「新しいことをしたい」という病 ―2020年1月24日

・ちょっと前の日記で書いたけどマジック・ザ・ギャザリングが好きです。最近はやれてないんですが、また時間ができたら是非触りたい。

・もちろんカードゲームとして普通に面白いんですが、作り手側に凄みを感じている。マジック・ザ・ギャザリングのクリエイティブの偉い人にマーク・ローズウォーター(通称:マロー)という人がいてこの人がすごい。

・何がすごいって、開発者としてのブログ記事みたいなものをめちゃくちゃ更新してる。まずそれをずっと続けてるのもすごい。noteをやってる今となって初めてわかる。

・で、マジック・ザ・ギャザリングってトレーディングカードゲームの祖というか、めちゃくちゃ老舗のカードゲームで世界観とかもすごくファンタジーなんですね。ドラゴンとか魔道士とかいっぱい出てくる感じの。

・そんなファンタジー全開の世界観なのに、開発ブログで「今回の新弾はマーケティングでみんなが好きなファンタジー世界を探って、それをカードに落とし込もうというところから始まった」みたいなことを普通に言っちゃう。そんなのいいの?! 身内向けに公開とかじゃなくて、なんなら公式サイトにそのブログ載ってるのよ?! 普通はそういうこと避けない?! 老舗よ?!

・さらに振り返りみたいな記事もあって「今回は売上がイマイチだった。理由はこういうことが考えられる」とか「このカードを作ったのは失敗だった。本来はこういう想定をしていた」とか「我々はこういう風なチームで、こういう基準で意思決定をしていて、こういう風にカードを作っている」とか言ってる。いいの?!?! 本当に?!? すげえな!!

・僕が1番衝撃を受けたのは「マジック・ザ・ギャザリングのカードデザイン空間は有限」という旨の発言だ。要は「やれることには限りあるよ」というのをはっきり言ってしまっている。

・すごくないですか? 「マジック・ザ・ギャザリングの可能性は無限だ!」みたいに適当な当たり障りないこと言うのが普通じゃないですか? それ言っていいんだ、と衝撃を受けたし、そこまで俯瞰で物事を正確に見れることに驚いた。

・自分の立場に置き換えるとなかなか言えない。「WEB記事でやれることには限界がある」「笑いで表現できることは有限だ」、言えます? どっちもそれを辞める時の言い草じゃん。今後もそれを続けていく前提、愛を持った状態で、そのセリフ言えます? お客さんが見てるのよ? 普通言えないよ。すごいぜマロー。

・逆に、マジック・ザ・ギャザリングを信じてるんだろうなと思う。有限であることは認めながら、それでもなお楽しい経験を作っていけると信じていて自信があるからそれを言えるんだと思う。

・そのクリエイターとしての圧倒的な正しさにかなり衝撃を受けて、自分もそうありたいと思った。

・思えば世の中に無限の創作ジャンルなんてない。どんなジャンルだろうと有限だと思う。そこを諦めとか冷笑じゃなく真摯に受け止めたい。人は自分の好きなものに「無限の可能性がある」と信じてしまう。時に人生に例えてみたり宇宙に例えてみたり、自由度やクリエイティビティを誇る。だが、必ず有限だ。そこを認めるのは勇気がいることだと思う。

・よく無闇に「なにか新しいことしたい」という人がいて、それはそれで正しい危機感だとも思うが、ちゃんとクリエイティブの有限性を理解していないと危険だと思う。

・前と同じコンセプトをとにかく忌避していけば、待っているのは行き止まりだけだ。その創作ジャンルの枠で闘う以上は、全く新しいコンセプトというものに限りがあることは理解すべきだ。

・真に新しいことがしたいなら、創作の枠を変えるしかない。そのジャンルから全然違うところに向かっていかなければならない。そのジャンルを食い尽くしたらまた別のジャンル、そこを食い尽くしたまた別のジャンルと渡っていくしかない。

・だが、全く別のジャンルで同じ様に結果が出せるほど甘くはない。新しい何かのジャンルが生まれる時、そこにはそのムーブメントを全身に浴びて突き進む若者がいる。彼らは「何か新しいことがしたい」なんていう不純な動機で動いていない。「これをやりたい」という純たるクリエイティブの動機で動く、その文化のネイティブ達だ。勝てるわけがない。多くの「何か新しいことがしたい」病の人達は、かつてその立場で勝ってきた人達なのだから。若い頃の自分がそういう大人を打ち倒してきたように、今度は自分が打ち倒される側になる。それだけだ。

・「成功体験を追うのが嫌い」と新しいことしたい病の人達は言うが、彼らの多くは新しいことで勝ってきていて、その成功体験を追いたいだけだ。自分の感覚含めて、俯瞰で見る必要がある。

・自分の好きなものを有限だと認めて、新しいことが本当に必要なのか見つめ直すべきだ。新しいことに逃げようとしているだけではないか? 常に自問しよう。


・これで無料記事は終わりだと思って、最後の最後にこっ恥ずかしいクリエイティブ論をぶちあげてしまった。

・クリエイター気取りかよ、と思われると恥ずかしいのでこの際だから言わせてもらうと、もちろん僕は自分をそんな風に思ってないし、「クリエイター」を別種の生き物のように語る人間を糞だと思ってる。「経営者」とかもそうだ。

・広義で見たら、僕は両方の役職に当てはまるのかもしれないが、それで「クリエイターとは」「経営者とは」みたいに語ることを絶対にしたくない。

・自分に制約を与えるだけだし、そんなのただの役職に過ぎないから。自分を鼓舞する意味はあったとしてもそんな風に「一般人」と切り分けて語るような奴は大体はただのイキリ野郎だ。

・役職は後からついた結果でしかない。その役職ありきで、まるで自分が別種の高等生物のように物を語るようなことは詭弁としても程度が低い。僕は詭弁と自己弁護を駆使するタイプだが、もし自分がそんなことを言い出したら殺して欲しい。刺し殺してくれ。願わくば、この記事含む日々のnoteがそのナイフとなることを祈るが、本物のナイフでも大丈夫。受け容れる。それぐらい自分にとっては嫌悪すべきことだ。


・そういう風に因果が逆なことが世の中多い。その立場についたからと言って業務上必要ない部分でもそのように振る舞うのは役職に振り回されている。もっというとただの言葉に振り回されている。


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・この質問もそうだ。因果が逆だ。言葉に振り回されている。興が乗ってきたから更に質問にも答えちゃお。

・いや、でも、ちょっと待ってくれ。この質問ってこのご時世大丈夫なのか? ヘテロを対象とし過ぎた質問じゃないか? 俺の中のネットリテラシーくん(蛍光グリーンのポロシャツを着た細身の男性)が警鐘をフルスイングしている。

・「恋愛対象の性との」ぐらいに言い換えた方がいい? いや、でもそれだとバイセクシャルの人はどうなる? 「バイセクシャルの人は友達ができますか?」という質問になってしまわないか? そんなバカな。あーー、もうどうすればいいんだ!

・一旦もうこの際、そのへんのことには目を瞑って、従来通りのこの質問の意図として答える感じで大丈夫かな?! ねえ、ネットリテラシーくん!

・コクリ…(蛍光パープルのポロシャツを着た細身の男性が無言で頷く)

・着替えるな!!!



・えーと、まず友情の定義をどこに置くかだけど、質問の意図からして「恋愛や金銭を目的としない交友関係」と置くことは恐らく確定でしょう。

・で、さらに「永続的に続く前提の関係」みたいなものが含まれてる気がするんだよな。だってそうじゃなきゃ、どっちかが好きになる前にグループでどこかに遊びに行く、とかって普通に友情だもんね? 友情成立しちゃってるもんね? それすらないとは流石に言わないもんね?

・でもそういう「永続的に続く前提の関係」って、よく考えたら同性同士でも無理じゃないですか? 人間関係、何が原因でいつ終わるかなんて誰にもわからないですよ。もし、永続的に続くことが条件ならこの世に友情なんてないことになる。

・だから、男女間の友情は成立するが、どちらかがどちらを好きになる(恋愛目的になる)と、友情の定義から外れるので、友情の終了条件が同性より多い。つまり異性間は友情が終わりやすい、が正しい認識だと思う。

・でもこの質問をした人は、そんな定義がどうとか聞きたかったわけじゃないと思う。「何を言ってるんだこいつは」と思ってると思う。

・しかし、「友情」という言葉に振り回されてるのは質問者の方のほうだ。「友情」というモノがこの世に絶対的に存在するという前提で質問している。よく考えたらわかるように、人間が後から、とある関係性に「友情」と名付けただけだ。

・つまり「友情」にはきちんと定義がある。定義に沿ったただの状態を表す言葉でしかない。「友情」や「恋愛」の定義から外れて、他の何とも形容しがたい関係性も世の中にはあるはずだ。「友情」というものだけに特定の価値を見出して、定義を明らかにせずに質問するのは、明らかに因果が逆だ。この質問は「あなたにとっての友情とは何か」という逆質問で解決する話だ。逆に言えばそれでしか解決しない。ただの言葉遊びの話だ。

・いや、待てよ。というかこの質問、質問箱のbotじゃない? こんな質問、俺にしてくるか? 怪しいな。ネットリテラシーくん! これってbotかい?!

・コクリ…(メガネをかけた蛍光パープルのポロシャツを着た男性が無言で頷く)

・コンタクト外すな!!!!!

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