20世紀・マリファナ禁止の歴史 memo
パソコンを整理していたら、資料メモが出てきたので、備忘録としてアップします。参考になればと思います。
1914 ハリソン法(全米初の麻薬取締法)
1920 ニューヨークに「マリファナの部屋(売店兼喫煙室)」ができる。
1924 マリファナの「キラー・ウイード」(毒草)としての誤解がアメリカ南部を中心に広まる。
1929 16の州でマリファナが禁止される。「マリファナはメキシコのアヘンで、メキシコ人がよく使い、インディアンが栽培して売っているものである」(モンタナ州・スタンダード紙 「メキシコ人の麻薬中毒者、アメリカ人の赤ん坊を殺す。マリファナ中毒を自供」(コロラド州・デンバー・ポスト紙)
1930 連邦麻薬取締局(FBN)設立。連邦捜査局(FBI)も設立。
1931 ルイジアナ州で「マリファナ500本の所持」で有罪となる。「樹脂が出るから所持を禁止するというなら、ウイスキー等が出来るトウモロコシやブドウも所持を禁止せよ」との被告の訴えに対し、裁判長は「アルコールはマリファナより害が少ない」と答えた。
1932 統一麻薬法の制定。マリファナを麻薬として扱うかは各州の任意による。
1936 反マリファナ映画「ジョイント狂い(自分の子供たちに告げよ)」上映。
1937 アメリカ48州のうち46州がマリファナを禁止。マリファナ課税法制定。
1945 日本に対し「日本ニ於ケル麻薬品及ビソノ記録の統制に関する覚書」を公布。
1951 ボッグス法制定。「マリファナを吸えばヘロインを打つ」という踏み石論登場。
1956 麻薬取締法強化。(マリファナを麻薬と区別なしに、所持で2万ドル。密輸、密売は、初犯でも懲役5年以上) バージニア州では、1gの所持で懲役20年~40年。
1964 サンフランシスコでマリファナ解禁のための組織が設立。
1965 ベトナム戦争勃発。アメリカ兵はベトナム他のアジア各地で種々のドラッグを体験。マリファナは「対抗文化(カウンター・カルチャー)」のシンボルになる。マリファナ裁判の多発化。
1970 「総合的薬物乱用および統制に関する法律」成立。麻薬取締法、ボッグス法、課税法は撤廃。故ロバート・ケネディの長男と彼の従兄弟がマリファナで逮捕される。
1972 マリファナが学生間に浸透する。(下層階級から中流階級への広がり) サンフランシスコで軽犯罪化。「マリファナの害は知られる限り、極めて低い」(シェファー委員会の発表)
1973 オレゴン州、全米初のマリファナ所持の非犯罪化。
1975 アラスカ州、マリファナ所持の非犯罪化。インディアナ州、マリファナ所持を軽犯罪化。
1977 「個人の薬物所持に対する刑罰は、個人がその薬物を使うことによって被る損害を超えるものであってはならない」(カーター大統領)
カリフォルニア、コロラド、メイン、ミネソタ、ミシシッピー、オハイオ、オレゴン州で非犯罪化に・・・・・。
日本のマリファナ弾圧の歴史
1930 「麻薬取締規則」制定。(大麻は対象外。印度大麻草、その樹脂のみ)
1945 連合軍総司令部 「日本ニ於ケル麻薬品及ビ其ノ記録ノ統制ニ関スル覚書」を公布。ポツダム省令「麻薬原料植物の栽培、麻薬の製造、輸入及び輸出等禁止に関する件」を発布。
1947 ポツダム省令「大麻取締規則」制定。
1948 「大麻取締法」制定。
1963 「大麻取締法」5回目の改悪。罰金刑の選択がなくなり、すべて懲役刑に。
1970 ミュージカル「ヘアー」のプロデューサー、出演者、大麻取締法違反で起訴。
1971 ファッション・モデル麻生ユキ、マリファナ・パーティの疑いで逮捕される。
1973 ジェームス・ブラウン・バンドのDr、ジョン・トーマス、来日中に大麻所持で逮捕。
1975 フォーク歌手、南正人、マリファナ・パーティの疑いで逮捕。
1977 井上陽水の逮捕に続き、研ナオコ、内藤やす子、にしきのあきら、美川憲一等が次々に逮捕され、マリファナ論争に火がつく。
「大麻取締法そのものが憲法違反である」と京都の芥川さんが法廷で憲法論争。
1980 来日しようとしたP・マッカートニー、成田空港で大麻所持で逮捕。東京地検、「個人で吸う分には大目に見よう」と見解。
1984 ロス五輪水泳の3選手、大麻密輸、吸引で逮捕。
1985 警察官、大麻所持で逮捕される。日大歯学部学生、大麻所持で逮捕。厚生省、電子レンジで小鳥の餌を熱処理して、大麻の発芽防止。
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