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40歳の自分に告ぐ その1

私がブログで伝えたい人、
それは、
自分はこのままの人生で良いのだろうか?
と悩んでいるあなた。

とくに会社に入って10年以上経って
家庭を持ち、
家族には迷惑かけられない。

仕事では役職に就き、
部下の模範となり、
部長からの指示は絶対。

出社は朝6時半とか7時、
毎晩帰りが22時とか23時。

いつどこで、トラブルが発生するか
怯えて暮らす毎日。
夜も枕元に携帯電話は離せない。

土日はどちらか必ず出社。
正月、GW、盆休みは生産休止中の
設備工事で休めない。

ほかにも違う楽しい人生
あるんじゃないの?
って心の奥底に抱える
もやもやをごまかしている
あなた。

はい、
これは35歳から43歳までの私でした。

身動きが取れなくなっているあなた。
よくわかります。

動けないのですよね。
その前に考えられないのですよね。
思考を妨げるほどたくさんの、
こなさなければいけない
仕事が多すぎて。

わたしもあなたと同じでした。

そこで、
私の当時の典型的な1日について、
紹介いたします。

朝6時半に家を出るために、
妻はわざわざ時間をずらして
朝食を用意してくれていました。
本当に申し訳なかったです。

自分で朝食ぐらい作れよ、
と思われるかもしれませんが、
本当に毎日ヘトヘトで
朝起きることさえ辛かったのです。

朝食を抜いていこうとしても
妻が体を気遣ってくれて
しっかり朝食を作ってくれていました。
妻も仕事を持っていたのに。。。

家から会社の正門まで30分ぐらい。
海沿いの工業地帯で、
グレー、くすんだブルーの工場色と
高い煙突から出る白い煙、
大きなうなり声をあげながら走る
ひどく汚れた大型車両。

そんな殺風景のなか、
憂鬱な気分で車を走らせていました。

朝8時から始まるミーティングの
ために朝7時に出社して、作業着に
着替えてから、パソコンを開き、
現場から上がってくる情報を把握
していました。

毎朝、
メールを開くのが怖かったです。
工場は24時間稼働していたので、
真夜中のトラブルは日常茶飯事です。
トラブルがあったとしたら、
自分の責任かどうか?
まっさきに浮かぶのはこんな思考でした。

また、上司や関係先からの無理難題を
要求してくるメールにも辟易としてました。

それらのメールを無視しようものなら、
雪だるま式に後から負荷が増大する。
なので、なんとかやりきるしかない。
そんなムリゲーの毎日。

Outlookの予定表を見ると、
朝から夕方時間外まで予定がぎっしり。
会議、打合せ、現場確認、、、、

そこの製造現場は、
年に1人は人が亡くなるような
厳しい職場でした。
ですから、
安全に関する会議や打ち合わせは
とても大事で、
抜け漏れは許されませんでした。

品質についても厳しくて、
1日に自動車1万台分ぐらいの
部材を作るので
品質不良は大きな損失に繋がります。

話は逸れますが、
ほんとに、日本の製造現場で働く人は
とても強い責任感で任務を遂行しており、
そこを離脱した私から見ると、
頭が上がりません。
この方たちが日本の生活を支えているんだな
と感謝の気持ちを持たずにはおれません。

このような、
非常に厳しい職場でありました。

1日の中のほんの朝の部分を紹介するだけで
盛沢山になってきたので、
一旦ここで切ります。

次回、お昼以降~夕方~夜~深夜
に続きます。

ではまた。




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