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【PATLABOR2 the Movie 】4DX版上映記念(02.24更新)

-アニメデジタル化黎明期のアニメ仕事- 



JOB.01-01 1992. 【PATLABOR2 the Movie】 

作業日報欄外メモより 

初公開以来すでに28年の【PATLABOR2 the Movie 】のサウンドリニューアル版が、この度4DX上映されるそうである。
 もはや30年近い前世紀の話であるが、たまたま見つけた作業日報の欄外メモを見て、色々思い出した。
何かの縁かもしれないと思い、記憶が彼方へ飛んでいく前に記録しておけば、何がしかネタくらいになるかもしれない。^ ^

30年前の世界へGO!

CONTENT
TITLE Jobs1992. 【PATLABOR2 the Movie】 

chap01 すべからず、状況は既に始まってしまっている?
(以下制作中)
chap02 PATLABOR フィルムとセルの時代
chap03 状況開始。 BUT THIS IS NOT A DRILL
chap04 GUIと湾岸戦争
chap05 シミュレータ
ex横道 OA
chap06 スクランブル
chap07 MAC班
chap08 夜景
chap09 資料動画
chap10 ベイブリッジの夜 
chap11 GR_OSVIEW
chap12 KKKKKKKKKK
chap13 kodak5293FILM
chap14 余談 RPG後日談
(順番は入れ替わります)


chap01 すべからず、状況は既に始まっている?

 物事というものは、後から考えれば、だいたい唐突に始まるものである。そして、それが始まってしまった時に、それまでに辛うじて集めていた経験と資産が、要求に耐えうる道を拓き、それによって救われていたのだと気が付くのも、だいたい事が終わった後である。                                 
  世の中の万事は、終わってみて"生き残った者のみ"が語れるのだと。
先達が残せなかった、是非とも知りたい失敗の話は本質的に知ることは難しいのだと、思い知らされることになる。ああ、人生三笠山。


 ある日、プロデューサーのM下さんがやってきて「アニメすきだったよねぇ、パトレーバーっていうアニメのCGの仕事があるんだけど、やりたい?」

パトレイバーと言えば、当時我が社の兄会社に当たるテレビテクニカが、
前作【PATLABOR the Movie】 でIKIFの木船/石田さんが作った政府広報のCIや、OS/箱舟のCG(なんとAMIGAで制作された)を、山の様な大量のフロッピーディスクから収録した伝説の作品で、大好物の【ビューティフル ドリーマー】の押井守監督作品ではないか。親会社の東北新社がかかわっている作品で、現在アーリーデイズと呼ばれるLD群はすべて持っていた。

 否も応もない、脊髄反射で「やりたいです!やります!」手を上げていた。

 自分は学生の頃、あるマンガの自主アニメ化※1(今で言う公認ファンムービーのようなもの?当事者達は本気だった)に関わって以来、アニメ、アニメーション制作で食っていきたいと思い始めていた。
 卒業後アニメ会社で手の遅いアニメーター、撮影の会社に転職して手の遅い線画台助手、カメラマンを経て、辿り着いたのがコンピュータ•グラフィクスのプロダクションのJCGL。撮影の会社からSCAN撮影要員として行ってみないかと言われ、喜んで行った。
 時に1982年、世はまだロバート・エイブルの【シカゴ】の線画CGスゲーの頃である。※2(【TRON】の公開は同年9月) 撮影の時の同僚と、どうやればあのような線画CGが作品に使えるか、話し合っていたので願ってもない話であった。
 JCGLは別note※3で記しているように、アニメのために設立されたCGプロダクションであり、社内に同系列会社のビジュアル80※4というアニメ製作会社(名犬ジョリー等を制作)の分室が【小鹿物語】制作のため同居していた。
アニメーターの関修一さん、ジブリに行った百瀬さん等、今で考えると錚々たるメンバーに教えを乞う機会があった。
 そこで、【小鹿物語】※5【SF新世紀レンズマン】※6【科学万博みどり館】※7などのCFCICG以外のアニメ作品に関わることができ、アニメーション・スタッフルーム※8 のY巻さん始め、先達の皆様に鍛えてもらえた。
 その時はアニメ・撮影スタジオでの経験が端緒を作ってくれた。

 当初JCGLは、社内で3DCGをまだ本格的に稼働させていなかった。NYIT(ニューヨーク工科大学)※9から導入したDECのVAX11/780※10で走る、プリミティブとポリゴンで作れる3Dソフトはあったが、まだNYITから本格的に3Dインストラクターのレクチャーが始まっていなかった。

 同期入社のO口さん等と深夜作業の合間に3Dソフトをいじって遊んでいた。現在のCGのようなGUIもでもなければリアルタイムのレンダリング等夢の世界の話の時代で、目の前にあるのはVT100キャラクターディスプレイとバルコのRGB‐CRTディスプレイであり、コマンドラインで画を作る。

 その時作ったテスト動画がレンズマンのパイロット版(?)SFデモと呼ばれるリールに採用され、社内で3DCGを作る班に入れた。
 そのころから気になっていたのが、セルアニメの質感からすると、浮きまくっているCGの質感である。どうにかならないものかと、ずっと引っかかっていた。 

 レンズマンでは主にブリタニア号とダンジョンのシーンを担当した。
CGに関しての演出は監督のH川さんが行った。JCGLはアニメを作るための会社であり、アニメとの親和性はよかった。アニメ用語とCG用語はあまり支障もなく飛び交っていた。

自分の担当ではブリタニア号をフォローパンするためのコードを書いたり(自分で書く!)ダンジョンのシーンではカメラが動き回るシーンの中を、セルキャラクターのキムが疾走するため、ダミーのCG人形を`当たり`用に走らせ(動きの原図はアニメーターに書いてもらった)走る3Dキャラを作りマトリックス(データー空間)内に作ったダンジョンを走らせた。
それをカット内全フレームをアニメーション・スタッフルームで紙焼きしてもらい、それをマッドハウスに送り手書きのキャラを乗せてアニメーションに載せ替えてもらった。

ほかのスタッフも幾多の困難を乗り越え、(いろいろあったことは割愛、別noteで書く予定)ついに映画は完成する。アルフィーの曲「スターシップ」のように銀河をの波をけって走りだそうと願い。

 そして、トーヨーリンクスの【ゴルゴ13】(1983年)、さらに【SF新世紀 レンズマン】(1984年)も公開され、日本のアニメにも3DCGが使われる時代が始まった。

 この時の経験が後に役立つというか、必要とされるとは夢にも思っていなかったが。

chap02へ続く

EOF 2021.02.24

(解説リンク工事中)
※1 自主アニメ化
※2 ロバート・エイブル【シカゴ】
※3 JCGL note
※4 ビジュアル80
※5【小鹿物語】
※6【SF新世紀レンズマン】
※7【科学万博みどり館】
※8 アニメーション・スタッフルーム
※9 NYIT(ニューヨーク工科大学)CGL
※10 DEC VAX11/780



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