見出し画像

取り下げ書、送りますよ(熊本県とのやり取り①)

水俣病患者のAさんから連絡がありました。3年前、「私を水俣病と認めて」と熊本県に被害を訴え、認定申請をした人です。Aさんの水俣病症状は一年前から、重くなりました。それに伴って呼吸が苦しくなり、どこへ行くにも酸素が必要になり、障害者手帳を取るお手伝いをしたのがこの春のことでした。
行動範囲が狭まったAさんの症状は更に悪化していきました。「あんなに魚を食べたんだもん、こんなに体がきついんだもん。水俣病に間違いない。認められるまではと思って頑張ってきたけれど、人に会うことも外に出ることもつらい体になってしまった」。

そんなAさんのもとに、先日、熊本県のOさんから「県の職員が二名、疫学調査に行きます」と電話がありました。Aさんは何度か聞き直して、何度目かでようやく内容を理解しました。疫学調査というのは簡単に言うと、「どんなところで育って、どんな魚を食べて、どんな症状を持っているのかを調べていくこと」だそうです。
そして、Aさんのもとに難しい書類が送られてきたとき、Aさんの緊張と体調不良はピークに差し掛かっていました。
Aさんは、「熊本県の職員が何人も来て話を聞くそうです。あの人たちの言葉は、わからんとです。資料も難しかとです。わたしは今、具合が悪くて座るのもやっと。熊本県の職員が二人も三人も来て「疫学調査」するていう、耐えられるだけの力はなか。断りたいと思うけど、わたしからはとても断れません。難しかですもん。かわりに断ってもらえませんか?」と言います。

昼でも夜でも休みでも、携帯にお電話をいただいたり、お話したり、苦しい呼吸のAさんにゆっくりと話してもらううち、わたしたちには独特の時間の流れができました。一部始終を聞いてきて、今回の疫学調査は無理だなとわたしも思い、Aさんのかわりに熊本県水俣病審査課のOさんに電話をしました。
Aさんの名前、住所、電話、生年月日を伝え、「具合が悪いので今回の疫学調査はキャンセルしたいのですが。また具合が良くなったら連絡します」と言いました。
すると県職員のOさんは、「取り下げ書を送りましょうか」と言うのです。私は、Oさんが何を言っているのか分かりませんでした。それでもう一度、「どういう意味ですか?」と聞くと、「取り下げ書をお送りしますので、それに書き込んでいただいたら、申請自体をとりやめられます。お送りしますよ」と言われます。
私が「Aさんは申請の取り下げはなさいません」と言うと、「Aさんが申請を継続するという意思が確認できませんからお送りします」と言う。その繰り返しが続き、最終的にはAさんの意思を確認する、ということで終わりました。

この2年、私は毎月熊本県水俣病審査課から送られてくる「水俣病関連統計」という資料を読みながら、認定申請者からの申請取り下げの数が多いことが気になっていました。どうしてこんなに?という謎の答えが、今日、見えた気がしたのです。
Oさんの「取り下げ書、送りますよ」という言い方は、とても爽やかで、自然でした。つい「はい、お願いします」と言ってしまうような。

熊本県知事は、年に一度、水俣市が主催する水俣病犠牲者慰霊式での「祈りの言葉」の中で、「私の任期中に水俣病を解決する、認定申請者を処理する」と公言しています。彼のいう解決とは、「私を認めて」と手を挙げた人たちを棄却していくことです。
そして今回のように、取り下げへと誘導することも、解決への道でしょうか。

5年前の溝口秋生さんの最高裁判決後の記者会見で、蒲島知事は「システムの中でしか人は生きられない」といいました。人を救わず棄ててゆくシステムを、どう捉えたらいいのでしょうか。そのシステムからこぼれていくAさんたちを。そんなシステムを作っているわたしたちの社会を。
どうしたら変えられるんだろうかと思います。
例えば私が病気になったら、障害を持ったら、この社会を許し続けたら、明日は我が身だ。と、思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?