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水俣病歴史考証館

水俣病多発地から丘を少し登ったところに水俣病歴史考証館があります。眼下には不知火海がゆったりとたたずんでいます。半世紀ほど 前、不知火海に面した漁村に得体の知れない病気が発生しました。病に冒された人々は近隣の人々のさげすみの目を避けるようにひっそりと暮らしていました。 なぜ、ただ魚を食べた人々が理不尽な苦しみを強いられなければならなかったのでしょうか。

水俣病は、チッソ水俣工場がメチル水銀を含む排水を36年間にわたって水俣湾に流したため、不知火海沿岸で魚介類を食べ続けた人々に発生した大規模な有機水銀中毒事件です。 しかし水俣病事件は一企業の犯罪にはとどまりません。便利で豊かな生活を追い求めるという、ごく当たり前とされる行為が歴史の必然として産み落とした事件でした。水俣病患者は歴史の、人間の欲望の犠牲者だったのです。
半世紀を経た今も人々は便利さ・豊かさという呪縛から解き放たれてはいません。水俣病事件は人間のあり方を根元的に問い続けています。水俣病事件の真実と意味を明らかにすることは人類の未来にとって重要な意味があります。 水俣病歴史考証館はそのために努力を続けています。

水俣病歴史考証館は、水俣病事件を永く私たちの記憶にとどめ、水俣病の経験を出発点として社会のあり方を考えるために水俣病センター相思社によって1988年に設立されました。

実際に使っていたもの、 被害者から譲り受けたものを中心に展示を構成しています。不知火海の自然と暮らし、水俣病の被害や患者の闘い、チッソ・行政による加害行為などを記録し展示しています。


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