクエやFFはお伽話の枠を出ないんですが、そして、それゆえ格好の現実逃避、娯楽となりうるわけですが、ニーアはSci-Fiの体裁をとった現実の話であると思いました。プロローグから生の輪廻への疑問が苦々しく言及され、無意味な戦いを続けているアンドロイドの2B達は私たち自身に近接してくる。時間を持て余した無職者、有閑階級より、人生に疲れた孤独な有職者たちへより迫ってくるものがあるように思えました(実際、PS4ユーザーってそういう人が多そうだが・・・)。
そんなわけで、まだニーアの余韻に浸っているわけですが、レプリカントを予約しつつも、ペルソナ5も始めてしまっています。これもジュブナイル・ピカレスク・ロマンと言われているが、世界観は現実に寄せている。渋谷の街や通勤・通学の銀座線の満員電車をゲームの中で味わうのは、不思議な気分ながら、これもより現実を表す類の虚構の世界である。敵が大人達の歪んだ欲望だから。かつて大人に憤る側だった、今はおっさんになってしまった大人達にもやってほしいと思います。
ニーアオートマタの話に戻ると、最後までナウシカを彷彿とさせるものだが、パクリだとは思わない。あえていうなら構造が同じであるが、肉付けが違うという感じでしょうか。違う感動というか、揺さぶられ方とするし、私がEエンド前でうるっときたのはキャラのストーリーのためではなく、現実のユーザー達がネット機能を通じて、ゲームの中に入ってくるからです(助けてくれる)。Eエンド前で、プレイヤーは初めて2Bなどのキャラを操作するという形ではなく、自分自身として、物語の外にいて、物語に影響を与えようとしてプレイすることになるのだけど、この演出は効果的であったし、こういう演出は初めてであったから印象的でした。
バランスのために悪いところもあげるなら、ハッキングでのシューティングでなかなかクリアできないところがあって、操作性が悪いものだがらイラついたんだけど、それくらいかな。これまでのRPGにあった、時間を無駄にした感じ、全くないです。これは現実逃避のゲームではなく、現実をより深いレベルで理解し関わろうとするものだからなのかなと思いました。
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