マガジンのカバー画像

ただ魚を食べた人たちのこと

14
不知火海で暮らし、魚を食べ、水俣病になった人たち。漁師さんや、行商さんや、農家さんや、木こりさんや、いろんなひとたちの言葉。被害や暮らし、家族、仕事のこと、聞いた話をそのままに。…
運営しているクリエイター

#行商

私が、私が、魚を、売った。食べさせた

昨日から、頭を離れない親子の話。昨年のおわり、相思社に来て、「話を聞いてくれるだけでいい」といい、語って帰った親子。1950-60年代、山間部に住みながら、水銀の汚染の濃厚だった不知火海で仕入れた魚を30キロの山手まで持ってゆき行商をしていた親。1950年代に生まれた障害をもった我が子。親が売った魚を食べつづけた近所の別の母親も、障害をもった子を産んだ。話の最後に「私たちが、売った魚が、誰かを苦しめているかと思うと…」といった子どもさんの言葉。その親子が、相良村の緒方俊一郎先