ブログとデザイン言語2)

こちらのブログ「eiOS & Design」を始めたきっかけは何か、と過去の自分をたどると、小1の習字塾に行き当たる。?習字を習う、というより、襖に向かって筆にタップリ含ませた墨を飛び散らせた思い出がよみがえる。

父の知人というか友人が開く習字教室に「通わされた」のだろう。パンとお菓子を扱う仕事柄、むかしは商品の案内ポスターとか値段表は自前で用意せねばならず、PCなどない時代、父はよく白い紙に筆とポスターカラーで仕上げていたような記憶がある。

当時は、習字と算盤が就職にとって一番の必須科目。勉強ができても、現場で綺麗な字と計算ができなければ、いや、逆にいうと、勉強ができなくても、字が綺麗で計算ができれば、最低限給料がもらえる仕事にありつける、と思われた時代だったかもしれない。

父が他界して習字の先生に、父の字は上手だった?と聞いたら、「美味しそうな字だった!」と言うウマい表現が帰って来た。もともと軍隊の主計だったので、提出書類が最終責任者に読めない字で届いたら指摘される世界。基本的に上手な世代の人だった。

母は教師の免許を持つが、従兄弟の父親(彼が仲人)の教え子で10代で嫁いできたせいで、教職には着かずじまいだった。ただ何とはなしにしつけは厳しかったと思う。

自分が「デザイン」に目覚めたのは大学に入ってから。講談社フェーマススクールという通信教育。添削教授名にノーマン・ロックウエルがあって入校。コマーシャルアート・コースを選び、大学卒業後まで続けた。

この時の経験が、のちにAppleのマック・ユーザーになった時、こんなに役立つとは思いもしなかった。大学は経営学専攻で、自営業に役立てばと選び、通信教育は趣味の延長で偶然手がけたもの。

大学卒業後まっすぐ家業を継ぐことに。父には帰ってこなくていい、と言われて故郷を離れ、デザイン方面に就職とも考えた時期があったが、どう考えてもデザイン部門の一員で働くサラリーマン業務は向かない気がして独立は断念。

東京での大学時代、気がつけば多くのパンや洋菓子店を見学する自分に気付き、漫然とデザイン部門を志向した安易な自分が、帰郷を決心した理由にもなった。結局好きな仕事だったんでしょうね。

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