「25時のバカンス」について

少し恐ろしい事を考えました。

一般的には、姫と若の近親愛、という事で処理されるお話ですね。ええ、姫は若が好きでしたでしょうし、若は姫が好きでしょう。
ですが、少し引っかかるのです。

問い.姫が心惹かれたのは.
偏に若の目ではないですか。
「あのときお前を助けられるのは私だけだった。それがうれしくて今が永遠になれば良いと思った。」
この言葉が本当だったら、単純で健全な近親愛で終わりです。けれど、私にはこの言葉が本当だとは思えません。姫はいつも、若にはあまり本音を言っていなかったような。きっとこの言葉も嘘でしょう。貝の子が言っていました。"みとれて"救急車を呼ぶのが遅れたと。きっとこれが本当です。「姫の脳も内臓も食べた」貝が言うのだから、本当であろうと思います。

最後のダンスのシーン...普通になった若の目を見て、私は少し...落胆しました。あの黒い.赤い目、綺麗で好きでしたから。だから、「0点」が、若の台詞じゃなくって、生物としての点数を言っているんだって思ったんです。これが発想の起点な訳ですが。

つまり、姫は若の目が綺麗だから、その綺麗なのが、好きだったのではないですか。

姫は自分のせいで目に後遺症を負った弟に罪悪感を抱いていました。だから償いに、新しい目を贈ることにした。でも、新しい目は普通の目に見えるでしょう。(本当は真珠の目な訳で、貴重ではあろうが、それをつけた若はびっくりするほど魅力が無かったもんですから)だから姫は惜しかった。
「長いお別れが姫の幸せですね。」「姫のお考えはわかりますよ。これ以上近づけないのなら今度は遠のく日がひどく恐ろしい。最高得点で時を止めて逃げてしまおうという算段ですね。ではこのまま地上にお別れを。」これらの台詞はつまり、美しい若にもう会えなくなることを言っているのではないですか。ただ近親愛を描いたと言うだけなら、これらの台詞の意味はなんだと言うのでしょう。
綺麗な目が好きなら、そのままにしておけば良かったのに。律儀に罪を償って、もう愛しの若に会えなくなってしまった姫の愚かしさと愛らしさ。そういうお話ではないですか。

これ全部私の勘違いで、ほんとはそなこと無いんぢゃない、なんて気もします。
けれど、私の頭にこのような考えが浮かんだ事は事実で。

奥の深い作品です。市川春子さんの作品はどれもそう。大好きです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?