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パリ ファッション界の人々

展示会場で出会う人々は、バイヤーとメゾン側のスタッフたちだけではありませんでした。


パリに着いたばかりの私たちは早速、ファッションの問屋街と言われている地区に出かけてみました。まだ日本で知られていない、または輸入されていない、新しいブランド・メーカーを見つけるためです。

その通りを歩いていると、小さな店構えのおしゃれなお店がありました。その後長くお付き合いすることになる Fouks のお店でした。

間口の小さな、細長いその空間の奥のレジのところには、パリジェンヌらしい小柄で、本当にパリジェンヌらしいシックでおしゃれな彼女がいて、それがエマニュエル・フークス、メゾンのオーナーでデザイナーでした。背の高い、彼女と同じように少し麻色がかったブロンドの端正な顔立ちの男性と話をしていました。彼女のビジネスの営業を担当するミランでした。ふたりはポーランド系の人たちです。ポーランド系の方達はパリのファッション業界に多数いらして、みなおしゃれで優しく、繊細で、日本のファッションが大好きな素敵な方達でした。

私たちはお店でフェイクファーのとても洒落た、日本では見たことのないタイプの襟巻きを見つけ、お客さんのために買い付けられるかどうか聞くために、彼らと話しはじめました。

買い付けやオーダーは可能で、いくつかのカラーバリエーションもありました。彼らは私たちの要望に大変好意的、協力的で、同年代ということもあってか、意気投合し、他にこの通りのあの店やこの店も合うかもしれませんよ。などミランが教えてくれたのです。

デザイナー、エマニュエル・フークスとはその後もパリ滞在の年月の間、様々な買い付けやコラボレーション、ライセンシーのお仕事で関わることになります。マラケッシュの別荘にお呼ばれするほどに、最も仲良くさせてもらったパリのデザイナーでした。また改めて書きたいと思う面白い経験がたくさんありましたが、1つ、素敵な思い出を。初対面のとき、Murayamaです、と名乗ったところ、彼女はファーストネームだと思ったようです。フランスには例えばMyriam(ミリアム)とかMuriel(ミユリエル)と言った名前もあり、なんとなくそんなイメージだったのかもしれません。Muはフランスではミュと発音するので、"ミュラヤ(そして小さく)マァ"と私のことをずっと呼んでくれました。エマニュエルにそう呼ばれるといつもくすぐったいような素敵な様な気分でした。

さて、今日お話ししたかったのは主にミランのことでした。

その私たちパリ ファッションウィークデビューの翌年だったでしょうか、Fouksのお店は一度閉めることになり、彼は営業担当の職を失ったのです。その後彼を、あちこちの展示会場で見かけました。職を離れてもなお、色々な人と出会い、情報交換をし、ファッション業界に精通する為には展示会に顔を出すことは欠かせないのでしょう。

その時の彼の、ごく薄い青い色の、湖のように静かながら、奥には燃えるような何かが感じられる眼差しを、私は今でも忘れることができません。

その後、風の便りに彼が世界中の王族などが好む、パッと見非常に地味だけどラグジュアリーで洗練されたある有名ブランドのデザインディレクターに抜擢されたと聞きました。そしてその数年後には、誰でも知っているあのブランドのデザインディレクターに就任したのです。

問屋街からファッションの世界に入った彼には、一体どれだけファッションへの情熱があったことでしょう。彼の胸の内と神様だけがそれを知っていたことでしょう。
彼のいつも冷静で優しく丁寧な態度。苦労を知っている温かい心は彼がどんな立場になったとしても必ず彼と一緒だったことだろうと私は想像します。

パリで展示会を巡り始めた私たちは、熱くて優しい、ファッション界の色々な人たちと知り合っていくことになります。

つづく





Milan

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