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くちなし忌2022 中野重治を偲ぶ会レポート

1979年8月29日に亡くなった文学者、中野重治の忌日は「くちなし忌」という名で、現在も福井県坂井市の生家跡で毎年開催されています。

2020年以降、コロナ禍で中止となっていたこのくちなし忌が、2022年に再開された時に参加した時のレポートを、Privatterの当時の記録からnoteに移しておきたいと思います。

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日時:2022年8月20日
※雨天のため、例年は式典も高椋コミュニティセンターでの開催となりました。

─第一部───
【式典】13:30〜14:00
:会場は、ステージに中野重治全集が並べられ、縁側に座った中野さんの写真パネル、直筆の色紙が飾られていました。

1.開会案内
2.詩の朗読「古今的新古今的」「千早町三十番地」
 :中野さんご自身による朗読の録音再生でした。この音源初めて聴いた!
3.献花
 :関係者の方がほおずきの枝を、一般参列者はほおずきの実を、祭壇前のテーブルに献花しました。
  会場にはゲオルグ・ザンフィルの曲が流れ、全集と写真パネルが置かれた構図、これはご葬儀の再現…!?という雰囲気に。
  生家跡でやるのとはまた違った形で趣がありました。
4.坂井市教育長による開会挨拶
5.中野重治の会 林淑美先生挨拶
 :今回、忌の開催43回目にして初めての雨天とのこと、また、世田谷でお元気ではありますが、この暑さの中で丸岡までの移動は難しいとのことで初めて忌日に卯女さんが欠席されることになり、どちらも初めて。これは現代の日本に対して中野重治さんが怒っているという(ここからパンデミックや統一教会など時事批判がしばらく続いた)こと。日本の文学者は政治に関わらない方が高尚だと思っている。中野重治は政治と文学の両方で戦い続けた英雄。
 といった内容でした。
6.詩の朗読「わかれ」「夜明け前のさよなら」・フルート演奏
 :こちらは丸岡図書館職員の男性の方による朗読でした。
7.丸岡図書館長による閉会挨拶

─第二部───
【記念講演】14:30〜16:00
演題:「中野重治と三好達治…『魂の温度』」
講師:張籠二三枝

1.二人がどんな時期に出会ったか
中野…敗戦直前に召集され、兵隊として長野に駐屯。8月敗戦の報で解散となり、東京へ帰る前に一本田へ立ち寄ったところ。
三好…別れた妻子の疎開の荷造りを手伝うため(父としての責任)、小田原へ一時滞在していたところ8/14の小田原空襲により罹災。
   なんとか三国に一人帰り着いたところ。アイさんとは別れ済み

2.出会い
中野さんの同級生で地元のお医者であった堂森芳夫氏の仲立ちで出会った、ということになっています。
→畠中哲夫氏による評伝「三好達治」の、二人の出会いについてを引用紹介。

3.三国と二人
中野…「土面積、水面積、空面積の件」「日本海の美しさ」など三国をテーマとした随筆紹介。
三好…三国の小中学校の校歌を作詞

4.中野→三好
 「三好達治の日」「君に別れる」弔辞、及び十三回忌にまつわる思い出の随筆。
 三好が亡くなる直前まで、中野と一緒に作業していた室生犀星全集の編纂について、犀星の日記の巻についての話から、三好の随筆「なつかしい日本」へ話が広がっていく。
 敗戦後の天皇についての三好の意見に、「まっすぐで鋭い道理の感覚」「道徳的な健康さ」をみていたという中野の視点は、中野自身にも言えることではないか。

5.三好→中野
中野の「中国の旅」についての書評から。三好は中野が書いた中国についての記録を、政治的立場や人種にとらわれることなく、一人の女性の親切であったり老人の風貌であったりといった、見たままを描き出す眼差しを賞賛している。
 +
三好にも中野と似た朝鮮でのエピソードがあると紹介→随筆「移住者」(「夜沈沈」収録)

6.まとめ
 中野と三好、庶民的で正直な愛や悲しみがお互いの共感の根底にあった。
 三好の詩「慙」(息子が戦死した母の、表に出せない嘆きの詩)を紹介して終わる。


★講演は、中野さんに関してはレジメ通り、三好さんに関しては熱くレジメにないこともどんどん語る、といった調子でした。講演者の方は生粋の三好氏推しなんだな、という感じでニコニコ。
 今年は第一部の参列者が本当に少なく、関係者を含めても40人前後くらいでした。ご時世の影響がやはり強いとは思いますが、雨天であったこと、及びそのための公共交通機関に支障が出ていたことも影響しているとみられました。来年はどうぞ晴れますように!

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