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ただ魚を食べた人たちのこと

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不知火海で暮らし、魚を食べ、水俣病になった人たち。漁師さんや、行商さんや、農家さんや、木こりさんや、いろんなひとたちの言葉。被害や暮らし、家族、仕事のこと、聞いた話をそのままに。…
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2019年7月の記事一覧

一人の男性が死にました

一人の男性が死んだ。最初の記憶は小学生の頃、眼の前の海で、家族みんなで魚をとったこと。きょうだい5人の中で、自分は特に釣りがうまく、褒められた。大きくなると父と一緒に、水俣市の百間まで行った。母は毎日、おいしい魚を食べさせた。同じ頃、父の手が震えはじめ、しばらくして父は死んだ。中学を卒業後、東京に出て仕事をした。 東京に出てすぐの頃から、手が父と同じようにして震えることが気になり始めた。細かい作業が困難だと気がついた。手足がしびれていて感覚が分からない。体がだるくて疲れやす

漁師ばしとります

雨のなか一人で、考証館当番をしていた。ひどい雨で、きっと今日は誰も来ないだろうなと思いながら事務棟の台所で片付けをしていると、玄関に人影があり、見ると背広を着た男性が立っていて、「やっと来ました」と言う。 とにかく招き入れ、台所に座ってもらい、お茶をいれて男性の対面に座った。どちらからですか、と尋ねると、男性はくぐもった声で、「天草からです。漁師ばしとります」とか、「新聞で知って、永野さんの本ば読みました」とか、「読むのが嫌だったです、でも全部読みました」とか、「来たい来たい