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魚、魚、魚。食い、飲み、歌い、踊り。

今日は事務局をしている患者団体の、第一回目の忘年会で、日のあるうちから酒を飲みました。花見会も忘年会も旅行も、対象者を変えて、年二回ずつ開催していて、その都度の準備は大変ですが、やってよかったと、毎回思います。本当に大変なのは、私より、もうひとりの事務局の木下くんですけどね。昨日の帰り際、同僚に「30歳も40歳も上の大勢の患者さんたちの前で、水俣病の現状を解説するなんて、そんなの、本当に緊張する」と本音をぽろり。「自分が引き受けると決めたんでしょう」と活を入れられました。きょう会場で一人で正面席に座ると胸が潰れそうで、でも、「誠実に」「一人ひとりに向けて」、と思って話し始めたら、ここ数日の緊張が初めてとけました。水俣病は、皆さんそれぞれの「自分の話」。真剣な顔を向けたり、大声で笑ったりする、一人ひとりの顔を見回すと、質問や意見を募るときの沈黙も、怖くない。その頃には頭の中に「どんど、こい!」という言葉が浮かんでいました。そう思わせてくれる患者さんたちの存在はすごいです。
患者さんたちは質問や意見を募っても、みんなの前では語りません。休憩に入って、一島一島、席を回りながら、それぞれの方から、話を聞きます。一人からグループまで、お相手の数も様々で、話の中身も、水俣病の症状の進行、暮らしの貧しさ、周囲からの差別、こどもの被害、補償の内容、老後の不安など、様々。
障害をもったこどもを抱えるお母さんは隣りにいる50代のこどもさんの手を握りながら生活の苦しさを語り、「この子を残しては死んでも死にきれません」と言います。
「近所の衆(し)から、水俣病患者でおって、旅行どん行ってて、ニセじゃち言われたけん、もうこういう場所には来ん方が良かかもしれんと思ったばってん、やっぱり来ました」という患者さんに、どうして答えたらいいか考えていたら、隣に座っていた長い運動経験をもつ患者さんが「なん、うったち(俺たち)が悪かことばしたかい、うったちのやっとることは、何も恥ずかしかことはなか!」と、喝を入れました。恥ずかしいと恥ずかしくないの間で、私はただオロオロとしているだけで、それが恥ずかしかったです。
「私は独り身だけど、施設に入るには月に10万円以上かかります。認定患者さんたちはあぎゃん良かサービスば受けて、私たち未認定は補償もなし、サービスもなし」という言葉。「足のしびれには何が効くですか」という言葉。「『温泉療養費支給申請書』の使い勝手はほんなこつ悪か。県の衆(し)は、田舎ん人間が使うちは、考えんで作らったばいね」という言葉。忘年会や花見会ではいつも、言葉が溢れています。

休憩時間に温泉に浸かったら、お風呂には水俣病の原因企業、チッソが作ったシャンプーにコンディショナーにボディーソープが。患者さんたちはそれで体を洗います。私たちの暮らしには、水俣には、いまもこの企業が、根付いているなぁ、と思います。

そして宴会の始まりです。魚、魚、魚。食い、飲み、歌い、踊り。
カラオケ大会では、「あたが歌わんば、誰も歌えんとばい」と言われ、お言葉に甘えて、今日も私がトップバッターでした。ステージに立ち、ちょっとだけ練習した「津軽海峡・冬景色」を選曲。「水俣の石川さゆりです」と言うとなぜか爆笑の渦で、大拍手の中、汗だくで歌い切りました。
私が歌っている間に、木下くんが患者さんの席へ入り、リクエストを聞いてまわります。次々に曲が入り皆さん歌われるのですが、男女問わず、患者さんたちの声の、低く太く美しいこと。味わい深いしゃがれ声に聞き惚れました。
お開きは、坂本九の「上を向いて歩こう」。曲にあわせて、障害をもつこどもさんのお母さんとチークダンスを踊っていると、お母さんの目から涙かぽろり。ぽろりぽろり。お母さんの心が伝わってくるようで。誰にいうともなく「また来ますけん」とおっしゃいました。
そして三日後にはまた、50人の患者さんたちとの忘年会。どんと、こい!とはやっぱり当日まで、思えないけど。
こうして、48年もの間、形を変えながら続いてきた団体。患者さんたちや支援者さんたち、先人の苦労を思いながら、三日後も、来年も、緊張しても、下手でもなんでも、この尊敬すべき人たちの中に、飛び込んでいきたいと思います。

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