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手放して手に入れたもの first half

 私の家の物置には、毎年この時期になるとモヤモヤした気持ちになる品物があった。

 私が子どもの頃買ってもらった七段飾りのお雛様。
 しっかりとしたひな壇までセットで、永く物置に眠ってもらっていた。

 どうして物置の一番奥に、そのモヤモヤを抱えなくてはならなかったのか。


 話は新婚の頃に遡る。

 結婚してしばらくしてから、主人と二人で私の実家を訪ねると、そこには大きな桐の箱が2段とひな壇の段ボールが用意されていた。

 『桐の箱は新しく買った物だから』

 それだけしか言わない母親。
 言わずもがな、持って帰れ。ということなんだろう。

 一般的に娘が結婚した親は、こういった子どもが小さい頃に飾っていた年中行事の品物の行先をどうするのかは知らないが、とにかく私の親は私にそれを押し付けた。

 置き場が無いのがわかっているのに。

 委ねたとか譲ったとか、受け継がせたとかでなく。

 実家を離れてから親を訪ねる時は、毎回『早く戻りたい、早く自分の家に帰りたい』と思っていたが、この日の帰り道は虚しさとか寂しさを特に感じていた記憶がある。

 小さな車がそれはそれは重そうに、桐の箱とひな壇を乗せて、家路に着いた。
 もちろん私たちのアパートにはそんな物が入る筈もなかったので、義理の母にお願いして主人の実家にしばらく(結果一軒家を持つまで)預かってもらう事になったのだ。

 それから数年後、ようやく預かってもらっていた雛飾りを自宅に収納できる様になったのだが、
娘用の雛飾りは主人の両親に頂いていたし、わざわざ私の為に出すのもなんだかねぇと気が引けた。
 何より私の親に対する不満、不信感が心の底に澱のように溜まり続けていた時期だったので(それは今でもだが)、見なかった事、無かった事にしていたのだ。

 毎年2月を過ぎると、娘の可愛い雛飾りを飾った。
 そのお雛様は娘の小さい頃の顔に似ていてとても可愛くって。
 玄関の飾り棚にほんわか優しい気持ちにさせてくれる。

 対照的に、ずっとずっと我が家に来てから一度も蓋を開けられない雛人形たち。
 私が悪い訳ではないのに、飾られないのは私のせいだと思ってしまっていた。

 転機が訪れたのは去年の冬。

 コロナで何処にも行けないけど、それならそれで、と家ごもりを楽しんでいた我が家は、少し大がかりな片付けをしていた。
 その中で、子どもの思い出の品物を入れる箱をどうする?という話になった時に、あ、あの桐の箱あるじゃん。と思ったのである。

 それならとりあえず飾ってみよう。
 そして偶然にも家の近くに、あのモノマネ芸人レジェンドさんが店長の店が出来るというチラシが入っていたのだ。

今なら査定無料!

 …ゴクリ。もしかしてお金になったら、ラッキー?
 何年もかけて濁らせた私の気持ちはあっけなく
クリアになりそうな予感がした。




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