かわいい玉吉、さようなら。

玉吉が私達の元から旅立つまでの記録です。


5/2
ちょっと食欲もなくなり、よく寝てるなあ、と。老猫所以か?と。心配しつつもこの日はかねてからの予定であった北海道に高崎と出かけました。

ちょっと眠そうなのもシニア域にはいってきたからかなーとか安易に考えてました。眠くてもかわいい玉吉。

5/3
留守番を母に頼んで様子を知らせてもらってましたが、すぐ病院にいくような感じでもなさそう。

これは留守と玉吉の面倒を頼んでいた母が撮った写真

5/4
帰宅後、すぐに大好きな焼きカツオたべたので安心してましたが、ネット検索で「黄疸の猫」の画像をみて、もしや?と玉吉の口の中をみると、少し黄色い気がするので、翌日に病院をweb予約。

5/5
即入院。
血液の数値やCTの結果おそらく胆管閉塞だと言う事でした。
黄疸の数値がかなり危険である、と言われました。

胆管閉塞ほ原因は不明で、予兆もなく、気がついたら危険な場合が多い病状のようです。

5/6
面会時に担当医に二つの治療の選択肢を提案されました。
⚫︎4割が亡くなるというリスクの高い手術。しかし成功しても、後に肝障害が出るので予後もずっと治療が必要。
手術するなら、本日午前中に決定してほしい
⚫︎手術をしないのであれば、内科治療。
カテーテルからの投薬と給餌になるが、胆管閉塞の原因が投薬で解消されない以外延命処置になる

というどちらにしても厳しい選択しかないのだけど、リスクの高い手術をシニアの玉吉には受けさせれる訳はなく、消去法で自宅でカテーテル投薬&給餌をする事に。

目をまんまるにして怒って唸っていたが、私だとわかると大人しく。かなり暴れて手こずらせたいようでした。名札には「玉吉ちゃん:備考 WILD」と書かれてありました。

5/7
1日目はカテーテル投薬と給餌と輸液をなんとかこなす。

帰宅後は興奮してるのか少し元気な気もしました。
いつもどおりあちこちうろうろ。

5/8
前々日の入院とカテーテル&カラーのストレスでどんどん弱ってくる玉吉を見ると、この後3日おきの通院を伴う内科治療は玉吉のQOLによくないと判断。

ベッドの下にもぐってでてこない


9時に病院に電話し、自宅でカテーテルを外し、看取り覚悟で家でゆっくりさせたいと連絡。
引き止められるかと思いきや、担当医からは「その方がいいと思います。ご自宅でお母さんとゆっくり過ごしてください」と。あ、やっぱりそれほど悪い状態なのかと再確認。

そしてカテーテルを自宅で抜きました。

カテーテルを抜いてほっとする玉吉
カラーなしだとリラックスして寝れるね

同日、北海道から高崎が帰ってきたら、嬉しかったのか目に見えて調子がよさそうに。

帰ってきたら階下におでむかえ、スーツケースをあけるとちょこんと入って、嬉しそう

5/9〜5/10
ともかく、自宅で玉吉のストレスのないように、高崎と私は普段通りに笑いの絶えない賑やかでおだやかな暮らしをする事になりました。
もしかすると、ミラクルが起こるかもしれない。
いくらしんどくても、2人で階下で楽しげに話してると1階に降りてくるかわいい玉吉。

だけど、水や食べ物を自力で食べれるようにサポートしても、やはり一度も飲む、食べる事はできませんでした。

暗いところがいいの…
お水飲みたそうにするので、スポイトで入れる事もありましたが嫌がるので、ほんのわずか。

でも、玉吉は頑張って生きようとしてました。
窓の外をみたがったり、上がったら叱られる机にあがったり、外猫の声がすると、玄関の見回りに。

みるみる痩せてきました。でも、お外が見たくてがんばって登ったよ!
いつも叱られる場所にも登っちゃう!

5/11
この日不思議なことがありました。

玉吉は元々写真撮られるのがすきではなく、ことに闘病中の写真を撮られるのが嫌がってるようにみえましたが、「思い出に沢山撮らせてね」といいながら、シャッターを押そうとすると、「僕はそれを持っていけない」という思念が頭の中にガツンと入ってきてびっくりしました。

写真きらい!スマホごしじゃなくて、リアルな僕とむきあって!

私には思いつきそうにない事なので、たぶん玉吉の思念だと思います。

写真の思い出にすがるのは、人間だけやもんね。玉吉、厳しいな💦
(たぶん猫にもそれぞれ色んな考えや意思があるんだろうと思いますので、これは玉吉の考えだと思います)

5/12
そして、どんどん体重が軽くなり、体力もなくなり、立つのも大変でとうとうこの日の夕方1mも歩けないように。
なのに色々気になるようで、見回り場所に意を決して歩き出すも崩れるように横たわり、その場で力尽きると言う事を繰り返してました。

向こうに行きたい!
窓の外みたい!

この日、私の顔を久しぶりにちゃんと見上げて「うー、うー、うー」と訴えてくるので、抱っこ。これが最後の抱っこになりました。

これが最後のだっこになりました。


たぶん、玉吉は自分の死期はそろそろと感じていたのだと思います。

そうとは知らない私は、玉吉をベッド上に作ってある寝床に移動し、一緒に就寝。
正直あと数日は大丈夫だと思い込んでました。「抱っこ」をせがんだので、少し元気になってるのかも?と淡い期待を抱いてたのですが。

夜中2:20、吐くような嗚咽をあげたので、飛び起きました。
高崎も階下からあがってきました。
そしてその後、身体をのけぞらせて慟哭の鳴き声を2回。
私と高崎はその身体を支えてました。
そして脱力し、魂がぬけたのを感じました。

私の判断に賛否あるかもしれません、内科治療を続けてたら、あと数週間は延命したかもしれません。でも私はこの判断を後悔してないし、玉吉もそれを望んでたと確信してます。

玉吉の実体は無くなって、魂になりました。

翌日火葬するまで、しっかりお別れしました。

あとは私がこれを受け入れて消化していくだけですが、とてもじゃないけど1人では精神を保ってられない、弱っちい私です。
そばにいてくれる高崎、ずっと相談に乗ってくれた私の母のお陰で、なんとか保ってます。

たくさん悲しんで、泣いて、泣いて(今は実はあまり実感がない)それからゆっくり復活します。

玉吉を思ってくれる方々が、お花や和蝋燭を送ってくれました。ありがとうございます🙏

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