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フェミニズムと私の距離

「安心できる場で、自分の言葉で、フェミニズムを語りはじめよう」の感想


「女としてみられる」ことへの違和感。

中高一貫の共学で、「○○(名字)だから」と友人は男子も女子も私が私であることを了解してくれていた。だから授業中にガンガン意見言ったり、ハイハイって手を挙げてしゃべっても何の問題もなかった。

大学に入った。「サークル生活」とやらに月並みに憧れて向かった新歓で、
「男が話回すから、女の子はにこにこ聞いてれば大丈夫よ」
って言われた。おや?と思った。そう言う先輩はじつは「話回す」のが苦手みたいで、気まずい沈黙がテーブルに何度も横たわって、いたたまれなくてつい私は話し始めてしまったりして、けれど「にこにこ聞いて」られないとだめなんだよな、となんとなく思いながら。

見た目が女子だから、女子として扱われた。「一女には奢るから」と半ば自動的にスターバックスでフラペチーノを奢る、私とはほとんど話したこともないような先輩。あるいは話しかけてくる男子に感じる「女」としての私へのまなざし。でも私が私らしく振る舞うだけでそういったまなざしは私の上から他へと流れていった。大学3年間丸々、私には恋人ができなかった。(留学先で出来た。半年しか居なかったのに。)近しい男友達すらできなかった。要は「モテ」なかった。むしろ扱いに困ったのかもしれない。その時、「私を私として見てほしい」と強く思ったのだった。

高校では男友達の方が多かった。大学生になって、女子一人混じってそいつらと旅行に行ったり遊んだりすると、「風俗行った」「セックスして〜」「飲み会でお持ち帰りした」というホモソーシャルな話題が飛び出すこともあった。それを、たぶん「仲間にいれてもらえた」ことが嬉しくて、それに対する評価云々よりも「男子のリアル」(カッコ付きであることを強調したい)がわかってる私、みたいなところで「やれやれ、仕方ないやつめ」と、苦笑いすることで済ますほうがかっこいいだろう、と思ってしまっていた。
今なら自分が「名誉男性」に足を突っ込みかけていたことがよくわかる。あるいは、「お前は女じゃない」という扱いにむしろ喜びを覚えていた自分。
そういうことが思い出された。

かと言って、私はまだ自分のことをフェミニストである、と言い切れない。フェミニズムと自分との距離を測っている最中だ。
知識が浅いのもあるだろう、「フェミニズムじゃなくてヒューマニズムでは」の疑問を、まだ完璧には解けていない。

高校の頃、「カレシはフェミニストの人がよくない?」と言っている友達に、私は首を傾げていた。その頃は自分がいつ結婚して何人子ども産むか、みたいな話を平気でみんなでしていた。それが当たり前だと信じて疑わなかった頃だった。

留学先で友達に「あなたはフェミニストじゃないの?」って聞かれて、はっきりとYesとは言えなかった。もう世の中に対して違和感は感じていたけれど、それでもうんとは言い切れなかった。

だから「一時的なフレームとしてのフェミニズム」という言葉がすとんと腑に落ちた。このフレームを通して世界をみつめてみることをしていきたい。といまは思っている。

ある言葉をじぶんの芯に持つ、という経験がいかに自分を落ち着かせてくれるか。


小川彌生の「君はペット」で、主人公がある言葉を探してもやもやする。しばらくして、それが”tranquilizer”だと分かって、「その言葉を思い出したとたん ウソのように落ち着きを取り戻した」りする。

あるいは、なんだかお腹の調子が悪い、ということに病院に行って「過敏性腸症候群」と名前をつけてもらう。なるほど、そういう病気なのか、と了解する。


あるいは……「日本人だね〜」シェアして頼んだ料理が「遠慮のかたまり」になってるのを見つめて、笑い合うことも? けれど同時に、言葉で集団を囲い込むことが、内側にいるものを均一化し、隙間にいる誰かを締め出す行為であることも思い出した。このへんは、「大きな主語へのためらい」ということともつながってくるのかもしれない。
一方で、「ちょっと待てよ、俺はアメラジアンじゃねえか」と気づいて嬉しくなったという、黒島トーマス友基さんのインタビューのこと。

ことばと自分の関係についても少しずつ考えていきたい。


スピリチュアルと既存の宗教の関係というのは、考えたことがなかったからすごく新たな世界が開ける感じだった。
確かに「人は平等だ」だとか「隣人を愛せ」だとかは綺麗事だ。それに対するオルタナティブとしてのスピリチュアルという視点は持ったことがなかった。神智学というのも初耳だった。

アイドルとフェミニズムを「遠ざけようとする力」についても言われてみれば全くそうで、
今までアイドルについて考えたこともなかったので、あらためて和田彩花さんへのインタビューを読んで、あるアイドルが、所属する集団を通して自分の考えを通すことの難しさや危うさなど、さまざまな側面がみえてきた。

と同時に、現在香港の運動の中で自分はリーダーではない、と明確に否定する発言をしているのに、周庭さんのことを「女神」と形容するような報道が出てきてしまうことについて考えが及ぶ。
このような女性を賛美するまなざしは、一見して女性を「ホメてる」ような形式だけれど、実際はそこにジェンダー規範を強化するような構造が隠れているということ。女性の運動家に特別に与えられる「神々しさ」やpurityのこと。「誰かを神格化するのではなく、一緒にやっていく」というのはキーワードのように思えた。

あなたとわたしの間で、なにが語り得たのだろう

この問いは、私の中でいま強く響いている。
きくちゆみこさんは、娘一人連れた母親に、「次は男の子ね」「一人っ子はかわいそうね」と話しかけてゆくひとびとに。

私はおばあちゃんに会って、「お母さんはいくつであなたを産んだものね、もうすぐよね」と聞いたあと、また寿司屋さんで、「結婚して子ども産むのはいいことよ」と告げられて。

今まで自分と紐づけられて来なかった「出産」が、他者によって提案されるようになったんだな、と思った。村田沙耶香さんの『地球星人』を思い出す。
家族や子どもを産むことと自動的に紐付けられる身体、とみなされるようになってきたことが少しこわい。こわさで身がすくむような気持ちがして、とっさになんて言っていいのかわからない。
仮にそこで怒って、火が付くように反論してもきっと受け容れてもらえないことを思って、small talkの範疇で、苦しいことを言われてしまった時に、どんな返し方ができるのか、いまも考えている。

おばあちゃんに対しても、地元でも有名なくらい厳しい人を義理の母に持つ嫁入りで、好きだった人と結ばれることもできず、たくさんの苦労が(そしてそれは多分に家父長的な社会によるものだし)あったことを語っているその人に、私は何を言えるのだろうか。身近な人とわかりあえないのは悲しい。
男友達も、フェミニズムの運動には懐疑的な眼差しをむけているようだ。
そんな中でポートレートを撮っていくうちに考えたことを、その男友達もフォロワーに含まれているインスタアカウントで言葉にすることにした時、見えてきた路線が、

「私がいま苦しいから、私がいまこの問題について考えたい」


という表現だった。
ちなみに、She is meeting onlineで、この言い方(「わたし」の感情を前に出していうこと)を考えているひとが私以外にもいたことに、とても嬉しくなった。

もちろん激しい怒りはものごとを変えるのに必要だ。差別を黙認しているひとにも責任があるのも当然そうだ。
ただ私とつながりがある、関心がない人たちに対して、責めるのではない関わり方が欲しくて、今はそういう風に私の考えていることを広げていきたいと思っている。

こういうことの語り方を覚えたい。こうやってパソコンに向かってゆっくり言葉を編むのと、ライブで応答をするのとでは、性質が違う。反射神経が必要になって、友人と議論になるとつい、あとからならああ言えばよかった、とかが出てくるのに、その場でうまく出てこない言葉がある。だから、フェミニズムについて「書く」のではなくて「語る」場所が欲しいとおもっていた。
短い時間ではあったけれど、そういう「語り」を聞いて、またその感想を言い合える場を経験できて、よかった。


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