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オクトーバーフェストにまつわる覚書

両足を交互にあげて道化のように跳ね回る、白髭の、黒縁眼鏡をかけたドイツ人の男性と、ぺらぺらした民族衣装を着て、銀に髪を染めた女性、そうして恰幅のいい、腹の突き出たもうひとりのドイツ人が、一リットルジョッキを掲げて、なにやらドイツ語で叫ぶ。ステージの周辺に集まった常連客はすっかりそれを覚え込んでいて、そっくりそのまま復唱する。底抜けに明るい音楽が始まると、酔いも回った客たちはテーブルの間をぬって踊り出す。ひとつむこうのテーブルにはドイツの民族衣装を着た四、五十代の集団があって、胸のつきでたドレス、あるいは、スエード生地のオーバーオールに羽根つき帽子をかぶっている。そうして集まるのがきっと毎度のことなのだろう。真ん中に十歳くらいの少年がいた。

酔っていい気分のお母さんは僕の手をとって右へ、左へ、と音楽にのせて振る。だらしなく揺れるその様子や、知り合いのおじさんの、知らない人に、うざがられているのも構わずにへたな発音で”Stand up!”なんて話しかけて、浮かれているのなんか、さいあくだ。楽しくなんかなくて、おかあさんの手を振り払う。一個むこうのテーブルにすわってる女の人がじっと僕を見てる。泣けてきた。そんなのも構わずに大人たちはぜんぜん似合ってない変な服を着て目立って、さわぎ続けるし、向かいの席のおじさんは「なんで泣いてんの」なんていちばんいらつくやり方で笑いながら僕のほっぺたをぶちゅぶちゅつぶす。ほんとうになにもわかってない。こんな変な服着させられて、バカみたいに騒いでる親とその知り合いの中にいなくちゃいけないことそのものがほんとうにさいあくってことを。何を言っても周りがうるさくて聞こえないし、お母さんもしかたないなあみたいな感じで僕の頭をなでるし、まるで僕が不機嫌な理由が、この場所で一番盛り上がるっている一番かっこわるいことをしてるからってことに、気づいてない。
 こんなうそっぱちみたいな盛り上がりと、ふざけまわる大人たちのくだらなさと、おっぱいが見えるような服を着たお母さんと、全部がほんとうに嫌で嫌で仕方なかった。

なんて少年が思っているのが一個向こうのテーブルに座っていた私にバチンと伝わってきた瞬間があった。

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