渋沢栄一を勉強したここ数ヶ月
渋沢栄一と最近縁があるなと、つくづく。
5月に東京に行った際、時間の隙間で行けるところを訪ねたところ、
飛鳥山公園を紹介されて、プラプラとしました。
あじさいが有名な公園と聞いて行ったのですが、
そこには、渋沢記念館がありました。
新札発行前だということで、
盛り上がっている雰囲気も感じることができました。
そして、新札が発行された後、
7月に富岡製糸場に訪れる機会がありました。
知っている人には、常識なんだろうけど、
富岡製糸場の建設に、渋沢栄一は、とってもかかわりのある人だと、初めて理解しました。
この富岡製糸場自体も、
富国強兵として教科書で習ったという記憶だったので、
軍事産業として、女子が駆り出されて、運営していたような誤解をしていましたが、
全くイメージの違うところでした。
フランス人が、日本の文化を尊重して設計したこと。
そして、女子の働く機会(社会進出を促す)を作る場所だったこと。
福利厚生を充実させていたこと
など、目からうろこでした。
そして、翌々日には、渋沢栄一の生家へ。
藍玉を作る家に生まれ、波乱万丈の人生を送ったことを理解しました。
徳島で生まれた私としては、藍玉(徳島ではすくもと呼ぶ)は馴染み深いものです。
そして、これをきっかけに、
渋沢栄一の「論語と算盤」を読むことにまりました。
これも、読んでみると、想像と全然違います。
令和の時代じゃないのかと思えるような時代背景。
明治の時代も、その後の時代も、
感覚はそんなに変わっていないことが良くわかりました。
そして、日本人なら、
商売の中に、昔から培ってきた倫理観を持てば良いという話。
そして、それを実践してきた方だったんですね、渋沢栄一って。
(女性関係以外は)
中小企業診断士として、師匠の話を聞くような感覚でした。
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