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自分の望みと、自分の憧れ

自分の望みと、自分の憧れ、これを分けて考えてみたことってありますか?

この前、ふと思ったことがありました。

私は長らく不安障害の療養で引きこもっています。
子供の時から不登校で、社会と交わることは今のところありません。

だからなのか、普通、というものに固執し、憧れでもありました。

私の中の普通の定義は、大体多くの人が通る道。
例えば小学校、中学校、高校から大学や専門学校もしくは就職、いずれ結婚し、子供を授かり、育て、歳を重ねていく。

所謂、これが社会の当たり前だ!と言わんばりのアレです。
今は多様化が進み、そんな普通も崩壊しつつあるのは知っています。


話は戻り、自分の望みと憧れ。
これは私の感覚の話になりますが、

自分の望みは、自分がこれをやりたい!これが欲しい!と内側から湧き立つような感覚。

憧れは、外側を見て、例えば自分の好きなこの人が使っているから私も欲しい!
自分の好きな人が、上手くいっている人がこうしてる(行動)してるから、私もしよう!という感覚。

自分が望んでいることを知ることは、これから生きる上でとても大切なことで、外側を向いた憧れの感覚で生きると苦しいんだろうなと思いました。


それに気づいたのは私の結婚願望でした。
元々私は、占いや精神世界のことを知ることが好きで、引き寄せの法則や宇宙の法則を知ることができました。

叶えたいなら、望めばいい。

ただそれだけなのに、結婚について何にも望んでない自分にはたと気づきました。

じゃあ今の環境のせいか?
そうじゃなく考えてみます。

例えば何不自由なく湯水のごとく使えるお金があり、人間関係も良好で、自分が望む環境にいて、身体も心もすこぶる元気だったら、それは欲しい?何がしたい?


そう考えてみた時に、結婚のけのじも出ませんでした(笑)
結婚じゃない、他のやりたいことが出てきました。

そこでやっと気づきました。
結婚は憧れていただけで、本当に結婚をしたいわけではなかったんだって。

憧れることは悪いとは思っていません。
キラキラした素敵なものをみることは心が温かくなるから。

だけど、それを私の人生に嵌め込んだ瞬間、きっと苦しいんだろうなと思いました。
だって私自身が望んでないんですから。

少なくとも今のところは。
来年になったら望みとして出てくるかもしれません。そうしたら、望むだけです。


他人の人生の一部を切り取って見て憧れるのはいいけれど、その憧れを自分の人生に嵌め込んだときに苦しくなる。

もし、憧れるあの人みたいになりたいなら、その人の考え方や意識のあり方を真似するといいと思います。
その人の行動自体を真似すると、上手くいくこともあるかも知れないけれど、大抵の場合、苦しくなるかもしれません。

だって、憧れる人と自分自身は違うんです。

それは否定的な意味ではなくて、自分自身は唯一無二なんです。
これは占星術の観点からも言えます。自分と同じ星の配置は計算上、約26.000年後です。
少なくとも同じ生年月日、生まれた時間、生まれた場所が同じでない限り一緒の星の配置はないです。

なので、逆にどんな部分に憧れを感じるのかを抽出したらいいんです。
そこに実は自分が望んでいることが隠れていることがあります。


本格的な風の時代はもうすぐです。
今は肩慣らし、序章に過ぎません。

そして私的には風の時代といっても、一時は水瓶座色の強い風の時代になるのでは、と思っています。

水瓶座はテクノロジーや変革、変容を齎しますが、ほかにもよく変人の星などと例えられたりします。
この変人とは集団的ではない、自分という個性を打ち出しているという意味で捉えています。

これからは自分が本当は何を望んでいるのか、そして、それを体現、表現していくことになるでしょう。それはSNSなどに表現することだけを指しているのではなく、普段の些細な日常生活の中からです。

私の好きな言葉。
汝自身を知れ、汝自身で在れ。
(22を超えてゆけより)

まさにこれに尽きるのかなと思います。

一人ひとりが自分の才能や強み、逆に苦手なことやりたくないことに気づき、自分の望みを気づいて、叶えていけたら、この世界はきっと無理なくパズルのピースの如く上手く嵌まっていくのでしょう。


nagisa



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