少年漫画コンプレックス

私は少女漫画が好きだ。小学校3年生で「神風怪盗ジャンヌ」に出会い初めてお小遣いで単行本を買い揃え、5年生でバイブル「学園アリス」にどハマりした。以降、青春時代を白泉社様とともに過ごしたといっても過言ではない。学アリの最終巻を読み終わった時の達成感と高揚感と感動と終わってしまった寂しさは今でも忘れない。完結記念本は人生で初めて買った同人誌だ。一生大事にする。最近はあまり読めていないが、未だに追いかけているシリーズもある。白泉社の作品は少女漫画の中でも話の骨格がしっかりしている作品が多いように思う。手に汗握る展開の中で少しずつ育まれる恋心。控えめに言って最&高。こうしてcp厨が爆誕するのだと悟ったのが高校生になりネットにも手を出した頃。広大なネットの海で夜な夜な推しカプの二次創作を漁ったのもいい思い出だ。おそらくあれは大HP時代が衰退期を迎えたあたりだった。突然下げられる作品、突然閉鎖されるHP、作品はおろかブログの更新すら減っていく。完結後はどうしてもジャンルとして衰退することは理解しているけれど、拭えない寂しさがあった。私自身もTwitterを使い始め、同志の方々と距離を超えて繋がり、妄想を吐き出しているうちに完全なるROM専から創作もする側へ移行して、今に至る。

少女漫画しか読んでこなかった訳では無い。友達は皆いつの間にか少年漫画を読んでいたから、有名どころはだいたい知っているし、読んだことがないのにキャラクターだけは詳しかったりする。人気の作品はやっぱり面白い。けれど、私には嵌らなかった。面白いけれど、自分で単行本全て集めたいというほどではない。最終巻手前までしか読んでいないので結末が分からない、というものもいくつかある。いつか知りたいけど機会があればで良いかな、という感じだ。

オタクという言葉にコンプレックスがあるという話は以前書いたけれど、私は少年漫画に対してもコンプレックスがある。それは友達が次々に少年漫画を読み始めた小学校高学年からなんとなく抱いていた。皆が少女漫画を卒業し少年漫画へ移行する波に、私だけ乗れなかった。今週のジャンプの話についていけず、「へぇ〜そうなんだ〜」としか言えない時間がなんだかとても寂しかった。友達はそれで私を仲間はずれにすることもなく、話が分からずぽかんとしていた私にあらすじやキャラクターを教えてくれた。布教ならたくさんされたけど、読むことを強要する人は誰もいなかった。良い友達に囲まれてとても恵まれていたと今でも思う。だけど、[少女漫画はいずれ卒業するもの、こどもが読むもの] だという私の思い込みが生まれたのも、仕方ないことだったと思う。

年齢を重ねるにつれ、どんどん「少女漫画が好き」と明言することができなくなった。いい歳をして少女漫画が好きだなんて、頭ふわふわお花畑で夢見がちだと思われるかもしれない、という一種の恐怖。他人の目線なんて気にするな、好きなものを卑下するな、と言われるかもしれない。仰る通りだ。言い返す言葉など無い。無いけど、私は他人の目を気にせずにはいられないし、こびり付いた卑屈な思考はそう簡単に変えられない。

だから、ここに書いてみることにした。私は少女漫画が好きだ。いろんな経験を経て時間と想いを重ねて、お互いを特別に想いあい成長するふたりを見るのが大好きだ。ハラハラするのも良いしムズムズキュンキュンするのも良い。好きな人に誠実であろうとするひたむきで真っ直ぐな姿勢も良い。時々意地悪になって主人公を振り回すのも良い。チャラい当て馬が主人公に惚れて一途になるけどやっぱり振られて、主人公の幸せを祈りながら新たな出会いに巡り合うのも良い。大切な人を亡くした悲しみを乗り越えて生きる姿も良い。誰かを想って流す涙も良い。お互いを刺激しあって成長して困難を乗り越えていくのも良い。運命に負けない強さも優しさも良い。暗闇の中で必死にもがくのも良い。愛しさと切なさと心強さと。少女漫画、とても良いです。少女漫画は確かに恋愛要素強めかもしれないけれど、決して頭ふわふわお花畑ではないし、恋愛さえ上手くいけばあとはどうでも良いって話でもない。ストーリーがあって、それぞれキャラクターの想いがある。

書いていたら読みたくなってきた。私は「赤髪の白雪姫」20巻で止まっていまして続きが大変気になります。この寒波が終わったら買いに行くことにしました。決意。寒いから今週は引きこもり。

よく分からない文章をここまで読んでくださったあなたも、風邪など引かないように暖かくしてください。

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