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「人間讃歌」

一体何が表現したいのか?と自分に問いかけた時、この言葉がとてもしっくりきたというだけの話

漠然と漫画を描き始めて、10ヶ月くらいたちました。

公開を始めて4ヶ月。
感情の波がジェットコースターさながら、色々脱線もしたけどこの10ヶ月間、ほとんど漫画を描いてました。

漫画を描き始めて良かったなと思うことは、

・絵が上手くなった(※当社比)
 漫画だと必要に迫られて苦手な角度や構図で絵を描かざるを得ないからか、かなり絵の練習になる

・自分の思うものが作品として形に残る
 ネームができた時、線画が終わった時、色ぬりや背景をつけた時、1話ずつ形が明らかになっていく度に嬉しくなってニヤニヤしながら自分の漫画を見返す。この時間がけっこう好き。

・キャラクターや物語が息をし始める
 自分の脳内にいるキャラクター、いやむしろ忘れかけてて性格も当初よりだいぶ変わっている可能性もあるけど、そんな形のないキャラクターに輪郭が生まれ、まるで自我を持ったようにすらすらしゃべり出す。(しゃべりだすのは脳内の中の話です)不思議な充実感が自分の中に生まれる。

上記の3点が特に楽しくって漫画を描き続けることができました。

そして漠然と私は漫画を通して何を表現したいのか。
これに関しては特に目的や意図もなく、ただ自分の中で面白いと思うストーリーを漠然と形にしていってたなと思います。

テーマや伝えたいことがないと、読んでる人に何も伝わらない=読むという労力に対する見返りがない状態になっているのではないかと、ふと危機感を感じました。
何も残らない方がいいという暇つぶしが目的の場合もありますが、ギャグ漫画でもないし、自分が描いてる漫画ではそれに該当しないだろうと思います。

で、漫画制作のスピードに逆らってネタだけはどんどん猛スピードで脳内で増えていった時、テーマは全作品を通して「愛」だなと思うようになりました。(急にちょっと外気温上がりました?)

愛っていうとちょっと照れくさいけど「人間愛」

だって「人間だもの」です。(参考:相田みつをさん)

もっともっとしっくりくる言い方が「人間讃歌」

「いろんな人がいるけどみんな違ってみんないいよね!でも常軌を逸した場合は修正しようね」みたいな。(もっと分かりにくくなってる?)

やっぱり惹かれる作品にも共通して「人間讃歌」を感じるような気がします。


平均点が50点だとしても実際に50点の人は1人かもしれない

「普通」とか「基準」があると安心するし、それを目指すことで社会は生きやすくて、「普通」であることやそれよりも優れることが大概良しとされる。

なんとなくそんな世の中を生きてきたので、自分もその価値観を漏れなく持っている自覚があります。

平均からはみ出さないように気をつけながら生きている節は今もなんとなくある。

そして常々思うことは、人間は本能的に死を恐れてる。生存して遺伝子を遺していく為にそうでないといけないから。

でも時と場合によっては死を選ぶ。それは死の恐怖を覆す他の何かを守るため。

これは人間以外の生命体であり得ないような気がする。(動物はしゃべれないし、知り得ないだけかもしれない)

他の何かっていうのが他人だったり、尊厳だったり、失くなりそうな自我だったり。

そして人間が作った社会では、ある程度愛情を受け取ることができないと上手く生きられないようになってるところもすごい。

一見普通に見えても、愛情不足は遅かれ早かれシワ寄せがやってくる。

子どもたちは本能的にそれを知ってるから、愛情を獲得しようと努力する。

場合によっては死を恐れない生き物、愛情を受けないとまともに生きられない生き物。

それが人間だなと思うと、興味深くてとても好き。

で、好きと思うと同時に、もっと自由でいいってことを自分に言い聞かせたい。

「今までの社会で培った普通」から外れても、自分が自分であることをごく普通に誇りに思える、そんな社会になってほしい。

「何点とっても自分が自分であることに変わりはない」っていう答えに行き着く漫画が描きたいという話でした。

(長々と語ってしまった。恥ずかしくなったら消すかもしれません。)

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