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なぜ私はニュージーランドで病んだのか

こんにちは。オーストラリアの大学院に行っているなちょです。

私のことを長く知っている方ならご存知かもしれませんが、実はオーストラリアに来る前はニュージーランドにいました。

が、環境が合わず、居てもたっても居られなくなり、藁をも縋る気持ちでオーストラリアに逃げてきました。笑

(ニュージーランドでは4年生学士の薬学部にいたのですが、2年で中退してオーストラリアの2年制修士薬学部に入り直しました。)

ニュージランドを新天地に選んで新たな挑戦を始めた選択は、私の人生の中で1番大きな失敗で、今までちゃんと向き合いたくない過去だったのですが、

この度、ある運命的な本に出会いこのモヤモヤを語源化することに成功したので、書き留めておこうと思います。

この考えは、今後自分が何を幸せとかんじるかを考えるヒントになると思うので、最後までお付き合いいただければと思います。

自分の中に多数の面がある「分人」という考え方

まず、平野 啓一郎氏の「私とは何か――「個人」から「分人」へ」を紹介させてください。

私とは何か――「個人」から「分人」へ

本書の中では、本来人間にたった1つの「本当の自分」など存在せず、さまざまな面「分人」があつまって1人の人間が出来上がっている、という説が説明されています。

分人とは、恋人に接するあなたと、友達に接するあなたと、職場でのあなたは別の分人である、ということです。

「いや、そんなの当たり前だろ」と思われるかもしれませんが、この中に「本当の自分」などは存在せず、どれも本当の自分なのだ、というところが世間一般的な考え方と違います。

そしてこの分人というのは、相手ありきで成り立っています。

「この人といると口下手になる」とか「あの人といるとペラペラジョークも出てきてまるで自分が面白い人間のようにかんじる」

このような経験は誰しも少なからずもっているのではないでしょうか。

分人化は、相手との相互作用の中で自然に自然に生じる現象だ。従って、虫の好かない人といると、イヤな自分になってしまうことだってある。

私とは何か――「個人」から「分人」へ


分人の中にはポジティブなものもネガティブなものもいます。

もちろんネガティブの分人をすべて消し去ってすべてポジティブにできればいいのですが、そうもいきません。

私たちは、複数の分人を持ってうまく他人とやっていかなければいけない複雑な人間社会で暮らしているからです。

ただ、分人の割合は私たちの中でコントロールできます

当然、Aさんとの時間を増やせばその分人の割合は自分の中で大きくなります。

その分人がポジティブで自分が好きなものであれば、毎日幸せでいられる時間は長くなりますし、もしそれが自分が嫌いな分人であればついには精神を病んでしまうかもしれません。

なぜニュージーランドで病んだのか

ここまで書けば私が言わんとしていることはすでにお察し頂けているかと思いますが、改めて整理してまとめてみます。

ニュージーランドで私は自分の分人のどれもを好きになれませんでした。

先ほども書いたように、分人化とは相手ありきによって生じる現象です。

イメージとしては、まずはかるく世間話ができるような一般的な分人からスタートして何度も会う同僚やクラスメート、そこからAさんに対する分人やBさんに対する分人と個別に分かれていくイメージです。

分人化イメージ



(この分人化のステージやカテゴリーは人によって異なり、さらに何人の分人をもてるかも人によるものです)

さらにこの世間話の段階の一般的分人も一通りではないようです。

大学時代から社会人3年目まで計7年ほどアメリカに住んでいた私ですが、この世間対応用の分人でさえ、アメリカとニュージーランドでは違うものに感じました。

具体的にいうと、アメリカ人というのは、見知らぬ人にでも気軽に話したり、いろんなアメリカジョークを言ったりというお国柄(?)です。

対してニュージーランド人は、日本人のように他人にはそんなに話しかけず静かにするお国柄です。

アメリカバージョンの一般的分人の自分は楽しく会話してポジティブだったのに対しニュージーランドの一般的分人の自分はムスッと黙っていました。

クラスメイトとの分人(の私)も嫌いでした。

ニュージーランドという想像を絶する小さな国の、日本でも根暗なイメージの強い薬学部(!)のクラスメートたちとは、個別の分人に発展しようとはどうしても思えませんでした。

結果、当たり障りもなくとりあえず会話するつまらない分人の私が出来上がりました。

こう書くと「他人のせいにばかりしてなんて奴だ!」と思われるかもしれないが、そういう話をしているのではないのです。

たまたま私がニュージーランドの人々と自分が好きになれる分人が作り出せなかっただけで、他の人は(私が関わった同じ人たちと関わっても)自分が最高だと思える分人を作り出せていたかもしれません。

まあ、こんなそんなが積み重なり、私の中の「どの分人も好きではない」状況が2年続き、ついに「ここは合わない」という思いが募りとうとう逃げ出してしまった次第です。笑

私の中の分人好感度


(ちなみに当時、お付き合いしていた方がいたのですが、彼のことが大好きだったにも関わらず彼に対する分人の私は大嫌いでした。彼に対しての分人の私はどうしてもイヤな奴になってしまっていたのです。笑 平野氏が分人は相互作用によって起こるもので、いわば自然現象だと本書に書かれていて救われました。)

自分がハッピーでいられるようにするには

繰り返しにになりますが、私はニュージーランドの批判をしたくてこの記事を書いているのではありません。

人は人によって分人を使い分けていて、その割合によってハッピーになったり病んだりする、ということが言いたかっただけです。

そしてこの分人化は「相性」による部分が強く、勝手に作り出されてしまうものだということです。

ここまで整理すると自分がハッピーでいられるようにするのは、意外にシンプルだと思いませんか?

平野氏は分人化は必ずしも人と関わっている時に限定されない、としています。

例えばすてきな本や映画に出会った時、内側から湧き出るようなワクワクする感情を味わったことのある方も多いと思います。その時の自分が好きであれば、積極的にその分人の出現度を増やしていけばいいのです。

自分が好きでいられる分人の割合を増やすためには、まず自分の分人の構成を見つめ直してみることが必要になります。

自分はどの分人が好きでどの分人が好きではないのか?
毎日の生活の中でどの分人がどれくらいの割合を占めているのか?
自分の価値観に合う分人はどれか?

もし、今の分人の割合に満足いっていないのなら、環境を変えるのが1番手っ取り早く分人構成をリセットできる方法です。

まとめ

まとめると、

  • 人間は「分人」という複数の面から成り立っている

  • 分人化は人(時には本や映画)との関わりの中で自然に生まれるもの

  • ハッピーに暮らすためには自分が好きな分人の割合を増やせばよい

  • そのためには

    • 自分の分人構成を見つめ直す

    • どの分人が自分好みなのか洗い出す

    • 自分の好きな分人の出現率を増やす方法を考える

平野 啓一郎氏の「私とは何か――「個人」から「分人」へ」は自分と人との関わり方を深掘りさせてくれます。

ぜひ読んでみてください!
(読んだら感想教えてください☺︎)

私とは何か――「個人」から「分人」へ

それでは〜

なちょ


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