神が王を選ぶ God Chooses Israel's King

Christ is King

地獄は民主
天国は王国
– クロンシュタットの聖ヨハネ

聖書によれば、理想的な政治制度は、神が預言者を通して王を選ぶ君主制です。

サムエル記上 9・17
サムエルがサウルを見た時、主は言われた、「見よ、わたしの言ったのはこの人である。この人がわたしの民を治めるであろう」。

サムエル記上 16・13
サムエルは油の入った角を取り出し、兄弟たちの中で彼に油を注いだ。その日以来、主の霊が激しくダビデに降るようになった。

ローマの信徒への手紙 13:1-7
人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。 従って、権威に逆らう者は、神の定めに背くことになり、背く者は自分の身に裁きを招くでしょう。 実際、支配者は、善を行う者にはそうではないが、悪を行う者には恐ろしい存在です。あなたは権威者を恐れないことを願っている。それなら、善を行いなさい。そうすれば、権威者からほめられるでしょう。 権威者は、あなたに善を行わせるために、神に仕える者なのです。しかし、もし悪を行えば、恐れなければなりません。権威者はいたずらに剣を帯びているのではなく、神に仕える者として、悪を行う者に怒りをもって報いるのです。 だから、怒りを逃れるためだけでなく、良心のためにも、これに従うべきです。 あなたがたが貢を納めているのもそのためです。権威者は神に仕える者であり、そのことに励んでいるのです。 すべての人々に対して自分の義務を果たしなさい。貢を納めるべき人には貢を納め、税を納めるべき人には税を納め、恐るべき人は恐れ、敬うべき人は敬いなさい。

ペトロの手紙一 2:13-17
主のために、すべて人間の立てた制度に従いなさい。それが、統治者としての皇帝であろうと、 あるいは、悪を行う者を処罰し、善を行う者をほめるために、皇帝が派遣した総督であろうと、服従しなさい。 善を行って、愚かな者たちの無知な発言を封じることが、神の御心だからです。自由な人として生活しなさい。しかし、その自由を、悪事を覆い隠す手だてとせず、神の僕として行動しなさい。 すべての人を敬い、兄弟を愛し、神を畏れ、皇帝を敬いなさい。

テモテへの手紙一 2:2
王たちやすべての高官のためにもささげなさい。わたしたちが常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るためです。

マタイによる福音書 28:18
わたしは天と地の一切の権能を授かっている。

God Chooses Israel's King

(グーグル翻訳)
サウルはイスラエルの初代王でしたが、彼の治世は、神の民の上に忠実な王を立てるという神の計画のほんの短い休憩にすぎませんでした。 「望むものは手に入れられるかもしれないから、自分の望むものに気をつけなさい」という古い格言を例証しながら、主は他の国々と同じように王を与えてほしいというイスラエル人の願いに応えられました(サムエル上8:1-10:8)。 。 サウルは後に失敗者であることが判明し(15:10-11a)、主は彼を拒絶されましたが、これは驚くべきことではありません。なぜなら、私たちの創造主がサムエルに「彼らの声に従い、彼らを王にしなさい」と命令したからです(8: 22) サムエル記上 16:1 の「わたしは自分自身に王を備えた」と比較すると、不本意です。 ダビデの場合、神はイスラエルの要求に「屈服」せず、罪に対する裁きとして彼らが望んでいたものをまさに彼らに与えました(ローマ1:24-25参照)。 むしろ、神はご自分の民を祝福するためにダビデを任命されました。

民を導く者としてダビデを任命された際に主が重視された特質は、ほとんどの人が指導者を探しているときに考える特質であるとは限りません。 私たちは、外交政策の経験、学歴、過去の政治的役職、その他の同様の基準に基づいて役人を選出することを選択するかもしれません。 しかし、これらのことは重要ではありませんが、主がダビデとその子孫をイスラエルの王座に据えたとき、それらのメリットは二の次でしかありませんでした。 主がサムエルに語られたように、良い統治者にとって重要な特質は心の中にあります(サムエル上16:7)。それは知性、道徳的判断、敬虔さ、感情の座である人間の精神の構成部分です。 主がダビデを選ばれたとき、主は「[神]ご自身の心にかなう」人間である必要性を理解してくれる人間を望まれました(13:14)。

(終了)

聖書は明らかに君主制を認めています。共和制や民主主義を推奨したり、言及したりする箇所はありません。

テモテへの第一の手紙 2:1-2
そこで、まず第一に勧める。すべての人のために、王たちと上に立っているすべての人々のために、願いと、祈と、とりなしと、感謝とをささげなさい。 それはわたしたちが、安らかで静かな一生を、真に信心深くまた謹厳に過ごすためである。

初期の世紀のキリスト教徒は民主主義についてすべて知っていました。しかし、民主主義は選択肢として決して支持されませんでした。

「君主制は他のあらゆる憲法や政治形態よりも優れている。なぜなら、誰もが平等に競争する多元主義は、実際には無政府状態と不和である。」 —カエサリアのエウセビオス (4世紀)

「神に関する最も古い 3 つの意見は、無神論 (または無政府主義)、多神教 (または多神教)、一神教 (または君主制) です。ギリシャの子供たちは最初の 2 つで遊びました。私たちは彼らの遊びに任せましょう。無政府主義は無秩序です。多神教は党派的分裂を意味し、したがって無政府主義と無秩序です。これらは両方とも同じ方向、つまり無秩序につながります。そして無秩序は崩壊につながります。無秩序は崩壊の前兆です。私たちが尊敬するのは君主制です」—神学者聖グレゴリウス (4 世紀)

アメリカ独立戦争の根底にあるのは、キリスト教ではなく啓蒙主義の理性であり、フランス革命とその憲章である人権宣言において政治的に最もよく実証された。この運動の思想的指導者たちは、明示的ではないにせよ、暗黙の無神論者であり、通常、イエス・キリストに対してかなり敵対的であった。

ジャン・ジャック・ルソー: 「キリストは隷属と依存のみを説いた…真のキリスト教徒は奴隷となるように作られている。」

ヴォルテール: 「キリスト教は、これまで世界に蔓延した最も馬鹿げた、最も不条理で血なまぐさい宗教である。」

ドニ・ディドロ: 「最後の王が最後の僧侶の臓物で絞殺されたときのみ、人間は自由になるだろう。」

アメリカでは啓蒙主義の政治思想はそれほど暴力的ではなかったが、フランス革命は暴政に終わった流血の惨事だった。そしてその哲学的継承者、特にロシアのボルシェビズムは、人類史上最大の大量虐殺を行ったと主張している。

現代の政府は神との契約を結んでおらず、むしろ政府と国民の間の「社会契約」を主張しています。神が最高権威である代わりに、その役割は今や「国民」に属しています。

イエス・キリストは契約の一部ではありません。これをロシア皇帝ニコライ2世のような王が戴冠式で行った誓約と比較してみましょう。

「私の心があなたの手の中にあり、私の責任に委ねられた人々の利益とあなたの栄光のためにすべてのことを成し遂げることができますように。そうすれば、あなたの審判の日に、私が責められることなく私の管理職についてあなたに報告することができます。あなたの息子の恵みと慈悲によります。彼は私たちのために一度十字架につけられました。あなたと命の与え主である聖霊とともに、すべての名誉と栄光が彼に世々限りなくありますように。アーメン。」

キリスト教の君主は、神の前での誓いによって、国民に仕え、国民の利益のために戦うことを強いられている。

「もちろん、いかなる政治体制も永続的な安定を保証することはできません。人類は本来堕落し、変わりやすい種族です。しかし、論理的にも歴史からも、キリスト教の信仰と道徳を順守する点では君主制の方が民主主義よりはるかに安定していることが示唆されています。フランス革命以来の民主主義の歴史は、信仰と道徳の衰退が加速し、親と子、夫と妻、教師と生徒、政治支配者と臣下など、神が人間社会に与えた自然な階層関係がますます弱体化していることを示してきました。そして、これらの自然な階層関係を弱体化させることで、最も重要な階層関係である神と人間の関係を暗黙のうちに弱体化させています。一方、正統派の君主制は、これらすべての関係を強化し、社会全体を現代の民主主義の専ら世俗的かつ物質的な目標ではなく、精神的な目標に向けさせます。」

ニコライ2世とその家族

ロマノフ家の処刑(Расстрел царской семьи)とは、ロシア帝国のロマノフ家(皇帝ニコライ2世や妻のアレクサンドラ・フョードロヴナ、夫妻の5人の子供オリガ、タチアナ、マリヤ、アナスタシア、アレクセイ)と幽閉先に同行することを選んだ人すべて(有名なところではエフゲニー・ボトキンやアンナ・デミドヴァ、アレクセイ・トルップ、イヴァン・ハリトーノフ)が、1918年7月17日にエカテリンブルクのイパチェフ館で銃撃・銃剣突き・銃床で殴るなどによって殺害された事件である。

ニコライ2世とその家族は、ウラル地区ソビエトの命令により、ヤコフ・ユロフスキーが指揮するボリシェヴィキ軍により殺された。その際遺体は切り裂かれ、焼かれ、コプチャキ街道沿いの森の中にあるガニナ・ヤマ(英語版)と呼ばれる野原に埋められた。

1913 年のロシアの一人当たりの税金総額は、フランスやドイツの半分、イギリスの 4 分の 1 でした。ロシア国民はますます豊かになりました。ロシアの労働者の賃金はヨーロッパの労働者と同等で、アメリカの労働者に次ぐものでした。

農民土地銀行は農民に多額の融資を提供しました。1914 年までに、ロシアの農民と農家は、シベリアとロシアのアジア地域の農地の 100%、ヨーロッパ地域では 90% を所有または賃借していました。シベリアでは、特別な国有倉庫が地元住民に農業機械を提供しました。

1903 年 6 月以降、すべての産業家は、産業事故で負傷したすべての労働者とその家族に毎月手当と年金を支払う義務がありました。この手当の額は、負傷者のニーズの 50 ~ 66% に設定されました。 1906 年にこの国で最初の労働組合が結成されました。1912 年 6 月 23 日の法律により、労働者に健康保険と傷害保険が義務付けられました。

ロシアの義務的社会保険に関する法律は、米国やヨーロッパの主要国に先駆けて、世界でも最初の法律の 1 つでした。

ロシアは当時最も進歩的な労働法制を有していました。いくつかの情報源によると、アメリカのウィリアム タフト大統領は、ロシアの労働法制を称賛し、「皇帝が考案したような完璧な労働法制を誇る民主国家は他にありません」と述べました。

1897 年 6 月、ニコライ 2 世皇帝は、日曜日と祝日に工場やその他の企業で働くことを禁止する法令を発布しました。

国産品の価格は世界で最も安かった。ニコライ 2 世の治世中、国の予算はほぼ 3 倍に増加しました。

1897 年の通貨改革中に金本位制が採用された結果、ルーブルは大幅に強くなりました。同国の財務大臣セルゲイ・ヴィッテによれば、「ロシアが金貨を導入したのは、皇帝ニコライ2世のおかげだけだ」という。

1894年から1914年の間に、貯蓄銀行の世帯預金額は7倍に増加した。小規模金融機関に預けられた預金と株式の額は17倍に増加した。1895年から1915年の間に、株式会社商業銀行への預金は13倍に増加した。

義務教育の初等教育の根拠は1908年に確立され、1925年から1926年までに100%の識字率を達成することを目指した。1916年までに、識字率の高いロシア人の割合は1897年の21.1%から56%へと2倍以上に増加した。

1900年代初頭には、無料の医療が導入された。すべてのロシア国民は無料の医療を受ける権利があり、徹底的な健康診断とそれに続く詳細な診察を受けた。 「ロシアの市町村医療制度は、誰でも無料で医療を受けられるだけでなく、意識向上にも大きな価値があり、社会医療の分野では現代最大の成果である」とスイスのフリードリヒ・エリスマン教授は書いている。ロシアは資格のある医師の数でヨーロッパ第2位、世界第3位だった。

産業は急速に成長し、1890年から1913年の間に国内総生産は4倍に増加した。20年以内に石炭採掘は500%、鉄精錬は400%増加した。銅とマンガンの採掘は同時期に500%増加した。エンジニアリング工場への投資資本は1911年から1914年の間に80%増加した。鉄道と電信線の総延長は20年以内に2倍になった。ロシアの河川船も2倍になった。産業は急速に機械化されていった。 1901年、ロシアの原油生産量は1212万トン、米国の992万トンを上回った。1908年から1913年にかけて、労働効率の伸びは、世界トップの産業大国である米国、ドイツ、英国の伸びを上回った。ニコライ2世の活動は、経済の著しい安定をもたらした。

(ここまで)

聖書によると、ユダ族の子孫が王家を継承する。

創世記 49:10
つえはユダを離れず、
立法者のつえはその足の間を離れることなく、
シロの来る時までに及ぶであろう。
もろもろの民は彼に従う。

民数記 24:17
わたしには彼が見える。しかし、今はいない。彼を仰いでいる。しかし、間近にではない。ひとつの星がヤコブから進み出る。ひとつの笏がイスラエルから立ち上がりモアブのこめかみを打ち砕きシェトのすべての子らの頭の頂を砕く。

星、王笏という言葉を聞くと、これらは王権に関連する言葉です。実際、これより前の創世記 49:10 とユダ族への約束には、ユダから王笏が来るという描写があります。それは王の描写です。そしてそれは、バラムがヤコブから王が出て、イスラエルから王が立ち上がるという最後の預言である民数記 24:17 で語っているのと同じ描写です。
When you hear those words—star, scepter—these are words that relate to kingship. In fact, before this, Genesis 49:10, and promises to the tribe of Judah. We see a picture of a scepter coming from Judah, and it’s a picture of a king. And that’s the same picture we have here in Balaam’s final oracle here in Numbers 24:17 when he’s talking about a king coming out of Jacob and a king rising out of Israel.

下を解釈すると、イエスは誰か他の者に王の権威を授ける。

ヨハネの黙示録 2:26-28
勝利を得る者に、わたしの業を終わりまで守り続ける者に、わたしは、諸国の民の上に立つ権威を授けよう。 彼は鉄の杖をもって彼らを治める、土の器を打ち砕くように。同じように、わたしも父からその権威を受けたのである。勝利を得る者に、わたしも明けの明星を与える。

ヨハネの黙示録 19・16
この方の衣と腿のあたりには、「王の王、主の主」という名が記されていた。

『歴史の終わり』(The End of History and the Last Man)は、アメリカ合衆国の政治経済学者フランシス・フクヤマの著作。1989年にナショナル・インタレストに発表した論文「歴史の終わり?」からさらに具体的に考察したものであり、1992年にFree Press社から出版された。

「歴史の終わり」とは、国際社会において民主主義と自由経済が最終的に勝利し、それからは社会制度の発展が終結し、社会の平和と自由と安定を無期限に維持するという仮説である。民主政治が政治体制の最終形態であり、安定した政治体制が構築されるため、政治体制を破壊するほどの戦争やクーデターのような歴史的大事件はもはや生じなくなる。そのため、この状況を「歴史の終わり」と呼ぶ。

(ここまで)

>聖書によれば、理想的な政治制度は、神が預言者を通して王を選ぶ君主制です。

果たして「民主主義と自由経済」が理想的でしょうか。現実は、多数派である「バカ、ビンボー」の民が主になることはありえない。実際は、エリートがメディアを使った「洗脳」によって支配する制度というのが実感ですけど。

彼ら超エリートは、対立する両サイドを操って、彼らが望むように誘導する。「民主、人権、平等」のヒューマニズム(神を否定して、超エリートがこの世の神として支配すること)は、現実には地獄なのはみなさん経験しているはず。

Controlled Opposition といいます。

情報は支配されて操作されています。

CIAのモッキンバード作戦

何故か中国が詳しく解説しています。中国はロックフェラー系ですけど。それはともかく・・

冷戦時代、米中央情報局(CIA)は世界中の記者や機関を買収して情報を収集し、メディアを操作することで社会世論に影響を及ぼすことを目指す「モッキンバード作戦」を始動した。

1977年にその内情を暴いた米国の著名なジャーナリストであるカール・バーンスタイン氏によると、CIAは情報を有償提供する記者を多数募集したうえ、「フェイクニュース」をでっち上げるようそそのかした。CIAは以前、「モッキンバード作戦」で少なくとも世界の400人の記者と25の大規模組織を買収したことを認めた。

今日に至ってもなおCIAは世論の監視と操作を目的に、この卑劣な手段を用いている。米国政府にとっては、ニュースの真実性には全く価値がなく、メディアはその覇権維持のための道具に過ぎないのだ。(編集NA)

(ここまで)

中国もCIAと同じような世論操作をして、さらに言論検閲をやってる。世界の超エリートにとって、中国が、ひとつの世界、ひとつの政府の共産主義という理想モデルだろう。

世界経済フォーラムの「 Welcometo2030 (2030年へようこそ)」では、「 2030年の私は何も所有しておらず、プライバシーもありません。そして人生はかつてないほど良くなっています」という世界を思い描いています。

王権神授説(divine right of kings, divine right, God's mandate)または神授王権とは、「王権は神から付与されたものであり、王は神に対してのみ責任を負い、また王権は人民はもとよりローマ教皇や神聖ローマ皇帝も含めた神以外の何人によっても拘束されることがなく、国王のなすことに対しては人民はなんら反抗できない」とする政治思想のことである。

私は「政治学」は論じる能力がないので、単純な考えで書くと、現代世界に合わせた「王権神授説」のほうが、今のイカサマの民主制よりも可能性があると思います。

>18世紀後半には啓蒙思想の中でロックやルソーによって唱えられた社会契約説が近代的な権力を支える理念とされるようになり、王権神授説は消滅した。

この理想論(現実論?)も終わってますので、神を崇拝して信仰に基づく世界を築くほうがいいでしょう。でもそれは「神が決める」ことなので、今のまま人類の滅亡を神が決めているなら、どうせ助かりません。

詩編 67:4-5
神よ、すべての民が
あなたに感謝をささげますように。
すべての民が、こぞって
あなたに感謝をささげますように。
諸国の民が喜び祝い、喜び歌いますように
あなたがすべての民を公平に裁き
この地において諸国の民を導かれることを。

ヒューマニズムを特集した記事があるので、ここに入れます。

ヒューマニズムがさらに「トランス・ヒューマニズム」に展開しているのが現実です。要するに「人間機械論」である。これでは印象が正反対になります。

ヒューマニズムはどこへ向かうのか?それは自己を神格化し、公言とは裏腹に他者をますます軽視することにつながる。神がいないのであれば、神の代わりに自己を崇拝しなければならないからだ。自己を神格化することで、ヒューマニズムは実際には神以外のほとんどすべてを神格化している。

テクノクラティック・グローバリスト・トランスヒューマニストのアジェンダの一部は、地球上のすべての生命をデジタル化することです。
彼らは人間を廃止したいと考えています。なぜなら、最初の計画は、トランスヒューマニストの夢に従って人類を改変し、その後人間を段階的に排除することです。これはポストヒューマン時代と呼ばれます。


これは「イエスの子孫がフランスのメロヴィング朝」に入った、という「説」を考察したもの。

私の妄想?は、ヨーロッパの王族に入っているイエスの子孫が、いつか「神の王国」を地上でも実現する可能性です。

クローヴィスの洗礼
Baptism of Clovis, 496 AD

God Chooses David to Be King

神はダビデを王として選ぶ

サウル王は神に背き、悪事を働いたので、神は彼を王として拒絶しました。そこで神はサムエルを遣わし、イスラエルの2番目の王としてダビデという名の若い羊飼いに油を注ぎました。

サウル王は良い王ではなく、神の律法を破りました。神は彼に非常に不快感を覚えました。そこで神はサムエルに、サウル王に代わる者を選んだと告げました。

神は言いました。「わたしはサウルを王として立てたことを非常に後悔している。彼はわたしに従うことをやめて、わたしの戒めを守らなかった。」

サムエルはこれを聞いて悲しみました。彼は一晩中泣き叫び、神に呼びかけました。彼は神が考えを変えてくださることを望みました(サムエル記上15:11)。

しかし神は自分の民にとって何が最善かを知っていました。それでサムエルは翌朝早く起きてサウルのもとへ行き、彼の罪のせいで神がイスラエル王国を彼から取り去ろうとしていると告げました。

それからサムエルはラマの自宅に戻り、サウルはギブアの自宅に戻りました。サムエルは二度とサウルに会いに行かなかった。しかし、サムエルは依然としてサウルのために嘆き続けていた。

ベツレヘムへ行く
神はサムエルに言われた。「いつまでサウルのために嘆くのか。私は彼を拒絶した。ベツレヘムのエッサイのところへ行きなさい。私は彼の息子たちの中に王を見つけたのだ。」 (この話はサムエル記上 16 章にあります。)

サムエルはそうすることに気が進まなかった。サムエルが他の誰かを王に任命したと聞いたら、サウルが自分を殺そうとするかもしれないと心配していた。神はサムエルに、雌牛を連れてベツレヘムにいて犠牲を捧げていると人々に告げるようにと告げた。

そこでサムエルは神の言ったとおりにした。エッサイとその息子たちを、自分と一緒に犠牲を捧げに来るように招いた。

その子ではない
サムエルはエッサイの息子たちを調べ始めた。彼は長男のエリアブから始めた。神はサムエルに内緒で、この子は自分が選んだ子ではないと告げた。

神はサムエルに言った。「彼の容姿や背の高さを見てはならない。わたしは彼を拒んだのだ。主は人の見るようには見ない。人は外見を見るが、主は心を見るのだ。」

エッサイは息子たちを一人ずつサムエルの前に呼びました。サムエルは7人の息子をサムエルの前に連れて行った後、神はこれらの若者たちを誰も選んでいないと告げました。

サムエルはエッサイに息子たちは全員いるのかと尋ねました。エッサイは言いました。「末のダビデが羊の番をしています。」そこでサムエルはエッサイに言いました。「彼を呼びなさい。彼が来るまで私たちは座りません。」

ダビデこそその人です
そこでエッサイはダビデを呼びました。そして神はサムエルに言いました。「立って、彼に油を注ぎなさい。これがその人です。」神はエッサイのすべての息子の中からダビデを選んだのです。

サムエルは油を取り、ダビデに油を注ぎました。その日から主の霊がダビデに臨みました。

神は、神に従う者に御霊をお与えになります。サウルは神に従うことを拒んだので、神はサウルから御霊を取り除かれました。サウルは神から出たものではない別の霊に悩まされるようになりました。サウルの家臣たちは、王がこの霊に悩まされているのを見て、「ハープ奏者を探しましょう。その人があなたのために音楽を奏でると、あなたは心が和み、気分がよくなるでしょう」と言いました。

ダビデはサウルに仕えます
サウルは家臣たちに、そのような人を探しに行くように言いました。家臣の一人が、ベツレヘムのエッサイにそのような息子がいると彼に告げました。「そして主は彼と共におられます」。

そこでサウルはエッサイに使者を送りました。彼は言いました。「羊のいるあなたの息子ダビデを私に送ってください。」エッサイはロバに食べ物の贈り物を積み、ダビデと共にサウルに送りました。

ダビデはサウルのもとに来て仕えました。サウルは彼をとても愛し、ダビデはサウルの武具を管理する者となりました。

煩わしい霊がサウルを悩ませているときはいつでも、ダビデはハープを弾きました。するとサウルは気分がよくなりました。

ついに王に
神がダビデを次の王に選んだとき、ダビデはまだ若かった。しかし神は、ダビデをサウルの代わりとして選んだ後も、サウルが数年間王の座に留まることを許した。サウルが死んだ後、ダビデはユダの王になった(サムエル記下 2:4)。

サウルの家族とイスラエルの北方部族は、神がダビデを選んだにもかかわらず、彼を王として受け入れることを拒否した。彼らはダビデと戦った。しかし神はダビデと共にあり、彼らの軍隊はついに敗北した。ダビデはイスラエル全体の王になった。

ダビデは若いときに王に任命されていたにもかかわらず、30歳のときに王として統治を開始した。彼は40年間王として統治した。

日本 the Kingdom of Japan

天皇制は、英国がキリスト教の原理を日本支配に使って、天皇を「現人神 あらひとがみ」にしたのだろうと想像します。そして戦後はヒューマニズムの米国が日本を支配したので、「天皇の人間宣言」となる。

天皇畏るべし 小室 直樹
「天皇は神聖にして侵すべからず」である。 そも「現人神」とは、如何なる神であるか。 イエス・キリストを想え。彼は完全な人であると同時に完全な神。 肉体は人間、本性は神。これぞ「現人神」ではないか。 神としての天皇はキリスト教に於ける神と著しく類似してくる。

「人間宣言」
私とあなたたち国民との間の絆は、いつもお互いの信頼と敬愛によって結ばれ、単なる神話と伝説とによって生まれたものではない。 天皇を神とし、または日本国民は他より優れた民族だとし、それで世界の支配者となる運命があるかのような架空の概念に基くものでもない。
The ties between Us and Our people have always stood on mutual trust and affection. They do not depend upon mere legends and myths. They are not predicated on the false conception that the Emperor is divine, and that the Japanese people are superior to other races and fated to rule the world.


私は天皇家がクリスチャンになればいいと思います。(願望)

実家である正田家は代々カトリックでした。父方の祖母であるきぬがまず1927年、27歳の時にカトリックの洗礼を受け、その夫の貞一郎(ていいちろう、日清製粉社長などを務めた)も49年、79歳の時にカトリック関口教会(東京カテドラル聖マリア大聖堂)で受洗しました。葬儀も東京・四谷のカトリック麹町教会(聖イグナチオ教会)で日清製粉会社社葬として執り行われています。父のあとを継いだ三男の英三郎が父親ですが、やはりカトリック信徒といわれています。母親の富美子も、聖路加国際病院で臨終の間際に洗礼を受けています。

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