雲月記.啓蟄
良い雲だと思いませんか?疲れたから今日はもうこれで帰ろうと思って、駐輪場へ向かったら、この空が迎えてくれたんです。天からのご褒美なのだと思いました。こういう雲が好きなの!光を受けて神々しい...。
撮影したのは15日です。
18日、飼っていたウーパールーパーが死にました。書こうか迷ったけれど、書くことにします。
ずっと調子は良くなかったんです。溶けた足は治らないし、毎日水を変えて、餌の種類や頻度も変えてみたのに、もっともっと溶けていくばかりでした。私なりに最善を取ったつもりだったのですが、そうでは無かったのでしょう。無念でならないです。
彼の、白くなって生気を失った死体を見つけた時、まず、怖いと思いました。死体って怖ろしい。見たく無くて、すぐ目を逸らしました。祖母の葬式の時もそうだった。恐らく、私は死体を見るのが苦手です。
彼の死を認識した後、不思議な事に、あまり悲しさは湧いて来ませんでした。それよりも、恐怖と、罪悪感と、無力感を感じていました。いえ、この際、嘘を吐くのはやめましょう。私はちっとも悲しくありませんでした。それがまた、苦しかったのです。私には、その時の感情を悲しいと形容するのが正しいとは思えないです。
1番大きかったのは無力感です。私の努力は虚しく、彼はすぐ死にました。もっと打つ手があったのでは無いか。より良い選択肢が存在したのに、私はそれをみすみす逃したのでは無いか。私は無能か?然り、私は無能でした。それが身に染みるのがとても辛かった。彼は、彼自身の死によって、無能な私に報復を行ったのです。こうかは ばつぐんだ!私は私の無能さに涙しました。
彼の死体は、住んでいるマンションの隣の公園に埋めました。死体を見たく無かったので、弟に死体を紙に包んでもらって、一緒に埋めに行きました。私は通常通りの立ち居振る舞いを心掛け、見事それは成功して、普段通りに生活を営んで、眠りました。
彼の死について書こうか書かまいか悩みました。言葉にすれば、きっと心の整理がつくでしょう。事実、こうして言葉にする事で、私は心の整理が出来ました。でも、これは整理して良いものなのかしら。言葉にして、言葉の型に押し込んで、歪めて良いものかしら。このまま、大事に持っていくべき?
このまま持っていく、というのは苦しいと分かっていたので、私は言葉に押し込んで楽になる事を選びました。一度言葉にすると、本当にびっくりするぐらい、楽になります。忘れるのも簡単になるでしょう。
「バカね。過去に目を瞑る方が楽よ。文字通りね。クリソベリルの事は忘れたわ。今の生活が好きよ。」
好きな台詞です。
この写真、ちょうど今日撮ったんです!綺麗な梅の花。(多分梅の花。)とっても可愛らしい。お上品なのに可愛くって、美しいから心が透けます。あまり香りはしなかったのですけど...それは仕方ありません!この梅のお陰で、快い朝を迎えられた気がします。ありがとう。
啓蟄はよく写真を撮りました。主に、空のですけど。前回雲月記を書いた時、あまり書く事が、思い出す事が無い事を寂しく思っていたのです。でもまあ、書く事が無いというのも、それはそれで良い事だと思います。なんともなく、普段通り、穏やかに過ごせたという事でしょう。
もう数枚、写真を撮っていましたが、あまり写真を載せすぎるのも如何なものかと思われますから、啓蟄の写真はこれくらいで終わりです。
印象に大きい事が多々あった季節でした。ここには書かない事にしたけれど、私にとって大きい事、というのもありました。春だからかな。きっと、そうです。「啓蟄」という言葉に相応しい季節だ。
いつになったら忘れるかな。
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