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謎解きの定義って?

 ※わめっぺわめっぺわうおではありません。

 どうも、ナゴマです。

 本日は「謎解きの定義」についてお話したいと思います。

 こういうことを言うと身構えてしまう制作者の方もいるだろうと思います。Twitter上でこのテーマはさんざん議論されてきまして、毎度「それは人ぞれぞれ」「定義にこだわる必要もない」「定義を破るのが謎制作者」という結論に落ち着いていると思います。私もその意見に賛同します。人それぞれ。おしまい。

 ですが、「謎解き」と呼ばれるくくりがある以上、ある程度の方向性といいますか、何らかの枠組みがあるはずです。この記事はそれについて私が興味を持ったために考えたことをまとめたものです。
 これはあくまでも私個人の主張、ナゴマ式の論であることを踏まえてください。この定義づけ自体は何の決定力も持ちませんし、決して他の人の主張を否定するものではありません。後で気が変わって撤回する可能性も十分にあります。また、「ここでの謎解きの定義に外れたものを謎として出すな」という主張は一切しません。私だってやってますし、その辺はゆるくいきましょう。
 定義という強い言葉を使ってしまいますが、「どんなものを謎解きと呼びがちなのか」を考えるという方が正しいかもしれませんね。

では参ります。

注意事項
 この記事内には、知的エンタメの代表例として「謎解き」「クイズ」「パズル」が登場します。ここで、主に「謎解き」は一枚謎を、「クイズ」は早押しクイズやボードクイズを、「パズル」は数独やヤジリンのようなペンシルパズルをイメージしています。この理由は、それらを「最もシンプルな謎解き/クイズ/パズルの形態」であると考えており、定義の議論をする上ではこれらについて語るのが妥当であると判断しているからです。当然これらの枠に当てはまらない謎解き・クイズ・パズル、たとえば謎解き公演やバラエティクイズなども存在しますが、この記事はそれらを謎解き・クイズ・パズルの定義に外れていると否定するものではなく、発展形・複合形だと捉えるものであると理解しておいてください。

よくある意見:知識が要るか要らないか

 まずよくある意見が、「(高度な)知識の必要性」です。特別な知識を必要とせず、ひらめきだけで解けるのが謎解きである、という意見。
 確かに、謎解きは知識よりも「ひらめき」を重要視することが多いですし、それゆえに「小学生でも解ける」「大人より小学生の方が解ける!?」みたいなプロモーションがよく見られます。

 また、「高度な知識が不要なものが謎解きである」という主張は、多くの場合「高度な知識が必要なものはクイズに分類されてしまう」というニュアンスを含んでいると思います。テレビ番組でも「知識を使うクイズとは一味違う謎解き」みたいな感じで紹介されているイメージがあります。
 すなわち、謎解きとクイズを区別する要素として要求される知識の量という尺度が用いられているということです。

 しかし、これを定義とするのは非常に危ういことだと思います。

 なぜなら「謎解きは知識が必要なものである」からです。
 五十音表、アルファベット、トランプ、単語、漢字、数字……これは謎解きの場面で暗黙の了解的によく登場するものですが、全て知識です。何より、何らかの知識がなければひらめきなど生まれません。

 これに対する反論として、「それらは別に小学生でも知っていることであり、高度な知識ではない。もっと高度な知識を使うとクイズになってしまう」というものが予想されます。
 では、「小学生でも知っていること」とは何でしょうか? 小学校卒業までに習うと定められている内容のことでしょうか? でもトランプのカードについて小学校で詳しくは習いません。そもそも境界を小学生が解けるかどうかに定める理由とは何でしょうか?

 このように考えていくと、知識のレベルにおける線引きはほとんど不可能であることが分かります。そもそも、持っている知識の量は人によって異なるため、誰もが納得できるような定義を知識という面に求めることは不可能なのです。例えば私(化学系の人間)が化学をテーマにした謎解きを、自分の「常識」に基づいて作ったとしても、他の人にとってそれがゴリゴリの検索必須になることは容易に予想されます。誰かにとっては高度な知識であっても、他の人には一般常識だ、なんて可能性はいくらでもあります。

 勘違いはしていただきたくないのですが、ここまでの私の主張は前述の「小学生でも解ける」「ひらめきだけで解ける」謎解きのプロモーションを否定するものでは決してありません。
 小学生でも解ける問題は特に面白いですし、それによって謎解き人気に火が付いたことは間違いないと思います。高校や大学で学ぶ学問の内容を利用した謎解きを出題しても、これほど一般的に盛り上がるとは思えません。ただ、これを「小学生でも解けるものこそが謎解きだ」と捉えるのではなく、「小学生でも解ける問題って誰でも楽しめて面白いよね」ぐらいのニュアンスで捉えてほしいということです(なかなかこのあたりの言語化が難しいのですが、「小学生でも解ける謎解き」という文言を、「謎解き=小学生でも解ける」ではなく「謎解き∋小学生でも解ける謎解き」と捉えるべきだという主張です)。

パズルとの対比

 謎解きの定義を「知識」に求めることができないということが分かりました。では、どのような分野に求めるべきなのでしょうか。

 やはり定義についての議論は、謎解きと混合しやすい他のジャンルにも触れてその違いを明らかにしていくのがよさそうです。
 先ほどの議論でクイズと謎解きの対比を行いましたが、次は同じく知的エンタメの代表格である「パズル」との対比を行ってみましょう。

 ここでのパズルとは、数独やヤジリンなどのペンシルパズルやルービックキューブなどをイメージしています。
 必要とされる知識のレベルという観点でパズルを見てみると、例えば数独はほとんど知識を必要としません。ただルールを理解していれば楽しむことができます(こういうペンシルパズルには定石のようなものがあり、慣れた人はこれを知識として扱っているような面もあります。しかし、これはあくまでそのルールから導出されたものであり、クイズ・謎解きの議論で触れた外部からやってくる知識とは異なるものです)。
 一方でクロスワードや漢字ナンクロのように知識を必要とするパズルも存在します。

謎解きとパズル・クイズの最大の違いは「ルールの明らかさ」ではないか?

 先ほど太字で示したように、パズルは「ルールを理解していれば解けうる」ものです(ルールを理解していても難しすぎて解けないものがある、というのは屁理屈です)。
 また、クイズも(求められる知識量はあれど)基本的には「疑問形で問われた内容に対して該当する単語を答えればよい」というルールは明らかですし、問題から解答に至るプロセスも明快です(もちろん推測が必要で、覚えた知識をそのままアウトプットするだけでは答えられないクイズもありますが、これについては後述します)。

 では、謎解きはどうでしょうか。
 基本的に、問題を見た瞬間に何をすればよいのかが分かりません。どのようなプロセスで解答にたどり着くべきかが明示されておらず、色々な知識や経験と結びつけて法則性を探る必要があります。
 例えば五十音表を用いる謎であれば、「そこに書いてあるものが五十音表であると気付く」→「法則性(例えば数字が書いてある部分のカナを順番に読む)を例から見出す」→「それを解答に該当する部分に対しても実行する」というプロセスを、解き手が頭の中で生み出す必要があります。
 これは至極当然の了解で、パズルと大差ないプロセスだと考える謎クラもいるかもしれません。私もそうです。ですが、これは謎クラの特性らしいです。この辺はSchool Enigmaさんが分かりやすい記事を書いてくださっています。
 「○○をしろ」「○○を読め」のような指示がある謎解きもありますが、これも指示文の解釈をそのまま受け取るだけでは解けなかったり、指示通りに行動したあとの盤面を再解釈する必要があったりします。

 このように、解答を導くためのルールやそこに至るまでのプロセスが明示されていないということが、謎解きとパズル・クイズを異なるものにしている要因なのではないでしょうか?
 つまり、「ひらめきさえあれば解けるのが謎解き」なのではなく、「ひらめかないと解けないのが謎解き」なのではないでしょうか? 言葉としてはわずかな違いですが、このニュアンスの差は大きいです。
 また、このひらめきを産むためには、様々な可能性を試したり、自分の過去の経験と何かを結び付けて考えることが不可欠です。経験が目の前の盤面と合致した時に「ひらめき」は発生します。つまり、「色々な解き筋を試し、試行錯誤することではじめて解けるのが謎解き」だと言い換えることもできそうです。この辺は謎検のホームページに書かれていることにも近いです。
(パズルでも試行錯誤が必要になる場面はありますが、それはあくまで規定されたルール上での試行錯誤です。森羅万象が必要となりうる謎解きの試行錯誤とは異なります。)

 何度も言うようで恐縮ですが、私は「知識が不要なのが謎解きだ」「検索が必要なものは謎解きではない」という主張を否定します(もっとも、こういう主張をしている人は実際におらず、私が議論を分かりやすくするために勝手に設定した仮想敵なのかもしれませんが……)。
 特定の知識を利用したり、ツールを利用することによって成立する謎解きも多数存在します。なにより、今の時代はインターネット&スマホが個人の身体機能の一部と化していると言っても過言ではないので、わざわざ検索を禁止する理由はありません(知識量を直接問うクイズであればまた話も変わってくるのでしょうが)。
 私が謎解きの問題を作成する場合は、検索は不要なものでも必須なものでもなく当然の権利である、というスタンスでやっています。

 ただし、このような検索必須の知識を扱うものが「面白い」のかというとまた話は変わってきます。
 
おそらく、膨大なインターネットの海のどこかに存在する単語を拾ってくるだけのひねりがない問題であれば、それを面白いと思う人はほとんどいないでしょう。
 もし「検索謎は謎解きではない」と主張する人がいたとしたら、それは「検索謎は(多くの人が好むような)謎解きではない」という主張だと捉えるべきです。納得も共感もできます。

 逆に「すぐには解かれない謎解き問題を作りたい」「人類に挑戦したい」となった時に手っ取り早いのは検索謎なのですが、この時には「検索必須の謎をどう面白くするか」というのがポイントとなってきます。この辺で葛藤し、頭を悩ませている制作者はよく見かけます。

ビミョーな部分の話

 話が少し脱線しました。「ルールが明らかでない=ひらめかないと解けないのが謎解き」という話でしたね。
 つまり、パズルやクイズの体裁をとっているものであっても、ルールを不明瞭にしたり、法則を隠したりすれば「謎解き性」を帯びてくるということです。

 謎解き×パズル
 例えば、除夜謎2020の3月のテーマは「謎解き×パズル」でした。ぱっと問題を見てみると、確かにパズルの色が強くぎょっとします。ですが、しっかり問題と向き合ってみると(詳しく言うとネタバレになるのでぼかしますが)そのままでは解けなかったり、そもそもルールが明らかになっていなかったりと、しっかりと試行錯誤する必要がある謎解きに落とし込まれていることが分かります。非常に面白いので、時間をとってやってみてください。
 ほかにも、小謎がポリオミノやしりとり、スケルトンなどのパズルから構成されている謎解きが存在します。確かにこれらはパズルに分類されるものかもしれませんが、多くの場合これらは謎全体を構成する要素の一部であり、あとから大謎でさらなる法則性が判明して回収されるなどのどんでん返しが起こることが多いです。分かりにくい言い方をするなら、ミクロ的にはパズル性が強くてもマクロ的に見ればしっかり謎解きになっている、というイメージです。

 クイズ×パズル
 (これもネタバレになりうるので詳しくは話しませんが)QuizKnockさんの無限倍速クイズや、カプリティオチャンネルさんの5ヒントクイズは、クイズという形をとりながらも隠されたルールを探る必要性がある企画で、謎解きとしての要素をふんだんに含んでいます。

 塔
 塔は基本的に100問の小謎を順番に解いていけばクリアというスタイルです。この個々の問題は間違いなく謎解きに分類されるものですが、全体として見ると「すべての問題を順番に解く、解けなければ先へ進めない」というルールは明らかになっています。先ほどと同様の言い方をすると、ミクロ的には謎解きであってもマクロ的には謎解きではない、ということになります。この辺が塔というコンテンツに対する好き嫌いが分かれる要因なのではないかと思います。この明瞭なルールを裏切る塔が現れたら面白いですね。

 和同開珎・アナグラム
 最もcontroversialな奴です。確かにこれらを解くときはひらめきが重要になるのですが、それはあくまでもルール(和同開珎であれば漢字を埋めて熟語を成立させる、アナグラムであれば並べ替えて文をつくるというもの)内でのひらめきです。最悪全パターン試せば解けます。ルールもプロセスも明らかです。ですので、私の定義ではこれら単体では謎解きではありません。ごめんなさい。しかし先ほども述べたように、ルールの明らかさをそぎ落としたり、オリジナルの手順をつけ足したりすることで、すぐに面白い謎解きになり得ます。
(具体例をあげようかと思ったのですが、ここであげてしまうと「この問題はただの和同開珎ではない」ということが一発でバレてしまうのでやめておきます。ただものでないということを自分で見つけるのも面白みです。)

 作業
 よく、「これはただの作業になっているのでは?」みたいな話を目にします。実際、ひらめくべきポイント・試行錯誤すべきポイントが終わってしまえばあとは文字を埋めて答えを導くだけだったりします。また、解く側が謎解きに慣れていて、ベタな問題を一瞬で解ける状態になっていればもうひらめくポイントなんて何もなく、ただただ作業するだけということになってしまう可能性もあります。
 正直、この辺が楽しいものになるかどうかは制作者の腕にかかっていると思います。文字拾いであっても直前のひらめきが強烈なら楽しいものは楽しいですし。間違っても解き慣れた人間がベタ問を見て「こんなん謎解きじゃない」とかいうのはやめましょう。それは人によります。

 言葉遊び
 言葉遊び自体は答えを出すものではないのでこの枠で語るのも難しいですが、「図は何という回文を示している?」とか「この謎かけの心は?」みたいな問題はよくあります。これはルールが明らかなので、前述の和同開珎やアナグラムと同様の分類になると思います。ただし、拾ってくるべき言葉が存在する範囲が定められておらず膨大であることが多く、解くためには様々なプロセスを試す必要があるのは事実です。謎解きとの親和性は非常に高いと思います。

最後に

 さて、我流の定義を作り「謎解きとは何か」の一応の結論を出しました。
 「ひらめかないと解けないのが謎解き」「色々な解き筋を試し、試行錯誤することで解けるのが謎解き」というのが、私にとっては最もしっくりくる説明でした。
 そして傲慢にも色々な問題に対して、それが「謎解きである/謎解きではない」ということを判定できるようになってしまいました。

 しかし、最初にも述べたように、これは私個人の意見です。
 この記事は「我々はどんなものを謎解きと呼びがちなんだろうか」ということに興味を持ったがゆえの考え事であって、決して定義を振りかざすためのものではありません。
「定義に外れたものを謎として出すな」という窮屈な主張はしていません。

 そもそも、我々が謎を解きたいと思うとき、「きちんと定義に基づいた謎を解きたい」などと思うでしょうか?(思う人もいるのかもしれませんが)私はそうは思いません。ただ「面白いものをやりたい」となんとなく思っているだけであって、そしてそれが漠然と「謎解き」に分類されているものであるだけで、そこをギチギチに縛ってしまう必要は全くありません。その辺の範囲は人によっても異なるでしょう。パズルを求めていたら謎解きも面白いなとなった人、クイズの方から入ってきた人、言葉遊びをしていたら謎クラになっていた人、公演などでのイベントプロデュースや演劇が楽しい人……様々です。
 楽しんでいる人の前では定義など無力です。

 ですので、ここで述べた定義はあくまで整理のため、利便性のため、議論のため、研究のためであり、それ以上の力は持っていないということを忘れないでください。
 他者の作品に文句を言うためにこの記事を引用するのは絶対にやめてください。

以上。おしまい。


スペシャルサンクス
山下/うでぃ~(サムネイル原案提案)
コウメ太夫(サムネイル原案)
(敬称略)

(引用元)

※サムネイルは著作権法第32条に基づく引用です。

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