英語教育を考える(その③)
どうも、あさまんがです。いやぁ、レポートを出し終えた後の解放感ってすごいですね。オンライン授業で大学生になった実感が持ちづらいと思っていましたが、この瞬間だけはまさに「大学生」って感じがします。笑
さて、今回はALTという制度について「あさまんがの考える事」を書き連ねていきます。
ハッキリ言って、信憑性は足りないと思います。ソースのない主張ですからね。笑
今回はだいぶ経験談的な内容ですが、お付き合いいただければと思います。それでは早速、本題に入っていきましょう!
学校にいる、外国から来た先生
ALTってそもそも何の略なのか、そこから見ていきましょう。
ALTとは、Assistant Language Teacher(外国語指導助手)の略です。英語の発音であったり、異文化理解の機会を確保するための仕組みだという印象があります。
実際、僕が小学生の頃にも英語の「活動」にはALTの方は教室にいて、一緒にアクティビティを楽しんだり、つたない英語で話したりした記憶があります。
さて、「活動」とわざわざ鍵括弧を付けたところに、今回の記事のポイントが隠されています。果たして英語(及び外国語)が「教科」となった際にもALTの方々の立場は変わらないのでしょうか。
これまでは補助をすることが主な目的だったわけです。
でも、教科として英語を教える場合、教員に求められるのは点数をつけ、序列化しやすくすること。楽しむというより、評価する/されるの関係が作られることが予想されます。(僕の意見です)
異文化理解ができているか、具体的な数値で評価することは簡単ではありません。ALTは異文化理解のきっかけを与えつつ、その結果の評価を補助することができるかと問われても、簡単には答えられません。
当事者たちはどうなのか気になる
まぁ、完全にボヤキになってしまうのですが…笑
当事者たちがどう思うのか、インタビューする機会があれば嬉しいですね。ALTの方々はもちろん、教員の方々や児童生徒の方々がどう感じているかというのはとても重要ではないでしょうか。
「きっとこれならみんなの成績が伸びるよね!!」のような独りよがりでは現場とお偉いさんとの間の溝は深まるばかりです。
僕が教わる側だったとしたら、「結局何がしたいの?」となるでしょうし、
教員なら「ALTの人に手伝いをお願いできないこと自体、申し訳ないな」と思いますし、
ALTなら「What should I do ??」と考えてしまいます。
現場をかき回してしまうのはいかがなものかとも思いますが、改革を始める時に最初に混乱するのは現場です。
問題は、その混乱をどう落ち着かせるかです。今後の対応には注目していきたいものです。
世界の事例をコピペしても成功はしない
世界には様々な教育制度があります。日本がそういった世界の制度から良いところを見習うのは良いのですが、何も考えずにただ真似していては、制度はハリボテと化します。
良いところはあれど、日本に適用できない例は多いはずです。長い年月をかけて作られた制度とそれに向き合う態度は、そう簡単に再現できないでしょう。
欧米各国と渡り合うためのスピーキング重視の英語教育も、ここから生じたと考えることができます。(そもそも言語の構造的に、母国語が英語と近いからその時点で条件や環境が違うんですがね…)
英語学習において日本の児童生徒が苦手な内容な何か?そのデータはあるはずです。統計をサボっていたなら話は別ですが、文部科学省のデータ(全国学力調査など)は公開されています。
そこから英語教育の制度の骨格をつくり、肉付けの段階で様々な国の事例を見ていく方が良い気もしますが、あくまでこれはあさまんがの意見です。笑
まとめ
ちょっとまとめに入るのが早い気もしますが、いかんせん今回の記事はとっても主観的なので、この辺にしておきたいと思います。それでは、今回のまとめです。
1.ALT(外国語指導助手)の方々の立ち位置は、教育の変化に依存するのでは?
2.現場の混乱は避けられない。だからこそ充実した対応が必要
3.データの蓄積から制度を考えてもいいはず
う~ん、主観的。笑
でも、これくらい自由な発想ができるのは大学生の特権かもしれません。理論と実際の境界を行き来する機会は多いですから。
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それでは今回はこれで終わります。次回もお楽しみに!
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