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「卑弥呼」の母国は「邪馬壱国」。 常駐は「伊都国」の「糸島」

私の知識内にある「卑弥呼」は、『古事記』の「神世七代」内に五人います。神名を地形読みしますと、「卑弥呼」の母国である「邪馬壱国」は、「有明海」の満ち潮で溢れる「筑後川」低湿地の冠水浅瀬に「盛り土、溜め池、掘り割り」で干拓地を作り水田を作ると読める地形が出てきます。

そして、「卑弥呼」の誕生は、「邪馬壱国」倭王国を創設した、中国移民の「徐福と狗邪韓国王」の「徐福」船団が「倭国」内移住したことにより起こりました。

「徐福と狗邪韓国王」は、「倭国」を誕生させた「九州人国と狗邪韓国渡来人国」連合統一の「狗邪韓国渡来人国」を「狗邪韓国王」の下に従属すると共に連合内である「九州人国」も従属連合しました。

そして、「倭国倭王権」である「倭国統一三ヶ国盟主王連合」を「邪馬壱国」体制内に拘束軟禁し、国内体制内に成る「倭国統一三ヶ国盟主王連合」の倭王権を代行する倭王権を得て倭国を征服しました。


「卑弥呼」の誕生

「徐福」が代行した倭王権は、「徐福」の親族と思われる「卑弥呼」に委譲されました。「狗邪韓国王」が代行した倭王権は、「狗邪韓国渡来人国」盟主王である「斯馬国・伊万里地区王」に委譲されました。

この二つの委譲倭王権を統合する場所が、玄海灘面の「伊都国」の「糸島」です。「斯馬国・伊万里地区王」は、三官「(※)爾支、泄謨觚、柄渠觚」倭王権を組織して「糸島」に駐屯しました。
そこに、卑弥呼」を呼び集めて「卑弥呼」が倭王権の執行を行うのが建前であったようです。

「爾支、泄謨觚、柄渠觚」の母国
爾支 … 副弥奴国王(正弥奴国王は、邪馬壱国の官;伊支馬)。
泄謨觚 … 斯馬国・伊万里地区王(正は、斯馬国・北九十島地区の邪馬壱国の官;彌馬升)。
柄渠觚 … 副好古都国王(正好古都国王は、邪馬壱国の官;彌馬獲支)。
邪馬壱国の官四人目の奴佳鞮 … 徐福と共に倭国に移住した「狗邪韓国王」の子孫。 

しかし、九州島北面の「狗邪韓国渡来人国」全国(奴国王。伊都国、末盧国。烏奴国、躬臣国)が、「卑弥呼」の倭王権を代行した倭王権を実行しました。

それは、「斯馬国・伊万里地区王」が組織した「爾支、泄謨觚、柄渠觚」の代行倭王権者が、「卑弥呼」を拘束軟禁し、統一王の資格を持たない「奴国王。伊都国、末盧国。烏奴国、躬臣国」に対して「斯馬国・伊万里地区王」が代行倭王権の委譲を行ったからです。

そして、「卑弥呼」を拘束軟禁した六代目の倭王権を実行の於母陀流神(オモダルノカミ=烏奴国、躬臣国)」の時代に「邪馬壱国」が消滅して、

次の新王権体制である「伊耶那岐命、伊邪那美命」の「子淡道之穂之狭別島」が生まれました。


「魏志倭人伝」誕生の思い

「狗奴国」体制との戦争に負け戦の続く「邪馬壱国」倭王国体制内、倭王権執行王者駐屯地である「伊都国」の「糸島」内「爾支、泄謨觚、柄渠觚、卑弥呼」内の「泄謨觚(斯馬国・伊万里地区王)」が、「卑弥呼」名で中国王朝の「魏」に救援の使いを出しました。

「魏」から使者が「倭国」内の「末盧国」に着いた時、「魏」の使者は、隣国の「伊都国」に行くために獣道を歩かされて「伊都国」の「糸島」に着きました(使者が感じる方角と距離を不明にする為)。

そして、「魏」の使者は「伊都国」の「糸島」内に留められました(軟禁状態)。「糸島」内となった使者と「斯馬国・伊万里地区王」が会談をして「倭国」内の説明を「魏」の使者が文書にしましたが、
これは、中国王朝と「倭国」内王権の正式交渉記録になり、中国王朝記録に保管されたと想像します。

後年この記録を参照して「陳寿」が、「魏志倭人伝」を編集したと想像しますが、ここで、中国王朝と韓半島の国々の関係を思い出していただきたいんです。

韓半島の国々は歴史始まって以来、中国王朝の従属国です。韓半島先端の「狗邪韓国」もその仲間で、「狗邪韓国」から「倭国」に移住した「狗邪韓国渡来人国」人も、その感情を持っていると想像します。現代の「韓半島人」からも容易に想像が付きます。

そんな「狗邪韓国渡来人国」人が、何時侵攻してくるかも知れない中国王朝関連の「魏」の使者に「倭国」内の「地理や国々の位置、国の大きさ、方角」を正確に教えるでしょうかということです。偽りを教えたと考えます。

「南、東南、」の意味を簡単に書きます。
(結論は、倭国統一王権を持つ国王が存在している国と言うことです)
〇「不弥国(博多湾内の能古島、志賀島、玄界島)」内の「志賀島」より “「南、投馬国に至る。水行二十日なり。官は弥弥と曰ひ、副は弥弥那利と曰ふ”
この際の「南」の意味は、
「邪馬壱国」倭王国を征服した「狗奴国王」(狗古智卑狗、卑弥弓呼、弥弥と出世名を名乗る)の「弥弥と弥弥那利」が駐屯している国です。

「弥弥那利」は、「倭国」倭王権を持って「邪馬壱国」に軟禁されていた「倭国統一三ヶ国盟主王連合」組織ですが、「狗奴国王」に統合されて「投馬国」内にいます。

〇「投馬国」から”「南、邪馬壱国に至る。女王の都とする所なり。水行十日、陸行一月なり”
(実際の方角は、北ですが)この時期の「邪馬壱国」は、「弥弥、弥弥那利」体制内に組織化されておらず、「邪馬壱国」内には、母国王兼倭国王である「台与」と「奴佳諟(狗邪韓国王の子孫)」の倭王権者が存在していました。

※『古事記』文内で「於能碁呂島(筑紫平野の邪馬壱国)」を「弥弥、弥弥那利」体制内に組織化した際に「伊耶那岐命、伊邪那美命」が生まれました。

〇二度目の「奴国」の「南」に「狗奴国」…
「倭国」内は、基本的に「橘湾、八代海、島原湾、有明海」を中心にして反時計回りに国々が並んでいます。国々並びの筑紫平野内「烏奴国」の次は玄海灘に戻って「奴国」になります。

この「奴国」の「南(倭王国)」が「弥弥」の「狗奴国」になります。

〇「東行し、不弥国に至る。百里なり
「奴国」から東行は、「奴国」内の「博多湾」湾水出入り口で「東(戸)」の意味になります。「能古島、志賀島、玄界島」の「不弥国」は、「邪馬壱国」所属の飛び地国になっています。「邪馬壱国」が独自の大陸交易に利用したようです。

〇「東南」文字の「南」は、「斯馬国・伊万里地区王」体制の「爾支、泄謨觚、柄渠觚、卑弥呼」の倭王権者がいるということと、「東」は、「邪馬壱国」倭王国の出先機関であるということです。


上記想定の中で、「卑弥呼」についてはどうでしょうか。

「魏志倭人伝」文章内に 
(都合の良いところを引き抜きました) “「王となりてより以来、見(けん)有る者少し。婢千人を以(もち)ひ、自ずから侍る。ただ、男子一人有りて、飲食を給し、辞を伝へ、居所に出入りす。宮室、楼観の城柵は厳く設け、常に人有りて、兵を持ち守衛す」“

どうも王権を振るっている人物とは思えません。拘束軟禁状態です。この状態の「卑弥呼」を「狗邪韓国渡来人国」人が、自分達のイメージする「女王」像を冠して「魏」の使者に伝えたと思われます。

この状況は、「魏」の救援を待ち望む「倭女王国」体制で、「伊耶那岐命、伊邪那美命」が生まれる直前ですから『古事記・神世七代』の神名では、
六代目の「於母陀流神(オモダルノカミ=烏奴国、躬臣国)」になります。「卑弥呼」は、「妹(補助倭王)阿夜訶志古泥神(イモアヤカシコネノカミ)と記された時代です。


「神世七代」内の「卑弥呼」を中心に地形読みしました

1,国之常立神(クニノトコタチノカミ=奴国王)…地形読み結果の簡略
「博多湾、唐津湾」面の「奴国、伊都国、末盧国」を「奴国」が集めて、筑紫平野内の「烏奴国、躬臣国」も集め、「伊都国」の「糸島」内に駐屯した三官「爾支、泄謨觚、柄渠觚」内に集まった「卑弥呼」を「三官」内に軟禁し、「卑弥呼」の倭王権を代行した「奴国王」。

2,豊雲野神(トヨクモノノカミ=卑弥呼)…地形読み結果の簡略。
「倭国」内に集まった「大半島(佐賀県と長崎県が入る)」と内陸の接合間に交わり「有明海、筑後川」が集まる、「有明海、筑後川」の「有明海」に満ち潮が集まり、
「筑後川」面を冠水内に集めた、冠水低地内に「盛り土、溜め池、掘り割り」工事をして水田干拓地をつなげきった。

3,宇比地邇神(ウヒヂニノカミ=卑弥呼)…地形読み結果の簡略
「倭国」内に交わった「大半島、内陸」間につながりきり「有明海、筑後川」がつながりきる、
「有明海、筑後川」内の「有明海」につながりきった満ち潮が「筑後川」内につながりきり冠水を集めた冠水浅瀬面に集めて、
「盛り土、溜め池、掘り割り」工事で水田干拓地をつなげきった。

4,次に角杙神(ツノグヒノカミ=伊都国、末盧国)、次に妹(補助倭王)活杙神(イモイクグイノカミ=卑弥呼)二柱…地形読み結果の簡略
「倭国」内につながりきった「大半島、内陸」間に集まる「有明海、筑後川」内につながりきり低地が交わる、
低地内泥土大地が交わった窪地内に交わり「筑後川水」がつながりきる、「筑後川水」内に「有明海に集まった満ち潮が集まり、
満ち潮内となる冠水浅瀬ないにして、「盛り土、溜め池、掘り割り」工事をして水田干拓地をつなげきった

5,次に意富斗能地神(オホトノジノカミ=卑弥呼)、次に(副倭王)妹大斗乃辨神(イモオホトノベノカミ=烏奴国、躬臣国)二神…地形読み結果の簡略
「倭国」内に集まった「大半島、内陸」間に集まり「有明海、筑後川」が集まる、「有明海、筑後川」内の「有明海」に満ち潮が集まり、
「有明海、筑後川」内につながりきって「有明海」一面形状をつなげきる、「有明海」一面冠水内の浅瀬が集まった、
浅瀬内冠水大地内にして「盛り土、溜め池、掘り割り」工事をして水田開拓地をつなげきった。

6,次に於母陀流神(オモダルノカミ=烏奴国、躬臣国)、次に妹(補助倭王)阿夜訶志古泥神(イモアヤカシコネノカミ=卑弥呼)二神…地形読み結果の簡略
「倭国」内につながりきった「大半島、内陸」間に集まる「有明海、筑後川」内になった「有明海」内にして高潮が立体内になり「筑後川水」内につながりきって「筑後川」内に高潮が集まる、
高潮内となった「筑後川」面の冠水地に広がり冠水浅瀬を集める低地大地内にして、「盛り土、溜め池、掘り割り」工事をして水田開拓地をつなげきった。

7、次に伊邪那岐神(狗奴国王、倭国王)、次に妹伊邪那美神(消滅した邪馬壱国の台与、奴佳諟)。
※副倭王と書かれた「卑弥呼」は、「伊都国の糸島」内の三官〈爾支、泄謨觚、柄渠觚〉体制内に拘束軟禁されて、「卑弥呼」の持つ倭王権を「狗邪韓国渡来人国王」が代行している状態です。

(本文は、永瀬淳幸著「邪馬台国・倭国三十国」比定の「音形」読み、によります)

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