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電子の兄貴分「ミュオン」を加速して、研究者が本当に見たいもの

素粒子「ミュオン」と聞いてもピンと来ない方もいらっしゃるかもしれません…ピラミッドの透視に成功して大きなニュースになったアレです!

ミュオンは宇宙線を構成する要素の一つです。宇宙から絶えず降り注いでいて、今も私たちの体を通り抜けています(痛くもかゆくもありませんが)。

そのミュオンを人工的につくって加速する日本発プロジェクトが重要な通過点に達し、先日その成果を発表しました↓

ミュオンを効率的に加速できるようになったら、ものを透過するミュオンの性質を活かして「ミュオン顕微鏡ができるかも!?」「これまで見えなかった世界が見えるようになるかも!?」と言われています。

でも、研究者たちが本当に目指しているのは、そこではないようです。プロジェクトに参加する名古屋大学N研(高エネルギー素粒子物理学研究室)の研究者3名に聞きました。

左から、飯嶋徹《いいじまとおる》さん(素粒子宇宙起源研究所 所長、N研を主宰)、鈴木一仁すずきかずひとさん(素粒子宇宙起源研究所 特任講師)、鷲見一路すみかずみちさん(理学研究科 博士後期課程3年)

── ピラミッドの透視など自然界のミュオンが大活躍していますが、人工的につくる必要があるのですか?

飯嶋さん:あるんです。ミュオンを人工的につくって加速できたら、その透過力を利用した技術が生まれる可能性は確かにあります。でも僕らがこれをやっているのは、新しい物理現象を見つけるためなんですね。

── 以前に別の加速器実験の取材↓で伺った、N研の目指すところですね。ミュオンと新物理探索と、どう関わっているのですか?

飯嶋さん:ミュオンは、質量の重たい電子と思ってもらうといいんですが、スピンというコマのような性質を持っています。その回転の仕方は、標準理論で精密に予測できるんですね。

標準理論とは
宇宙を構成する基本粒子とそれらの相互作用を説明する物理学の理論。素粒子物理学の基礎を成すが、究極の物理理論ではないと言われている。

ところが、その回転の周波数が標準理論の予測からどうもずれているという報告があるんです。一つは約20年前にブルックヘブン国立研究所(アメリカ)で、もう一つはここ5年ぐらいにフェルミ国立加速器研究所(アメリカ)で行われた実験です。

── 本当にずれていたらやっぱりすごいことなんですよね…?

飯嶋さん:そうです。これらのミュオン実験の結果から「標準理論で考慮しきれていない物理現象」があるんじゃないかと注目されています。ただ、予測とのずれが本物だとはまだ言えなくて、他の実験でも確かめていく必要があります。そこで、これまでとは違うアプローチで実験していこう、ということで、茨城県東海村にあるJ-PARC《ジェイパーク》(大強度陽子加速器施設)今回のプロジェクトが進行しています。

── これまでとは違うアプローチ…ですか?

飯嶋さん:はい、ミュオンを冷却して加速するんです。J-PARCではミュオンを人工的につくれますが、できたミュオンはエネルギーの向きや大きさがバラバラで、実験には使いにくいんですね。そこで、冷却して一度止めてからきっちり加速させる方法を開発してきて、今回初めて成功しました。例えるならワンちゃん競争ですよ。「おすわり、待て」で止めて、「よし、走れ」で走らせる。

(図はプレスリリースより)

── ワチャワチャなミュオンがピタッと止まって一気に動き出すイメージが湧いてきました(笑)。このプロジェクトは、複数の大学や研究機関が参加していますね。名古屋大学はどんなことを担当しているのですか?

鈴木さん:私はJ-PARCに常駐して、今回成果を出した冷却部を担当しています。実験設備の一番上流の部分ですね。

鷲見さん:僕は、これから建設されていく加速器の一つを担当しています。ざっくり4種類の加速器をつなげていくんですが、一番下流の部分をやっています。

実験設備は、完成すると全長40mほどになるそう(図はプレスリリースより)

── 始めと終わりの部分なんですね。鈴木さん、”冷却”というと、やっぱりすごく冷たくするのでしょうか…?

鈴木さん:冷やすといっても室温です。高温になるほどミュオンのエネルギーも高くなり、向きや大きさが揃いにくいんですね。冷却部は、減速材、イオン化レーザー、静電引き出し電極、真空系で構成されるシステムで、それぞれに多大な研究開発が積み重ねられています。「減速材」には「シリカエアロゲル」という物質を使っていて、ミュオンをこれに当てて止めているんですよ。

シリカエアロゲルはこんな物質
「煙を固めたような」と表現されるように、もやがかかった透明で、重さをほとんど感じません。

── こんな不思議な物質にミュオンを当てて止めているんですね…!

鈴木さん:しかも、レーザーで細かい穴をたくさん開けています。シリカエアロゲルは90%が空隙くうげき(微小な隙間や空間)ですが、ミュオンが一度止まって再び出てくるには密度が高すぎます。そこで表面積を増やして出やすくするために、シンプルに穴を開けてみた、というわけです。

冷却部に使われているシリカエアロゲル(左)と、レーザーで開けた穴の顕微鏡写真(右)
穴の大きさは直径0.1mmほど。スカスカになりすぎないよう、穴の数や大きさは試行錯誤を繰り返して調節したそうです。共同研究者のS. Kamal氏 (Univ. of British Columbia)による写真を、鈴木さんに提供いただきました。

ミュオンはシリカエアロゲルの中で電子を捕獲してミュオニウムという原子のような状態になります。そのミュオニウムにレーザーを照射してイオン化し、加速して、高品質なミュオンビームを生成します。ミュオンの冷却技術は、日本主導で開発してきた世界に誇る技術なんです。

── おぉ〜。それに成功したということは、実験を始める準備が整ったという感じですか?

飯嶋さん:それはちょっと言い過ぎで、大きな山場は超えましたけど、この先もっと高いエネルギーまで加速する必要があるんですね。鷲見くんががんばっているところです。

鷲見さん:具体的に何をやってるかというと…ミュオンの実験では電磁場を利用して加速するんですが、実際にミュオン専用加速器でどれくらい理想に近い電磁場をつくれるかを検証しています。

鷲見さんが担当する加速器の試作機
光速の70%以上の加速を行なうそうです。実機ではこのような構造のものをいくつもつなげて、長さ2m程度の円筒にします(写真は鷲見さん提供)。

── 標準理論との「ずれ」を検証するのは、ズバリいつ頃になりますか?

飯嶋さん:2027年までに実験設備の建設を完了して、2028年から測定を始める予定です。そこから2〜3年はかかるでしょうね。100万分の1という、ものすごく高い精度で測るので、誤差になりうる要因を一つ一つ調べて評価しながらやっていくんですね。ちなみに、誤差要因をすべて取り除くまでは、誰も検証結果を見ないんですよ。バイアスを防ぐために。

── それはもどかしそうです。でも本当に「ずれ」を検証できたら、ノーベル賞級ですよね…!?

飯嶋さん:そうですね。でも、もしずれがなくても、大きな成果になると思います。新しい物理は、今想定されているよりもっと高いエネルギースケールにあるかもしれないとわかってくるので。

── みなさんの情熱と探求心には、まさに職人魂を感じます。難しい挑戦への本気度、改めてスゴイなと思いました。ありがとうございました。

今回のトップ画像の背景はコレです。研究所のメンバーが飯嶋さんの還暦祝に贈ったそう。なんと、全部チョコレートでできています!オリジナルデザインは飯嶋さん。宇宙と素粒子の起源について描かれています。

インタビュー・文:丸山恵

◯関連リンク

  • プレスリリース「世界初、素粒子ミュオンの冷却・加速に成功〜ミュオン加速元年、ついにミュオン加速器の実現へ~」

  • 名古屋大学N研(高エネルギー素粒子物理学研究室)


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