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【好き、ただそれだけ】

レースのカーテンから零れる幽(かす)かな光で目を覚ますと、
間髪あけず煙草の匂いが鼻をくすぐる。

「…起きた?」

優しく声をかけてくれたのは、片思い中の彼だ。

『おはよう』
「ん」

私が起きたことを確認すると、すぐ窓に目を向ける。

『…今日はゆっくりしててもいい?』
「あー…いや、準備できたら帰って」
『わかった』

脱ぎ散らかした勝負下着を手にとり、
なんとなく彼に背を向けて支度をする。
昨晩まで恥ずかしげもなく抱き合っていたというのに。

『じゃあね』
「ん、また連絡するわ」
『待ってる』

そうして玄関を出るまで彼と目が合うことはなかった。


「20時頃おいで」
連絡がきたのは2週間後のことだった。
”都合のいい女”なんて自分が一番わかっている。
それでも彼に求められると突き放すことができない。
そして今、この手の中にある彼の家の合鍵が
私の心を支えてくれている。

『あれ』

がしかし、その鍵を使うことなく、いとも簡単に扉は開いてしまった。
そこには煌びやかなピンヒールがきちんと並んでいる。
玄関からリビングまでまっすぐ続く短い廊下の先で、
二つの影が重なっているのが確認できた。
履きなれたパンプスを端っこに揃え、静かにリビングへ向かう。
ガラス扉をあけてもなお、特に焦る様子もなく二人がこちらを見る。

【あら、もうそんな時間なのね】

艶やかな髪を耳にかけながら私に微笑みかけるその女性は、
私から見てもとても魅力的だった。

「次いつ会えるの?」
【さぁ?また連絡するわ】
「絶対だよ」
【はいはい】

小さな鞄とジャケットを腕にかけると、
【おじゃましました】と言って彼女は私の横を颯爽と通り抜けていった。
彼にとっては私がお邪魔だろうなど、意地でも言わない。

『コーヒーでも飲む?』
「うん」

当たり前のように彼のキッチンでコーヒーを作る。
そしていつものように、彼が後ろから抱き着いてくるのだ。

『どうしたの』
「…今日泊まって」
『そのつもりで来てるよ』
「ん」
『明日どっかいく?』
「わかんない」
『そっか』

コーヒーを淹れ終え、小さなローテーブルにマグカップを並べる。
ある程度飲み進めると、彼の手が足から胸へと探るようにあがってくる。

『まだ飲んでるよ』

平静を装って諭すが
いつもこの瞬間を誰よりも待っているのは紛れもない私だ。

「俺はもういらない」

そういって半ば強引に私をベッドまで連れ出す。

『…電気』

手慣れた手つきで彼が部屋の電気を消す。
お互いのコーヒーが混ざり合うのを感じると、
そのまま私は流れに身を任せる、それぞれ叶わない相手を思いながら。



気づくと朝が来ていた。
相変わらず彼は先に起きて煙草を吸っている。

「おはよう」

彼が私の目を見て声をかけてくれるのは、いつも彼女と会った後だけ。
だから私は彼女のことを憎みきることができない。
彼への愛が別の人に流れていたとしても、
私は彼にとってただの逃げ場だとしても、
それでも私がこうして彼のそばにいるのは、
ただ好きだから、それだけである。





なごやん

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