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歌ば歌えば患者はいきいきしてくるな。歌はよかな

荒波の中、対岸の島へ行きました。前後左右上下に揺れる船で15キロ。大勢、待ってくれていました。島は人との距離が近い。一軒一軒回るときとは違って、大勢が集まるときにはその関係や密度が一層濃くなるように感じます。正直、カオスです。島で私は、患者さんたちから「あねさん」と呼ばれます。20代の半ばの頃、初めてこの島で高齢の女性からそう言われた時は驚きましたが、若い女性を呼ぶときに、使うそうです。

あっちからこっちからポンポンと飛んでくる、病気のこと、魚のこと、ひわいなこと、気候のこと、暮らしのこと、いろんな話に、一個一個、ポンポンと返します。この気軽な会話が難しくて、最近ようやく慣れてきた気がします。テーブルを回っていくと、高齢の女性が、「あねさん、すんまっせんな。せっかくあねさんが隣にいらしたのに、私は足ば伸ばして見苦しか、失礼か」と言われます。気にしないでくださいといって隣に腰掛けると、「いっつも足がしびれて、しびれてな。曲げられんと。水俣病やもね。仕方んなかよな、、、」とつぶやかれます。震える声で「私の仕事はですね、3月から11月いっぱい。こげん太か籠ば30個、海に仕掛くっとですたい。クロイオ、ブリ、ハマチ、ニシダイ、タコ。いろんな魚がかかっとですよ。もう何十年この仕事ばしよるかな」。この仕事をやめたことはありますかと聞くと、「やめまっせん」。「水俣病の激しかった時代は?」「やめまっせん」
以前に熊本県環境課の方たちが御所浦で水俣病の啓発をしたのを聞きました。そのときの説明で若い職員が「水俣湾の魚は汚染され、食べられなくなりました」と言ったのを、島の人たちが、「食べなかったことはなかったよね」と言いました。水俣病が起きたときもこの島の魚食の文化は変わりませんでした。妊婦は栄養をとるために余計に魚を食べて、こどもが産まれたら離乳食から刺し身を潰して食べさせました。以前に離乳食の内容に驚き、「食べるものがないから刺し身を与えていたのですか」と尋ねたとき、相手の方が静かに「栄養の、あるけんですよ」と言われ、島の人たちの知恵と自分の思い込みに顔から火が出る思いでした。脈々と受け継がれてきた魚食の文化。海が裏切った、というよりも、人間が裏切ったのですが、裏切られた島の人たちの多くが今も、漁業に従事し、魚をとり続けています。

「ばあちゃんは島の施設のショートステイに預けてね、一ヶ月7万も8万もするもんな」「こん負担は、どげんかならんものですかね、あねさん」という女性。
「大阪に住む弟はね、なんの補償の対象にもなっとらんもんね。今年のはじめに、なんじゃい水俣病の申請ばして、8月に黄色い手帳がきたばってん、弟宅は金がなくてね。固定電話も携帯電話もなんもなかけんが、熊本県からの連絡は、姉の私んところに来るとたいな。でも熊本県の人の言葉は訳くちゃ分からんと。こちらが分かっとらんちゅうことば、ちゃーんと分かって話しばしてくれんば、つまらんとばい。なんかあった時にゃ連絡すっけんが助けてくれんな」という女性。
「この団体の成り立ちば話す時間ばしっかりと作ってはいよ。おらぁ、この団体のことを、ちゃんとみんなに話したか。どげんやって患者たちが団体ば作って勉強して。そして、俺達の力になってくれたとは、大学ば出た頭んよか相思社の人間たちたい。相思社がなからんば、俺達はなかったっばい」という男性。でもでも、患者さんたちの強い思いがなければ、それこそ、相思社は、なかったと思います。「常に考えとるけん、いざというときに話が出てくる。あたも、毎日毎日、ちゃんと考えとかんばいかんよ」という言葉に背筋がシャンと伸びました。
「私はね、もう50年、鍼灸師をしております。10年前にこの島に帰ってきて、島のためにと尽くしてきたけど、もう80代も半ばです。この島の人たちは、金が払われん人もおらすし、私もあと何年かわからんけれど、この島のために来年も尽くしていこうと思います」と抱負を述べる患者さんは、「あねさん、肩が凝っとっとじゃないですか。こん仕事も大変でしょう。どれ」といって、私の手を取り、手首から、腕から、肩まで、ほぐしてくれました。その手の、温かく柔らかいこと。つい、うとうとしてしまいました。

一次会がしまり、カラオケ大会です。隣に座った患者さんが「歌ば歌えば患者はいきいきしてくるな。歌はよかな」と言いました。そう言ったのも、患者さん。鍼灸をして患者さんを癒やすのも、患者さん。医療や福祉に従事する患者さんたちもいます。手がしびれる中、点滴の針を刺すのに何度もチャレンジする必要があるという看護師さんからの相談を聞いたときには、本当、大変だろうと思いました。患者さんに溢れたこの島では課題もいろいろありますが、いまも暮らしが続いています。一ヶ月か二ヶ月に一度だけれど、これからも通い、学んでいこうと思います。

※この島では、毛髪水銀値920ppmの女性が発見されています。日本人女性の平均は、1.6ppmですから、およそ600倍です。しかし、この島の人達は、チッソ水俣工場の排水が水俣湾や不知火海を汚染してもなお、そのことを知らされず、安全だと言われ、魚をとり続け、食べ続け、水俣病になったのです。水俣病であることを申請しようとすると、役場や漁協に止められました。漁業の島から患者を出しちゃならん、と。

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