ゆるーく、行こう

 じつはながやん、とても後ろ向きでネガティブな人間である。そこそこ歳をとって「自分の甘やかし方」や「ダメっぷりの隠し方と吐き出し方」がこなれてきただけで、基本的にスナック感覚で地球滅びろくらい思ってるタイプの人間です。

 でも、友達は大好きだし、大事ですね。

 そんな訳で、今日はここ最近思ったことをつらつらと。因みに「若いからだよ」なんてことは言いたくないし、自分では老害だと自分を認めてても、友人知人にはそう思われたくないな。見栄っ張りなの、結構エーカッコシーなんですよ。
 そんな訳ででも、若いからこそ悩むし落ち込む、凹むことがある。
 歳を取ると、その余裕も感性も少なくなっていく印象はあります。
 逆に、実年齢より若々しい人は、そのへんがまだイキイキしてるのかもね。

 俺、コンプレックスの一つに「子供舌」ってのがあるのね。
 ながやんは、料理の良し悪しがわからない。美味しいものは美味しい、それはわかるけど、なにを食べても美味しいって思ってしまう。そして、美味しさに多様性があると感じられないタイプの人間なのね。
 松阪牛のステーキを食べた美味しいと、マックのダブルチーズバーガーを食べたと時の美味しい…この差が全くない。え、それっておかしくない?って思う方、結構いると思うけど、俺の神経を駆け巡る電気信号は、この両者共に一緒です。
 肉は、美味い。
 凄く美味しいけど、どっちも同じ美味しさというか…上手く伝わるかな?

 だから一時期、リアルで友達と飲み食いするのが結構苦手だった。一緒にラーメンを食べたり、お酒を飲んだりしても、味の話題に全く入っていけない。でも、味がわかってほしいから酒や料理を勧めてくれる。ありがたいけど、コメントできない。
 麺類や和食だと、ダシの文化がわからない。
 いいダシだとか、ダシが効いてるとか、さっぱりわからない。

 なんとなく、自分はものの良し悪しがわからない劣った人間な気がして、一時期凄い凹んでた。うちの両親も美食家傾向で(両親は目が見えない分、聴覚や嗅覚、そして味覚が鋭くなってるのもある)家族で外食しても俺しか美味しく食べられないこととか、結構あるしね。
 でも、それで一時期外食も億劫になったし、美食家様め!って思いもした。
 ただ、実はなんでもそうなんだけど、それが最終的な関係性、価値観の最終形態じゃないんだよね。生きてると価値観が激変することが何度もあるけど「これであなたのこのジャンルの価値観は完璧に固着して完成しました」ってことは、ほぼない。
 必ず次の変化が来る。
 人間関係もちょっと似てるよね。
 あの人とは切れた、縁を切った…でも、将来はなにがあるかわからない。バスに乗ってて事故にあった時、崖から落ちたバスの中の生存者がその人とあなただけかもしれない。

 そんな訳で、ながやんは食いしん坊だったけど、一時期本当に飯が嫌だった。みんな美味さの表現力が桁違いでさ。でも、今はまあ、そうでもない。なに食っても美味いのは、これは一つの才能かもしれないし、美味いを感じるパワーバンドが広いのはラッキーなことかもしれない。
 どんなジャンルのなんでもそう。
 人間は常に、自分の精神状態や経済状態、そして人間関係や周囲の環境に影響されている。自分で好きなものを、自分以上に他の要素が象っていることがあるのだ。
 だから、嫌いになったり嫌気がさしたりするの、いいんじゃないかな。
 そういう時は離れてみて、そのままどんどん無関心になるのもいい。別のいいものが見つかるかもしれないし、無理してなにかを好きでいる必要はない。
 そして、誰にでも必ず「離れてたけどまた近付く時」はやってくる。
 かもしれない。
 そのまま完全に興味を失い、なにも感じなくなることもあるだろう。
 それは喪失でもないし、あなたが悪い訳でもない。
 環境やタイミング、あと運が悪かっただけです。

 大事なのは「なにかを好きだと、自分が嬉しい」っていう基本に、時々立ち返ること。あなたはなにかを好きでいる義務もないし、好きなものを好きで居続ける必要もない。どうせまた縁があれば、なにかの機会に惚れ直せる、絶対にそういうのある。
 だから、自分が楽な方に、自分が楽しめる方に舵を切っていこう。
 因みにながやんの最近の楽しみは「三週間に一回のパッパの県立病院の日に、パッパが点滴してる間に鬼マックする」です。いやほんと、マックのダブチは最高やで!

はじめまして!東北でラノベ作家やってるおっさんです。ロボットアニメ等を中心に、ゆるーく楽しくヲタ活してます。よろしくお願いしますね~