ゲーマーながやんは面倒臭い奴

 今日はちょっと、ゲームの話。
 ながやん、ゲームで育ったゲーマー世代です。ファミコンの産声も、対戦格闘ゲームブームの隆盛と過渡期も、ギャルゲー誕生の瞬間も、次世代機戦争も、コンシューマのネトゲが始まったあたりも全部リアルタイムで見てきました。
 見てきたっていうか、その中でゲームしまくってた、遊んでた。
 頭も弱くて腕もへっぽこだけど、ながやんはゲームが好きでした。

 なんで過去形かっていうと、最近はなかなかまとまった時間が取れなくて。
 ゲームばっかしてられた学生時代って、よかったなーって思います。仲間も沢山いたし、俺にとってゲームは青春。あまり褒められたものじゃないかもだけど、俺なりに真剣に打ち込んだし、それだけの価値を感じた。
 今はゆるーく、ソシャゲを何個か遊んでます。
 あとは、世界樹の迷宮シリーズくらいかな。
 ハードを持ってないのもあって、とうとうスパロボとGジェネは追いかけられなくなったなあ。

 で、一応ゲーマーとしてですね…ながやんは運ゲーが嫌いなんです。
 運ゲー、つまり『運の要素が局所的に強過ぎるゲーム』が苦手です。
 それはゲームではなくて、ギャンブルです。
 俺って面倒臭い奴だなーって思うけど、話を聞いてください。

 今、アズールレーンとFGO、そして刀剣乱舞をやってます。アズールレーンは、これはわかる。シューティングゲームだから、自分の腕がまず必要。強い艦はガチャでなかなか出ないけど、弱い艦でもちゃんとゲームが成立する。
 昔の偉い人は言いました…『当たらなければどうということはない』ってね。
 対して、FGO…これは自分的には『運の要素しかない完全な運ゲー』でえす。
 FGO、好きなゲームなんですが、俺は二年くらいやってて完全にこじらせてしまった。シナリオとキャラクターは最高なのに、本当にただの運ゲーだと思うんです。…なんて書くと、人理を守るマスターさんたちはこう思いますよね?

『FGOにはサーヴァントや礼装等のシナジー、緻密な戦略や自分なりの攻略がある!』

 それはそうですね、そこは認めます。
 認めた上で言いますが、FGOって運ゲーなんですよ。
 何故なら、サーヴァントと礼装は全て、ガチャでしか手に入らないからです。ガチャは悪い文明、あれにはジンクスこそ数あれど、攻略法や技術、知識が入り込む要素はありませんよね?完全な運の世界ですよね、ガチャ。
 ゲームを遊ぶために必要なリソースは、全てガチャからしか手に入らない。
 いいサーヴァント、いい礼装を持ってる人、それを沢山持ってる人…それはズバリ『ただの運がいい人』です。そういう人は、幸運を掴んだ上で、手駒をアレコレ使いこなす選択肢がもらえるんですよ。逆に運が悪いと、貧弱な手駒で戦わざるを得ない。
 よく、低レア攻略とかしてる人がいて、凄いなと思います。格好いいですよ。でも、例えば低レアばかりでの攻略だと、リタイアしてやり直すことが増えないでしょうか。低レア攻略は薄氷を踏むような戦い、ちょっとした不運が致命傷になりませんか?
 アーツのカードが回ってこない、敵がクリティカルを出した、etc、etc…
 ガチャの運がよければ、そもそも低レアで苦労するメリットも基本ないですしね。

 刀剣乱舞も、そういう意味では俺の中で運ゲーです。ただ、あそこまでこざっぱりしてると、むしろゲームとは違う類のコンテンツなんじゃないかなと。戦闘は見てるだけのタイプのゲーム、これは自分の中で結構、なんでしょう…一種の『やりごたえ』が足りなくて、あまり好みではないのかもしれません。
 ゲームの良し悪し、優劣ではないんですよ。
 俺という個人の、一方的な主観による好き嫌いの話ですね。

 で、ちょっと思ったんですけど…ソシャゲって、結構運ゲーが多くないですか、と。勿論、アズールレーンみたいにがっつり操作するゲームもあるんです。一方で、アズールレーンもオート戦闘を搭載してて、見てるだけでも戦えます。そうなるとまた、完全に運ゲーでして。それでも、レベルや装備の相性、出撃する娘たちの相性や能力のシナジーなど、プレイヤーの介入できる余地は沢山ありますけどね。
 どうして、運ゲーがが多いのか。
 ちょっと考えてみたんですが、やはり『基本無料』と『課金で有利になれるよ』『課金してくれると運営側が儲かるよ』という、既存のカセットやCDを売るのとは違う媒体なのが大きいと思います。
 ながやん、課金は否定的でないどころか、いいゲームには課金したいと思ってます。そういう『基本は無料だがガチャで金を稼ぐ』というスタイルは、ゲームの新しいマーケティングスタイルとして既に定着した感がありますしね。

 ただ、そうなると当然ですが『無課金の人』と『課金した人』ができる訳です。で、運営側としては当たり前だけど『無課金の人よりも、課金した人を優遇したい』って訳ですね。課金した人が『無課金だけど凄腕プレイヤーってずるい!課金した私よりゲームが上手いから有利なの、ずるい!』って思うかなーって…そうなったら、運営側は困る。腕でなんとかなるなら、課金する必要がなくなるので。
 だから、ギャンブル要素を作ってプレイヤーの有利不利を曖昧にする。
 そして、課金でギャンブル要素を分のいい賭けにしてあげる。
 運良く、無課金でも強い人がでるかもしれない。
 運悪く、課金してるのに弱い人がでるかもしれない。
 でも、それは個人の運だからしょうがないよね、という論法がなりたつんです。そして、課金することで幸運を招きやすくする。でも、確実に招くようには滅多にしない。
 だから、ソシャゲは運ゲーが多いのかなと思いました。
 良し悪しとかではなく、あくまでそうかなあ、って。

 ただ、ギャンブルとゲームって全く違うものなんですよ。
 どんなゲームにも、必ず運の要素はあります。どんなに論理で組み立てても、ゲームから運の要素は消えません。それは事実です。でも、運だけでほぼ全てが決まるとすれば、それはゲームではなくギャンブルなんですよ。
 ゲームに大事なのは『プレイヤーの判断と、その成否』です。
 そこにプレイヤーの意思で分岐する未来、変化するものがなければゲームとは呼べないと思うんです。よく『ゲーム性』っていう、実にふわっとした単語を口にする人がいるじゃないですか。そのゲーム性ってつまり『プレイヤーが判断を下して、結果が出る過程の面白さ』なんだと思います。
 ギャンブルにも、勿論判断の瞬間は訪れます。
 でも、ギャンブルって判断のために思考する意味が、あんましなかったりするんですよね。じゃんけんで次になにを出すかなんて、ゲーム性がある訳じゃないでしょう。相手の持ってる情報のなにが、グーとチョキとパーを決めさせてるか…判断材料を持ったら、それは既にじゃんけんじゃない別の遊びですし。

 俺は最近、ゲームに癒やしと安らぎを求めてます。
 せめてゲームでくらい、楽して馬鹿勝ちしたいし、いい点数が出るまでリセットしてやり直したい。真剣勝負とかスリルとか、ワクワクとかは求めていないんですよね。
 ちゃんと準備して、勝つべくして勝つ。
 自分の気に入る結果じゃなかったら、スナック感覚でやり直す。
 そういうものを求めてる自分には、運ゲーは辛いですね。だって、運を鍛えることはできないし、幸運も不運も自動でセーブされちゃってやり直せない。運ゲーって、プレイヤーが頑張れることが少ないから苦手なんだと思います。
 今までずっと、プレイ時間と自分の腕だけ、知略だけでゲームしてきた。
 でも、運がなによりも重要なゲームだと、練習も思考も意味がないんですよね。運ありきのゲームでは『幸運のより活かすプレイ』と『不運ゆえの敗戦処理みたいなプレイ』しか生まれない気がして。

 でも、俺は今やってるゲームは全部楽しめてます。変な話ですけど、一時期ずっと『みんなが楽しそうにやってるのに、どうして俺はこのゲームをやると辛いことばかりなんだろう』って真剣に悩んでたんです。自分に欠陥があるように思えました。
 でも、運ゲーだと定義したら、凄く気持ちが楽になったんです。
 俺が劣ってる訳じゃない、俺の運が悪いだけなんだ、と。
 運は、はっきり言ってどうしようもないです。
 俺はパワーストーンもおまじないも信じてないので…ま、まあ、FGOでガチャ回す時はアレコレとジンクスを試したりもしましたけどね。今はもう悩まなくなって、本来の『一時の理想の娯楽』を満喫できてます。相変わらず『嫌ならやめろ』って声は聴こえてるんですけど、ハイやめます!っていつでも言えるんで。
 ただやっぱり、運ゲーは嫌だな、きっついなーとは思っているのでした(笑)

はじめまして!東北でラノベ作家やってるおっさんです。ロボットアニメ等を中心に、ゆるーく楽しくヲタ活してます。よろしくお願いしますね~