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私にしか書けない文章ってなんだろう。

私にしか書けないということは他の人には書けないということで、書いてくれないということで。唯一無二の、かけがえのないわが子。

自分だけのものを表現したいという気持ちはあるけれど、でもほんとうにそれが自分だけのものだったら、なぞって読んで、本来の性質を尊重されずに「理解った」と錯覚されてしまったら.......。

一度自分でかたちにした言葉の数々の意味を作るのは書き手ではなく読み手であって、彼らの自己解釈により誤解されまたかたちが整えられていくということはきっと言葉が芽生えた当初からあるものだし、自分も常日頃からそうしてしまっているけれど。

わが子が生まれた途端に自分の手から離れ、世の中の人に誤解されたまま新たな性質にかたち作られていく生きていくことになるとしたら。想像して、胸が痛むことがある。

同じ人間同士ですらあるがままを理解してもらえないのに、都度新たなコミュニケーションをとることのできない愛しいわが子がありのままの純粋な姿で受け入れられることがあるだろうか。

彼らが私以外の人々と出会い、その性質が何者かによってねじ曲げられた途端、彼らは私だけの文章ではなくなる。自己解釈の文章を書くことなんて誰にでもできちゃうから。

私のものは他人のもの。

私はそれが、たまらなくさみしい。

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