大きな古時計・死・残像に口紅を

半有料記事マガジン「ナゴマの部屋」の4番目の記事です。
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『大きな古時計』という童謡がある 紹介も何も義務教育レベルで人口に膾炙している歌なので説明は省かせてもらうが、児童期に聴くことになるポピュラーソングとしてはかなり暗くて重い隠喩を含んでいる曲である

おおきな のっぽの ふるどけい
おじいさんの とけい
ひゃくねん いつも うごいていた
ごじまんの とけいさ
おじいさんの うまれた あさに
かってきた とけいさ
いまは もう うごかない その とけい

メタファーに対して「これが正解の解釈だ」と言ってしまうのはやや憚られるが、この曲に関しては時計=おじいさんの人生であり、時計が動かなくなったことがおじいさんの死を示唆している、と理解して問題ないだろう(童謡として捉えている段階でそこまで聴くことはあまりないが、3番に「てんごくへ のぼる おじいさん」というダイレクトな歌詞もある)

大人となった今ではもはやこの解釈にも慣れ、死の暗喩を当然のことのように捉えているが、この曲を僕が初めて知ったのは幼稚園児だった頃、あるいはそれより前である その頃はまだ言葉の理解も拙ければ死に対する解像度も低く、大きな古時計はあくまで楽しく歌う唱歌のひとつであった 主題が時計だということぐらいは理解していたであろうが、まだ音とメロデイーを雰囲気で楽しんでいただけである 親や先生も幼い僕たちに対して「時計が止まったのはおじいさんが亡くなったからだ」などと教えてくれることはなかった

小学生になり、本を読んだり国語を学んだりするようになるとようやく比喩を見抜く力が身についてくる そこでやっと「大きな古時計の停止は死のメタファーである」ことを察した しかしまだ経験値が浅い僕にとっては書かれていないことを勝手に読み取っているにすぎず、この解釈が正しいのか否か自己解決することができなかった 死を扱う話題であったため、友人や大人に質問するということもなかなかできずにいた

人の死について話すというのは当時の僕にとっては強烈なタブーであった 誰に止められたというわけでもないが、例えば死を冗談のように扱ったり「殺す」なんて言葉を口にした同級生が(あるいは自分だったかもしれないが)教師からこっぴどく叱られているのを見た経験などから死=口に出すべきではない恐ろしいもの・言及すべきではないものという印象があったのだろう この根底には日本文化の死穢れの概念などもありそうだが、その話を深掘りすると止まらなくなってしまうのでこの辺で留めておく

そんな中、小学校中学年ぐらいの時にマイルストーンがやってくる 当時僕は音楽教室に通っており、基本的には鍵盤楽器を習っていたのだが、活動のひとつに声楽もあった

ある日『大きな古時計』を課題曲として教わることになったのだが、ついに担当の先生が僕に向かって「『いまは もう うごかない』とはどういうことか」という旨の質問をした

僕は小声で「死んだ……?」と答え、先生はまっすぐな目で「そう」と答えた 長い間(と言っても2年か3年程度だが、小学生にとって2年はとても長い)解決できずにいた、あるいは解決するのを避けていたと言ってもよい仮説がついに肯定されてしまったのである

休日の音楽教室でのささやかなひとときではあったが、僕はこのやり取りを鮮明に覚えている 自ら「死んだから」と口に発するのは相当勇気が要ったと思うし、それがすぐに肯定されてしまったのは相当な衝撃だったはずだ しかしそれと同時に、長年の疑問がついに解決した安堵も感じていた 死について言及してはいけないというタブーから解放され、どこか楽になったのかもしれない

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