水車 第三章 承前

 港のぬくみがあってか、岸に近いと言うのにこの辺りは氷結していない。そこに一隻の母艦が停泊している。
 水戦の置水準備をしている辺りには濛濛と湯気が立ち込めている。エンジンが暖まる前に凍結するのを防ぐために、タンクに給湯しているのだ。準備の終わった水戦から湖面に降ろしていく。
 降ろされた水戦は直ちにペラを回し、次機のために場所を開ける。三機揃ったところで位置を調整し、一斉に滑水を始める。
 ありふれた編隊離水の訓練ではあるが、二つの事がわかる。十分な練度を持っている事、勇者軍とは違い三機一個小隊である事。そして条件の良いとは言いきれない時期の訓練に、推測できる事がひとつ、司令官が有能である事。
 港上空を旋回して母艦の側に着水し、再び加速して離水する。何度もの繰り返し、命を握る鍵とも言える技量を手にいれるための唯一の方法、パイロット達と共にそれを熟知している。

 太子はここの処ご機嫌だ。贔屓の空軍司令の活躍で、いや大活躍、大々々活躍で精強な隣国軍を打ち破ったのだ。のみならず、敵指揮官である勇者を捕らえたのだ。訪れる貴婦人達も太子の知古である司令に興味津々であるらしく、まるで視て来たかの様に太子が語る、単機で敵を翻弄する空軍司令の武勇伝に嬌声を上げる。それがまた、心地よい。
 なにかと剣呑であった王弟を掣肘したのも恐らく司令だろう。あの日、危険である筈の王都に前触れもなく出立し、次の日には全て終わった、帰ってこいと王城から連絡が来た。
 ただの関与ではない主要な役割を果たした筈だ。王太子の勘がそう言っている。
「では王弟殿下がお引き隠りになられたのにも司令閣下のご活躍が?」唇に人差し指を当てて太子は応える。
「誰にも言ってはいけないよ」噂は一晩で広まることだろう。

 長官は呻吟していた。司令の昇進は確定としても、ここ一連の功績を鑑みるとまるで足りない。
「二階級上げるわけにゃいかんし…」佐官以下なら、十日程の間を置いて二つ上げるのも有りだが、将官ともなると流石に厳しい。
「陛下にお願いするかなあ」嫌がるだろうな、と溜め息を吐いた。

 水軍の新型の艦だろうか、奇妙な形の船だ。二層になった甲板の上層は後ろの方が大分短い。と、躯体から翼を折り畳んだ飛空艇が引き出されてきた。空軍のものとは違い三個の車輪が付いている。
 ふわりと翼を閉じたまま浮かび上がると上層に移動する。上層には整備兵が待機していて、すぐさま翼の展張を始める。下層からは次々と飛空艇が上がってくる。掌帆長の差配でタイミングの調整をしているのか、滞ることはない。展張を終えた飛空艇から静かに空に浮かびペラを回して場所を開ける。見事な流れ作業と言うべきか。水軍航空隊も形になったようだ。

 陸軍工厰長は、満足げに車列を見回した。勇者が馬力が足りなくて断念したと言う無限軌道を滷獲戦車に組み込む事に成功したのだ。空軍から提供を受けた三連タンデム発動機のお陰でもある。嵩張るので居住性は大分悪くなったが、数名の兵を跨乗させて馬よりは大分早く移動できる。なにより疲れ知らずだ。兵員輸送車両も同じく無限軌道に換装した。春にあるだろう侵攻作戦に間に合った。

 ここの処シャオは研究室と神樹との往復を続けている。シャオに依れば神樹はアカシックレコードとの接点で、巧く扱えば世界のあらゆる場所と接触することが出来る。シャオの目論んでいる事はそれと関連していて湯石の湧くポイントを同定し、そこにあるだろう術式を書き換える事だ。
 書き換えるのもお願いすれば?と冗談で言ったら、ポンと手を叩いて駆け出した。

 普段は犬小屋に閉じ籠っているくせに、ボールを持っていくと何故分かるのか飛び出した来て纏わりつく。
 おーしおし、とってこーい。この日は、ボールでなくなんだかふわふわした白いものを咥えて帰ってきた。なんか、ジタバタしてないか?て、角ウサギの子供じゃん。
 角ウサギは冬眠する。春が近づいて日が長くなると出てくると言うから、たぶんそれだろう。可愛そうだから離してやりなさい。角ウサギは犬に突っ掛かる。犬は新しい遊びと思ったらしく、交わしては前足で転がす。その内、ウサギの動きが鈍くなりコロンと転がった。冬眠の続きか?
 犬は暫く鼻面でつついた後咥えて犬小屋に連行した。飼うのか?エサどうすんだ?

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